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悪魔祓い達

 夜明け前だった。

 悪魔祓い本部はまだ薄暗い。

 石造りの廊下を歩きながら、ルカは無意識に左手を握った。

 包帯の下がじくりと痛む。

 昨夜、自分で裂いた傷だ。

 すれ違う悪魔祓いたちは誰も騒がない。

 血のついた外套を抱えた者。

 壁にもたれたまま眠る者。

 こういう場所なのだと、昨日だけで嫌というほど思い知らされた。


「ルカ候補生は、こちらへ」

 前を歩くクレアが短く告げた。

 案内された先は医療班の詰所だった。

 部屋の奥では、白衣姿の男が椅子に深く腰を沈めている。

「……また朝帰りか」

 男は気だるそうに片目を開いた。

「今回は候補生付き?」

「治療をお願いします」

 クレアが淡々と答える。

「試験続行可能かの確認も」

「はいはい」

 男――ダリオは面倒そうに立ち上がった。

「座れ」

 促されるまま椅子へ腰掛ける。

 ダリオは手際よく包帯を解き、傷口へ視線を落とした。

「候補生が、自分で手ぇ切るなよ」

 小さく眉を寄せる。

「治す側の身にもなれ」

「……すみません」

「反省してる顔じゃないな」

 傷口へ消毒液が触れた。

「っ……」

 鋭い痛みに思わず顔が歪む。

 ダリオは気にした様子もなく新しい包帯を巻いていった。

「傷自体は浅い」

 最後に包帯を結びながら、クレアへ視線を向ける。

「続行は可能」

「そうですか」

 クレアは短く頷いた。

 その視線が、ルカの左手に落ちる。

 包帯を見ているのか、その下を見ているのか分からない。

 ほんの数秒の沈黙。

「全てを助けようとする」

 静かな声だった。

 ルカは顔を上げる。

「その考えでは、この先やっていけませんよ」

 責めているわけではなかった。

 忠告でもない。

 まるで、すでに何度も見てきた結末を口にしているだけのようだった。

 ルカは眉を寄せる。

「助けられるなら、助けるべきじゃないんですか」

 クレアは一瞬だけ視線を落とした。

 だが、答えは返さない。

「……治療後は休息を」

 それだけ言って、部屋を出ていく。

 扉が閉まる音は、やけに軽かった。

 ダリオがその背中を見送る。

「相変わらずだな。言葉が足りねぇ」

 小さく息を吐いた。

 ルカは返事をしない。

 ただ、包帯の巻かれた左手を見つめる。

 布の下で、じくりと痛みが脈打っていた。

 守ったはずだった。

 なのに、耳の奥にはまだ、あの笑い声が残っている。


―――


 治療室を出ると、廊下の壁にクロードが寄りかかっていた。

「終わったか」

「……ああ」

 ルカが隣に並ぶと、二人はそのまま歩き出す。

 しばらく、言葉はなかった。

 靴音だけが廊下に落ちる。

「……救えるなら。救いたいって普通じゃないのか」

 先に沈黙を破ったのはルカだった。

 クロードが横目でちらりと見る。

「急にどうした」

「試験官に言われたんだ」

 ルカは前を向いたまま続ける。

「その考えじゃ、この先やっていけないって」

 クロードは少し黙った。

 それから呆れたように息を吐く。

「あんだけ無茶しといて、まだ分かってないのか」

「何だよそれ」

 ルカの声に少しだけ棘が混じる。

 クロードは視線を落とし、ルカの左腕の包帯を見た。

「剣使いが、自分で腕潰してどうすんだ」

「次があったら、まともに振れなくなるぞ」

 ルカは顔をしかめる。

「じゃあ見捨てろって?」

「違う」

 即答だった。

 クロードは少しだけ歩幅を緩める。

「生き残れって話だ」

 静かな声だった。

「そういうのが無理なら、悪魔祓いなんか辞めろ」

 言葉は乱暴だが、突き放す温度ではない。

 試すような声音だった。

 ルカは足を止める。

 少しだけ俯いた。

「……辞めない」

 クロードも足を止め、振り返る。

「小さい頃。悪魔祓いに会ったことがあるんだ」

 ルカは言葉を探すように、少し視線を落とした。

「すごく……格好良くてさ」

 喉の奥で、何かが詰まる。

「その人みたいに、なりたくて」

 クロードの視線を感じながら、それでも続ける。

「困ってる人を助けられる悪魔祓いになるって」

 ルカは顔を上げる。

「……約束したから」

 クロードは眉を寄せる。

「……それだけで、あんな無茶するのか」

 呆れというより、理解できないという響きだった。

 ルカは唇を噛む。

 それを見たクロードは、頭を掻いた。

「……まあ」

「その根性は、嫌いじゃない」

 ルカは瞬きを繰り返してから、微かに唇の端を持ち上げた。

 その沈黙を、クロードがあっさりと壊した。

「……腹減った。飯行くぞ」

 いつも通りの声だった。

 ルカは一度だけ息を吐くように笑って、それから頷いた。

「……そうだな」


―――


 食堂は人で埋まっていた。

 悪魔祓い、候補生、医療班、事務職員。

 会話はある。

 だが、騒がしくはなかった。

