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幸福な夢

 馬車の揺れが、一定のリズムで体を揺らしていた。

 窓の外では灰色の空が流れている。

 向かいでは、クロードが腕を組んで目を閉じていた。

 眠ってはいない。

 馬車の揺れに合わせて姿勢を崩すこともなく、意識だけを落ち着かせているようだった。

 ルカは包帯の巻かれた左手を見た。

 まだ少し痛む。

 その時だった。

「資料です」

 クレアが紙束を差し出した。

 ルカは受け取り、目を落とす。


『昏睡状態 三十二名』

『衰弱による死亡 二名』

『調査員 二名帰還せず』


 ルカは眉を寄せる。

「……死者が出てるんですか」

「はい」

 クレアは淡々と答えた。

 クロードが目を開く。

「悪魔の種類は」

「特定されていません」

 短い返答だった。

 それ以上の情報は出てこなかった。


 ルカは視線を再び資料へ落とす。

 被害者の年齢、生活環境、発症時期。

 どれも共通点がなかった。

 資料を持つ指に、わずかに力がこもる。

 紙の端が、かすかに歪んだ。

 

―――


 村へ到着したのは昼過ぎだった。

 だが、空気は妙に暗い。

 家々の窓は固く閉じられている。

 人の姿は少ない。

 静かだった。

 入口近くでは、数人の村人が焚き火を囲んでいた。

 ルカは足を止める。

 全員、顔色が悪い。

 目の下には濃い隈が落ちている。

 一人の男は、何度も自分の頬を叩いていた。

 別の女は、苦い薬を無理に流し込んでいた。


 ルカは眉を寄せる。

「何をしてるんだ」

 すぐには誰も答えなかった。

 薬を飲み込む音だけが、妙に大きく響く。

 やがて、近くにいた男が口を開いた。

 村長だった。

「眠らないためです」

 掠れた声だった。

「眠った者から、戻らなくなる」

 その一言で、周囲の空気がわずかに沈む。

 クロードが村人たちへ視線を走らせる。

「ずっと起きてるのか」

「交代で見張っています」

 村長は疲れ切った目を伏せた。

「誰かが眠れば、誰かが起こす」

 言葉が一度途切れる。

 喉の奥で何かを飲み込むようにして、続けた。

「でも……最近は、起きなくなった」

 その言葉のあと、しばらく誰も動かなかった。

 沈黙を断ち切るように、クロードが口を開く。

「被害者を確認します」

 村長はゆっくりと頷いた。

「こちらです」


―――


 案内された家の中は、薬草の匂いで満ちていた。

 ベッドがいくつも並んでいる。

 その上で、村人たちが眠っていた。

 静かだった。

 呼吸音だけが、部屋に響いていた。

 ルカは足を止めたまま、視線を動かす。

 一人の少女がいた。

 十歳ほど。

 穏やかな寝顔だった。

 微かに口元が緩んでいる。

 苦しんでいる様子はない。

 むしろ、安心しきった顔だった。

 だが、視線を落とすと違和感が残る。

 腕は細く、軽い。

 頬はわずかに痩せていた。

 水差しは、ほとんど減っていない。

 「……こんなの、おかしいだろ」

 ルカが呟いた。

 少女から視線を外さないまま、クロードが言う。

「本人は幸せかもしれない」

 静かな声だった。

「でも、このままなら死ぬ」

 クレアも眠る少女を見つめている。

 まばたき一つしない。

「だから厄介なんです」

 その言葉だけを残して、視線を動かす気配もなかった。

 クロードは少女から目を離した。

 代わりに、部屋の奥へと視線を巡らせる。

「先に来た悪魔祓いたちは?」

 一拍遅れて、村長が顔を上げる。

「調査員の方々ですか」

「ああ」

 クロードは短く頷いた。

「何か掴んでるかもしれない」

 村長はしばらく黙っていた。

 それから、ゆっくりと立ち上がる。

「こちらへ」


―――


 案内された別室には、二人の悪魔祓いが寝かされていた。

 壁には武器が掛けられたままになっている。

 机の上には資料、地図、そして書きかけの手記。

 捜査は途中で切り取られたまま放置されていた。


 ルカは机へ歩み寄る。

 指先が、自然と一冊の手記に触れた。

 ページを開く。

『被害者に共通点なし』

 短い記述。

 ページをめくる。

『外傷なし』

『全員、穏やかな表情』

『苦痛は見られない』

 一度、筆が止まっている。

 そこから先は、やや乱れた筆跡だった。

『むしろ逆だ』

 ルカの指が、その行で止まる。

 さらにめくる。

『起こそうとすると拒絶反応』

 次の行。

『夢を見ている?』

 空気がわずかに重くなる。

 クロードもそのまま、言葉を挟まない。

 ページはさらに続いていた。

『もう痛くない』

『ここは暖かい』

『帰りたくない』


 そして最後の一行。

『現実より、ずっと幸せなのに』

 部屋が静まり返る。

 ルカはその文字から、視線を外せなかった。

 隣のベッド。

 昏睡した悪魔祓いの口元が、ほんの僅かに緩んだ。

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