第十三話 闇の中
第十三話 闇の中
屋敷からはやや離れた場所。そこには旧世代に建てられた立体駐車場があった。老朽化でボロボロになったその屋上に、白い大きめの車が停められていた。その中で遡乃明美は窓から爆発した場所を眺めている。その眼差しに輝きもなく波の無い湖のように穏やかだった。
(助かるかもなんて思ったけど、これでいいのよこれで)
キセルから煙を吸ってゆっくりと吐き出す。
(羅剛が勝てばあいつ諸共死んで終わり。紅虎組が勝っても原因が門鞍にあると密告すればあいつは終わり。どっちに転んでもあのクソ野郎はこの世から消える。……私も一緒だけどね。けど死ぬなら痛くないのがいいな。拷問とかされるのはちょっと困るかな)
さらに葉っぱをキセルに足してふかし出すと少しだけ顔をほころばした。
(でもまあ息子の為とはいえ今まで世話になってた刹利を裏切った私の最後は碌な事にはならないだろうね。因果応報とはよく言うよ。だがそれでも譲れない。あの子を守るためなら悪魔にだって魂を売るさ。だから絶対に門鞍はここで消す)
鋭い目つきで外を見つめる明美。その先では血で血を洗う争いが繰り広げられ始めていた。
銃撃の音が響き、爆発の衝撃で車が震える。その一つ一つが自分への恨み節に聞こえてきていた明美は言葉に出来ない感情になり、それをキセルの煙と一緒に吐き出した。
「よう。待たせたな」
明美が外を眺めていた窓に、音も立てずに門鞍が現れた。しかも完全変態した巨大な狐の姿でだ。
「ひっ」
その牙を剥き出しにした歪んだ笑みに、さっきまで落ち着いていた明美は悲鳴を上げてしまう。
「ここはいいからお前らも援護に行ってきな」
明美の見張りとして付いていた男達に指示を送る。もう一台用意してあった車に駆け足で乗り込んみ戦場に向かっていった。
「ほら出ろよ。ここからの眺めは悪くないだろ?」
ドアを開けた門鞍は明美の手を掴んで引っ張り出すと、眼前に広がる騒乱の様子を楽しむように見渡した。
「……なんで今ここにあんたがいるのさ」
下から覗き込むように明美が言葉を絞り出す。その右手は胸の辺りの服を強く握っている。それを聞いた門鞍はさらに嬉しそうに目を輝かせて明美を見下ろす。
「どこにいようと俺の勝手だろ。それともここにいちゃなにかまずい事でもあるのか?」
その発言になんとか目を逸らさずに受け止めて静かに唾を飲み込む明美。
「確かに俺も立場ある人間になったんだ。こんなとこで油売ってるのはダメだわな」
幹部になった上に大見得きって出てきた門鞍。なんらかの成果を出す必要があるのだが、ここは戦場とは言い難い離れた場所だ。役に立たなかったという汚名どころか一人安全な所に逃げた卑怯者とすら思われる可能性がある。
そうなれば門鞍は組の中に居場所は無くなってしまうし、場合によっては破門だって有り得る。
「でもだ。それでも先にお前に感謝しておきたくってよ。俺を盛り立ててくれてありがとう」
感謝の言葉を聞いて「そんなまさか」と顔を青ざめさせていく。
「刹利を裏切ってくれてありがとう。おかげで俺は幹部になれた。拠点を教えてくれてありがとう。おかげでチンピラの集まりだった俺の部下もまともな兵隊になった。警察に逃げ込まずにいてくれてありがとう。おかげで説得力が生まれた」
血の気の引いた明美はその体全体を細かく震えさせていた。ガチガチと歯があたる音が門鞍にまで聞こえ出している。
「そして敵を呼び込んでくれてありがとう。まさに計画通りだ」
「いつから……いつから分かってたの?」
体から何とか力を振り絞って言葉を紡ぎだす。
「俺は気付いてなかったぜ? 自分もろとも俺を消そうとするなんて大それた事をお前がするなんて思ってもみなかったな。うまいこと騙されてたわけだ。でも残念ながら俺の参謀は優秀でな。初めてあの坊主、斗夢だったか。あいつの名前を出したときにお前が取り乱したのを見てこうなる可能性を指摘してくれたのよ」
「最初からこうなると知っていて私を傍に置き続けての?」
「こうなってほしかったから、だ。これを返り討ちにできりゃあ幹部としての地位は安泰。上手くやればトップだって見えてくる。ホントお前はいい女だぜ明美」
斗夢を盾にして明美を脅したのは一月以上も前の話だ。そんな時から裏切る事も抗争を悪化させる事も読み切っていた者がいたという。
青ざめた明美の視界は色を失いだし、全身に力が入らずに膝から砕け落ちた。
決死の覚悟で挑んだ明美の計画は失敗に終わる。それどころか門鞍を消す為に築き上げたものが利用され、出世の糧にされてしまう。
「おっとまだ気を失うには早いぜ」
崩れ落ちそうになった明美の襟を掴み無理やり立たせる。彼女は抵抗もせずに力無く軽々と吊るされる。
無念。その文字が顔に書かれているかのように悲哀と虚脱感が体中からにじみ出ていた。
「俺様はよ。綺麗なものをみるとどうしても汚したくなるんだ。雪が降れば足跡を着けずにいられなくなるし、真っ白な紙をみれば落書きしたくなる。これが気持ちいいんだよ。特に美人の顔を歪ませるなんてのは酒や薬より愉快になれるぜ」
