迷いながら
帰還の道中、誰も言葉を発さなかった。
足音だけが、乾いた地面に落ちていく。
クロードは何度かルカとクレアへ視線を向けた。
その場に漂う重い空気を見て、何度か言葉を探すように唇を動かした。
だが結局、それは形にならないまま消える。
エドとノクトもまた、気づいているようだった。
それでも、踏み込むことだけは選ばなかった。
―――
その夜。
疲労の残る身体のまま、ルカ達は会議室へと呼ばれた。
扉が閉まると、空気が一段重くなる。
誰も椅子に深く座らない。
部屋の奥で、アルヴェンが資料を静かに閉じた。
「第四課題についてですが」
静かな声が、部屋に落ちる。
「対象ノエルの討伐を確認しました」
短い沈黙。
ルカは無意識に拳を握りしめる。
「候補生ルカ、クロード」
一拍置いて。
「第四課題、合格とします」
空気がわずかに動いた。
だが、誰も大きくは反応しない。
アルヴェンは続ける。
「なお、候補生エド、ノクト」
二人の視線が上がる。
「貴方達はこれにて最終試験終了です」
アルヴェンが静かに言う。
「正式に悪魔祓いとして登録されます」
一瞬、時間が止まったようだった。
「……マジ?」
エドの声が、ようやくその静寂を破る。
ロザリアは軽く肩を竦めた。
「マジよ」
エドは大きく息を吐き、天井を仰いだ。
「うわぁ……終わった……」
力の抜けた声。
ノクトはわずかに視線を落とし、ほんの少しだけ口元を緩めた。
会議室を出たところで、エドがルカの肩を軽く叩いた。
「お前らも、絶対なれよ」
珍しく、冗談のない声だった。
「待ってるから」
ルカは一瞬、言葉を探すように目を瞬かせる。
「……ああ」
それだけだった。
エドは軽く手を振ると、ノクトと並んで歩き出す。
廊下の奥へ、二人の背中が遠ざかっていく。
ルカは、その背中を目で追ったまま動かなかった。
隣で、クロードが同じ方向を見る。
視線は一瞬だけ留まり、すぐに切り替わった。
「行くぞ」
短く、それだけ言う。
ルカは小さく頷き、クロードと並んで歩き出した。
―――
それから数日。
ルカは、うまく眠れなくなっていた。
目を閉じても、意識だけが妙に冴える。
食事も、自然と減った。
皿に手をつけても、途中で止まる。
気づけば、ぼんやりと考え込んでいる時間が増えていた。
ノエルの言葉。
セドリックの名前。
今まで討ってきた悪魔達の顔。
それらが、頭の中で何度も重なっては離れない。
悪魔を討つ意味。
人を守る意味。
問いだけが残り、答えはどこにも見つからなかった。
自分は、何のためにここにいるのか。
悪魔祓いを目指す理由さえ、少しずつ薄れていく。
続けたいのか、それすら分からなかった。
―――
夜。
部屋の中は静かだった。
クロードはベッドへ腰掛けたまま、ルカを見る。
ルカは机へ向かったまま、ぼんやりしていた。
「おい」
ルカが顔を上げる。
クロードはわずかに眉を寄せていた。
「本当にお前、大丈夫か」
ルカはすぐには答えられなかった。
大丈夫だと、言おうとする。
けれど、喉の奥で止まる。
沈黙が落ちた。
やがて。
「……大丈夫じゃ、ないかも」
小さく零れる。
クロードは静かに口を開く。
「お前が言ってたセドリックって、元悪魔祓いの兄だったんだろ」
ルカは小さく頷く。
クロードはそれを見て、迷いなく言った。
「話せ」
ルカが少し目を瞬かせる。
「これ以上、抱え込むな」
不器用な声だった。
それでもルカには、まっすぐ届いた。
ルカはしばらく黙った。
「……俺の村、過疎化しててさ」
ぽつりと零れる。
