迷いの先
悪魔祓い本部の会議室は、夜の静けさに沈んでいた。
窓の外には灯りの少ない街並みが広がり、遠くの気配だけが薄く揺れている。
机の上には、第二課題の報告書が整然と並べられていた。
紙の白さだけがやけに目立つ。
アルヴェンはそれらを一度見渡し、静かに書類を閉じた。
視線が、向かいに座る二人へ向かう。
「第二課題、ご苦労でした」
ルカとクロードは、同じ長椅子に並んで座っていた。
その後方には、クレアが立っていた。
「結果から伝えます」
一拍、間が落ちる。
部屋の静けさが、わずかに重くなる。
「両名とも、第二課題合格です」
ルカは、その言葉を受け取った瞬間、ゆっくりと息を吐いた。
張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩む。
クロードは大きく反応はしない。
椅子の背に軽く体重を預け、短く視線を落としただけだった。
アルヴェンは続けた。
「これで、最終試験は折り返しとなります」
クロードが小さく眉をひそめる。
「……まだ半分ですか」
「ええ。あと二課題ですね」
アルヴェンは変わらない調子で答えた。
「頑張って下さい」
アルヴェンは机の上の書類を一枚めくった。
紙の擦れる音だけが、やけに静かに響く。
「第三課題ですが」
短い沈黙。
「契約悪魔の討伐、及び」
「禁忌魔術使用者の捕獲となります」
ルカが僅かに目を上げる。
ただの討伐任務ではない、と理解するのに時間はかからなかった。
クロードもまた表情をわずかに変えた。
「詳細資料は後ほど共有します」
アルヴェンは淡々と言い、最後の書類を揃えた。
「今日は休息を」
⸻
食堂は、遅い時間でも人の姿が絶えなかった。
疲れた空気のまま、それぞれが黙々と食事を取っている。
食器の触れ合う音だけが響いていた。
ルカとクロードは、空いている席を見つけて腰を下ろした。
「お! 二人とも」
静けさを壊すように、軽い声が落ちてきた。
顔を上げると、エドが片手を上げていた。
そのまま当然のように、隣の席へ座る。
ノクトも無言のまま、その向かいに腰を下ろした。
「生き残ってたか」
「お互いな」
クロードが短く返したところで――
「へぇ」
今度は別の声だった。
ルカが視線を動かすより先に、さらに椅子が引かれる音がした。
そこに立っていたのは、長い赤髪の女だった。
細い目と、目尻の黒子。
笑っているのに、どこか距離が読めない。
エドが軽く肩をすくめる。
「俺らの試験官」
ノクトが付け足す。
「ロザリア試験官だ」
そのまま、空いていた椅子へ座る。
最後の空席が、埋まった。
ロザリアはルカとクロードを見て、小さく目を細めた。
「クレア組ってこの子達?」
軽い口調だった。
だが、その視線だけが妙に観察するように静かで、ルカはわずかに姿勢を正した。
クロードは逆に、ほんの少しだけ警戒を強める。
それを見て、ロザリアは小さく笑った。
「そんな固くならないでよ」
「寂しいじゃない」
その言葉で、テーブルの空気がわずかに緩む。
その隙を拾うように、エドが身を乗り出した。
椅子がわずかに軋む音がする。
「そういやお前ら、次の課題聞いたか?」
クロードは小さく頷いた。
「契約悪魔案件」
その一言で、エドの顔が露骨に嫌そうに歪む。
「うわ。面倒そうなの引いたな」
ロザリアが頬杖をつきながら、軽く息を吐いた。
「契約案件って、普通の討伐より面倒なのよねぇ」
「悪魔だけ斬れば終わり、って話じゃないからね」
ルカは何も言わず、そのやり取りを聞いていた。
「呼び出したの、人間側だし」
ノクトが静かに続けた。
「感情が入る案件が多い」
重さを払うように、ロザリアが視線を動かす。
ルカとクロードを順に見て、口の端を上げる。
「でも、よく悪魔祓いなんて目指したわねぇ」
その声は軽い調子だった。
先にクロードが答える。
「家がそういう家系なんで」
淡々とした声。
「親父も悪魔祓いです」
「へぇ」
ロザリアは小さく目を細めた。
「なるほどねぇ」