門鞍は脱力してしまい下を向いている明美を自分の顔より高く上げてその表情を覗き込む。
「その中でもお前の苦しそうな顔は最高だ。おっ起っちまってゾクゾクするぜ」
目はランランと輝き、牙を剥き出しにして、舌も垂れて息が荒くなっていく門鞍。
明美の顔をみる巨大な狐と化した門鞍は、空腹の最中に最高級の肉を目の前にした獣にしか見えなかった。
「お前でもっと遊びたいところだが、残念ながらこれ以上は邪魔になる。警察にブラックガードを売ったってのは流石に俺様の看板に傷が付く。でも張本人さえいなくなりゃどうとでも誤魔化せる」
鋭い爪が伸び、それが明美の喉元に突き付けられる。だがそれに明美は反応すらしなかった。
「ちっ。……そうだ、いいこと思いついたぞ」
無反応だったことが面白くなかった門鞍は一瞬不機嫌そうな顔になったかと思うと、また悪そうな笑みを浮かべた。
「かつて愛した女だ。一人で死ぬのは寂しいだろう? お前の大好きな息子も一緒に送ってやるさ。なぁにこの俺様の為にしっかり有効活用してから殺してやるから安心しろ」
その言葉を聞いた瞬間明美の目に火が灯る。掴まれていた上着をするりと脱ぎ捨てて拘束から脱すると足元にあった尖った瓦礫を片手に門鞍へと襲いかかる。
そして渾身の力を込めたその一刺しは門鞍の腹部に突き刺さった。
ほんの僅かに。
「ざんねん」
笑った顔のまま門鞍は乱雑に明美を振り払う。そして明美は転がりながら数メートル先のフェンスに激突した。
「お前にこんな芸当が出来るとは。なんだっけか。窮鼠猫を噛むか? だが所詮ネズミが噛んだ程度でどうにかなるもんでもないよなぁ」
普通の人間なら重症になるだろう一撃だったが、変体することで尋常でないタフさを得るバリアント。そんな門鞍相手ではかすり傷にしかならなかった。
「許さない。あの子に手を出すのだけは……絶対に……」
さっき飛ばされた衝撃で既に体のあちこちが悲鳴をあげ、頭からは血が滴り落ちている。それでも闘志を失わずに明美はその手を伸ばしていた。
「あんたがいたら……安心……出来ない。幸せ……あの子に…………いらない」
「いいね。始めて見る顔だ。出来ればその表情のまま死んでくれよ――」
門鞍はその爪を伸ばし、身体に力を込める。
殺意を向ける明美。終わらせようとする門鞍。
「おっとそこまで」
そしてその間に忽然と流星が割って入った。
「ギリギリだったけど間に合ったな。あとは任せな」
フェンスにもたれるように倒れている明美は流星を見るとそのまま意識を手放した。それを庇うように前に立つ流星。チラリとその状態を見てすぐに半身のまま門鞍に顔だけを向ける。
「チッ。いいところで邪魔しやがって。いつまでも俺様の周りをウロチョロしやがってウザいんだよテメェ」
「自意識過剰もいいところだな。別にお前みたいな三下野郎を付け回してねえよ」
「減らず口が。それにしてもお前どこの差し金だ? 刹利かそれとも羅剛か? まさかその面で警察ってことはないよな」
流星は帽子のツバに手を添えて体を改めて門鞍に向きなおす。
「俺はいたいけな少年の願いを叶えるサンタさんだよ。代行屋『ナガレボシ』以後よろしく」
帽子を取って仰々しくお辞儀をして挨拶をする流星。
「言う気がないならそれでいい。ここで死ぬのは変わり無いんだからな!」
流星の挙動がふざけたものに見えた門鞍は怒りを持ってその爪を流星へと突き立てようとした。
だがあと一歩という距離まで詰めるとそこで急停止して後ろに飛びのいた。
「てめぇそこまで使えるのか」
門鞍の警戒度が一気に上がっていく。なぜなら攻撃を加えようとしていた流星の周囲を囲うように糸が張り巡らせれていたからだ。
一本なら見えづらいはずの糸。それがこの薄暗い中で視認できるほどの密度で展開されている。百本どころか数千を超える量だ。
それが出来るということは覚醒者として覚醒度が高いことを示していた。
「数多く操れるのは俺の自慢なんだ」
「だが所詮かぼそい糸だ。この俺様の敵じゃねえ」
その数に驚いた門鞍だったが改めて構えなおす。多いといっても所詮糸。先の逃走劇で引きちぎれる程度の強度なのは確認済み。どれだけあったとしてもこの鋭利な爪で切り裂けばなんの問題もない。
「まあ待てよ。これから楽しい事が始まる。それを見てからでいいだろ?」
手のひらを向けて静止を呼びかける。
「……なんの話だ」
襲い掛かる気満々だった門鞍だが余裕を見せる流星の様子に話をつい聞いてしまう。
バリアントは他の生物の特徴を取り込んで変体する覚醒者だ。そして覚醒度が上がれば上がるほどその戦闘能力は確実に上がっていく。全身を変化させて尚且つ巨大化まで出来ている門鞍はそれだけで脅威だとわかる存在だ。
なのに目の前の男は怯むことなく堂々と立っている。それが逆に門鞍の警戒度を上げていく。
「決まってるだろ、悪者がこんなに集まってるのなら始まるのは――」
しかもその口はうっすらと笑っているようにも見えた。
「愛と勇気のヒーローショーだよ!」
両手を上げて声を上げる流星のその先。真っ暗な夜空に輝く星が地上に向かって流れ落ちていた。