「子供、俺しかいなかったんだ」
視線が、自分の手に落ちる。
「親も仕事で忙しくて、一人でいることが多くて」
言葉が、一度途切れる。
「そんな時に、村へ悪魔祓いが来た」
「隣村の悪魔事件の調査で、しばらく滞在しててさ」
「その中に、セドリックがいた」
ルカはゆっくり息を吐いた。
「任務から戻るたびに、よく話しかけてくれて」
「外の街の話とか、色んな村の話とか」
「時々、描いたスケッチを見せながら、聞かせてくれたんだ」
「悪魔祓いは、そんな楽しい仕事じゃないぞって」
笑いながら言っていた声が、頭の奥でよみがえる。
ルカは膝の上で、そっと手を握りしめた。
「調査が終わって、帰る時」
「俺も悪魔祓いになるって言ったら」
そこで言葉が途切れる。
喉の奥が、きつく締まった。
クロードは一度も遮らなかった。
沈黙が落ちる。
「だから」
喉が詰まる。
「死んでるなんて、思わなかった」
声の終わりが、かすかに揺れた。
ルカは俯く。
視界が滲む。
頬を、熱いものが静かに伝っていった。
クロードはしばらく黙っていた。
それから、低く言った。
「クレア試験官も、お前も」
短い間。
「抱え込みすぎだ」
続けて、少しだけ言葉を選ぶように。
「考えるのはいい」
「でもな」
視線は逸れないまま。
「人には、話せ」
ルカは小さく息を吐いた。
胸の奥に残る重さは、まだ消えていない。
それでも。
ほんのわずかに、呼吸がしやすくなっていた。
―――
眠りには落ちきれなかった。
ルカは静かに部屋を抜け出す。
本部の廊下は、夜の灯りだけが淡く残っていた。
足は自然と、あの場所へ向いていた。
窓際。
前と同じ場所に、クレアがいる。
そこに行けば会えると、どこかで思っていた。
ルカは隣へ歩み寄る。
ルカは少しだけ距離を空けて腰を下ろした。
窓の外には夜の灯りが滲んでいる。
静かな光だった。
「クロードに、抱え込みすぎるなって怒られました」
クレアはすぐには答えず、わずかに目を細める。
「いい友人を持ちましたね」
静かな声だった。
ルカは少しだけ視線を落とし、それから意を決したように口を開く。
「……貴方には、話せる相手がいるんですか」
クレアの視線が、窓の外へ向く。
ゆっくりと口を開いた。
「もう、いないかもしれません」
淡々とした声だった。
ルカは小さく息を吐く。
「貴方にも、見つけてほしいです」
その言葉に、クレアがわずかに目を瞬かせた。
やがて、短く息を落とす。
「……検討します」
その言葉を聞いた瞬間、ルカの肩からほんの少しだけ力が抜けた。
短い沈黙が落ちる。
窓の外の夜灯だけが、静かに揺れていた。
ルカは視線を外へ向けたまま口を開く。
「俺、正直」
言葉を探すように、一度だけ息を吐く。
「悪魔祓いになるか、悩んでました」
クレアは何も言わず、そのまま聞いている。
「どう進めばいいのか、分からなくなって」
小さく息を吸う。
「でも」
そこで一度、間を置く。
自分の中で形を確かめるように。
「それを見つけるためにも」
「とりあえず、悪魔祓いを目指そうと思います」
ルカは言葉を続けた。
「また悩むかもしれないし」
「止まるかもしれないけど」
言い切った後、ルカは知らずに握っていた手の力を緩めた。
クレアは最後まで何も言わなかった。
ただ、窓の外に視線を向けたまま、わずかに息を吐く。
そのあとで、ほんの一瞬だけ。
口元がほどけるように緩んだ。
それは笑みと呼ぶにはあまりに小さかった。
けれど。
これまで見たどの表情よりも、柔らかかった。