 料理を受け取り、二人は空いている席へ向かう。

 その途中、クロードの足がわずかに止まる。

 窓際に、クレアがいた。

 黒い外套を椅子に掛け、ひとりで食事をしている。

 周囲と会話する様子はない。

「……あの人。いつも一人なのか」

「知らない」

 ルカが答える。

「話しかけづらい空気あるよな」

 クロードはクレアを見たまま、短く息を吐いた。

 その視線を横に流しながら、ルカは空いている席へ向かおうとする。

 その時だった。

「お」

 声が飛んだ。

 振り向く。

 一次試験と二次試験で見かけた候補生達だった。

 エドが片手を上げる。

「2人とも、戻ってたんだな」

 その隣にはノクトがいる。

「お前ら、クレア試験官担当なんだろ?」

 クロードが眉を寄せる。

「……だから何だ」

「いや、運悪かったなと思って」

 エドは苦笑した。

 ノクトが淡々と口を挟む。

「元前線組だろ、あの人」

「合格基準がえげつないって聞く」

 ルカはその言葉を聞きながら、窓際へ目をやった。

 クレアは、静かに食事を終えていた。

 外套を手に取り、席を立つ。

 誰とも目を合わせないまま、クレアは食堂を出ていく。

 その背中が食堂の扉の向こうへ消える。

 しばらく、誰も言葉を発さなかった。

 ルカは視線を戻す。

「一次課題、お前らはどうだったんだ」

「俺たちは墓守の悪魔」

 エドが顔をしかめる。

「死体掘り返すタイプ」

「最悪だったな」

 クロードが眉を寄せる。

「だろ?」

 エドが肩を竦めた。

「夜中に十体出てきた」

「八体だ」

 ノクトが訂正する。

「細かいな」

 クロードが笑った。

 ルカも思わず吹き出した。


―――


 食堂を出た後、二人は職員に呼び止められた。

「候補生ルカ、クロード。主任試験官がお呼びです」

 短い伝達だった。

 クロードが小さく息を吐く。

「来たか」


 案内された部屋は、本部の奥にあった。

 重い木扉を押して中へ入る。

 机が一つ。

 壁際には資料棚。

 余計な物はない。

 その中央に、男が座っていた。

「入りなさい」

 穏やかな声。

 男は書類から目を上げる。

 四十代後半ほど。

 落ち着いた空気をまとっている。

 主任試験官アルヴェン。

 その隣に、クレアが立っていた。

 いつも通り、感情の薄い表情のまま。


「座って構いません」

 ルカとクロードは向かいに腰を下ろした。

 アルヴェンは一度、書類を閉じる。

「まず第一課題、お疲れ様でした」

 丁寧な口調だった。

「結果から伝えます」

 短い沈黙。

「第一課題。二名とも合格です」

 ルカは小さく息を吐いた。

 クロードは表情を変えない。

 アルヴェンは再び視線を落とし、書類をめくる。

「候補生クロード」

「はい」

 クロードが姿勢を正す。

「状況分析、核の発見、戦闘判断」

 一つずつ言葉が落とされる。

「どれも安定しています」

「特に最後の一撃は適切でした」

 クロードは静かに聞いている。

「前に出すぎない判断も良い」

「無駄な負傷を避けられる人間は、前線では重要です」

「……ありがとうございます」

 短いやり取りだった。


 次に。

 アルヴェンの視線が、ルカへ向く。

「候補生ルカ」

「はい」

 ルカがわずかに背を正す。

「民間人保護を優先した判断、及び囮行動は評価します」

 ルカは僅かに顔を上げる。

「しかし」

 静かな声だった。

「自己損傷は感心しません」

 ルカの視線が落ちる。

「状況次第では、次戦闘不能へ直結します」

 言葉は淡々としているのに、逃げ道がない。

「あなたが倒れれば、次は誰かを守れなくなる」

 ルカは唇を噛む。

「……ですが」

 アルヴェンは一拍も置かず続けた。

「それでも前へ出たこと自体は、悪くありません」

「恐怖で足を止める候補生も多い」

 ここだけは、わずかに温度が下がる。

「その点は評価しています」

 ルカは少しだけ目を見開いた。

 完全な否定ではなかった。

 アルヴェンは書類を閉じる。

「総合評価として、両名とも試験続行可能と判断します」

 その言葉のあと、わずかに間が落ちた。

 クレアが静かに口を開く。

「次課題の説明を」

 アルヴェンが頷く。

「第二課題ですが」

 空気が引き締まる。

「現在、ある村で複数名が昏睡状態に陥っています」

 ルカの表情が僅かに動いた。

「既に数名、討伐に失敗し帰還していません」

 クロードが眉を寄せる。

「……候補生でやる内容ですか?」

「だからこそ試験です」

 アルヴェンは迷いなく答えた。

「悪魔は、待ってはくれません」

 短い沈黙。

 クレアが二人を見る。

「出発は明朝です。準備を」

 淡々とした声。

 ルカはゆっくり拳を握る。

 クロードは椅子へ深く背を預け、小さく息を吐いた。

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