短くそう言って、ロザリアは指先でグラスの縁をなぞった。
そのまま、自然に視線をルカへ移す。
ルカは少し黙った。
それから、ゆっくり口を開く。
「……昔、会った悪魔祓いに憧れて」
クロードが横目でルカを見る。
「そういえば。その人、今どこにいるんだ?」
ルカは少しだけ視線を落とした。
「……探してる」
声が、わずかに弱くなる。
「セドリックって人」
その名前が出た瞬間。
一瞬だけ、空気が止まった。
そしてすぐに、エドが吹き出した。
「どのセドリックだよ」
クロードは眉を寄せる。
「そんな多いのか?」
「本部だけでも何人かいる」
ノクトが淡々と答えた。
ロザリアは小さく息を吐き、視線を天井へ一瞬だけ流す。
それから、壁の時計を見て、立ち上がる。
「ま、頑張りなさいな」
軽く肩をすくめる。
「次の課題、結構面倒そうだし」
手をひらりと振ると、そのまま踵を返した。
食堂の奥へと消えていくロザリアの背中を、エドはしばらく見送っていた。
それから、満足そうに小さく笑う。
「ロザリア試験官、普通に当たりだよな」
軽く指を折りながら続ける。
「美人だし、距離近ぇし」
「それにスタイル抜群」
ノクトが呆れたようにため息をついた。
「お前、本当にそれしか見てないな」
「大事だろ」
エドは悪びれもせず即答する。
それから、ふと視線をこちらへ向けた。
「何だよ。お前ら、ああいうの好みじゃねぇの?」
「別に」
クロードは即答だった。
ルカは曖昧に笑うだけで流す。
「じゃあどんなのがいいんだよ」
エドが身を乗り出す。
クロードは少しだけ考えたあと、面倒そうに口を開いた。
「……もっと静かな方がいい」
「静か?」
エドはきょとんとする。
クロードはそれ以上は答えず、水を一口飲んだ。
⸻
部屋の灯りはすでに落ちていた。
窓から差し込む月明かりだけが、薄く床を照らしている。
クロードは壁際のベッドで寝ていた。
静かな寝息だけが、一定のリズムで続いている。
ルカは天井を見つめたまま、目を閉じられなかった。
『やっと、妻に会えたのに』
老人の声が、まだ頭の奥に残っている。
助けたはずだった。
間違ってはいない。
それでも。
胸の奥だけが、妙に重かった。
じっとしていると、余計に考えてしまいそうだった。
ルカはゆっくりと身を起こす。
クロードを起こさないよう、音を殺してベッドを抜ける。
そして静かに扉を開けた。
⸻
本部の廊下は静かだった。
遠くで夜勤の職員が、規則的に足音を残して通り過ぎていく。
ルカは当てもなく歩いていた。
石造りの廊下は冷たく、歩くたびに足音だけがやけに響く。
頭を冷やしたかった。
そう思って出てきたはずなのに、胸の奥はむしろ重くなっていく。
曲がり角を抜けた先。
窓際に、クレアが一人で座っていた。
外の灯りが、窓ガラスにぼんやりと反射している。
その光の中に、クレアの横顔だけが静かに浮かんでいた。
ルカは一瞬だけ足を止める。
それから、少し迷ってから隣へ向かった。
間を少し空けて座る。
クレアは何も言わない。
ただ、そこにいるだけだった。
ルカはしばらく黙っていた。
「……俺、悪魔は討てばいいって思ってました」
ぽつりと零れる。
クレアは何も言わず、そのまま聞いている。
「助けるか、倒すかで」
「そんなに迷うことじゃないって」
ルカは窓の外へ視線を向けた。
夜の訓練場には誰の姿もない。
静かすぎて、自分の声だけが残っている気がする。
「でも」
夢の中で聞いた声。
老人の涙。
それだけが、胸の奥に沈んだまま離れない。
「……あれで良かったのか、まだ分かんないです」
クレアは静かに聞いていた。
否定もしない。
慰めもしない。
沈黙だけが、長く落ちる。
やがてクレアが口を開いた。
「次の課題で、もう少し考えてみるといいでしょう」
淡々とした声だった。
だが、突き放すような響きではない。
ルカはわずかに顔を上げる。
クレアは窓の外を見たまま続けた。
「悪魔祓いに、簡単な答えはありません」
その言葉だけが、夜の廊下に静かに残った。




