朝焼けとお菓子
螺旋階段を駆け抜け、旧校舎を出た。
校門横に置いてある錆びたママチャリにまたがり、荷台についた汚れをパッパとはらうと、リリィに後ろに乗るように合図した。
「私、自転車って初めて乗る」
「何年生きてんだよ」
「死神って、飛べるから」
「そりゃ乗る必要ねえわ」
「でも、面白そうだから乗る」
リリィが乗ったことを確認すると、自転車を漕いだ。
ペダルは一人乗りのように軽く、驚くほどスムーズに、向かい風を受け始めた。
不安定な車輪は、小さな石ころですら簡単にぐらつく。
リリィは僕の服の端を掴むと、バランスを取った。
「そういえばキミ、怖くないの?私、一応死神なんだよ」
背中から伝わってくるリリィの声。僕は振り向かずに淡々と答えた。
「リリィなんかより、クラスメイトたちの方がよっぽど怖いよ」
「キミ、変わってるね」
「リリィよりはましでしょ」
「それもそうだね」
街はまだ静か。
僕たち二人だけがこの世界にいるかのようで、妙に居心地が良かった。
上り坂に差し掛かった。
住宅街に沿ったこの坂道は、街で一番の難所の一つである。
筋肉がない側の人間である僕に取っては当然、地獄のような坂道だ。
フラフラと横にハンドルを取られながらも、必死に漕ぎ続ける。
後部座席からは「ほらほらあともうちょっとだよ。頑張ってー」と気楽な声が聞こえてくる。
振り返って文句の一つでも言いたいが、そんな暇も余裕もない。
息を切らし、パンパンになった太ももを動かし続け、ようやくそこに辿り着いた。
「はぁ……はぁ……間に合った……」
「ん?何が?」
僕の横からリリィがひょっこりと顔を出した。
「これ、見せたかったんだ」
僕たちを迎えたのは、夜の青と太陽の赤が混ざり合ったような、朝焼けだった。
リリィは何も言わなかった。
しばらく経って、どうしても彼女の表情が気になって、そっと後ろを振り返ってみた。
リリィの目は潤んでいるように見えた。
自転車から降りると、僕の隣に並んだ。
日差しに照らされ始めた横顔は、僕の目には到底死神とは真逆の存在に映った。
「とても綺麗だね」
リリィはそう呟いた。
僕は静かに頷く。
「そうだね」
次の言葉が思いつかない。
お互いに何も話さない時間。
でも、居心地が悪いわけじゃなかった。
誰かと一緒に浸るのも、悪くないのかもしれない。
そんなことを思っていると、腹が鳴った。
昨日の夕方から何も食べてないからだ。
僕はリリィに尋ねた。
「お腹すいた?」
「死神はお腹は空かないかな」
「食べたりは?」
「一応出来るよ。意味はないけどね」
「充分充分」
僕はリリィを連れ、コンビニへと向かった。
買えるだけのお菓子、二人分の飲み物、レジ前で肉まんを二つ追加して、店を出た。途中、奇異な目を向けてくる店員と目を合わさないようにしながら。
「今さら言うけど、私、他の人には見えないからね」
「いや、頼むから先に言えよ。『何食べたい?』とか普通に言っちゃっただろ」
「あの人の顔、面白くってさ」
「勘弁してよ……もうあのコンビニ行けないじゃん」
近くの公園に入り、ベンチに腰を下ろすと、僕たちは買ったばかりの肉まんを分けあった。
白い湯気が、リリィの頬を包み込む。
死神のくせに、彼女の顔は少しだけ赤くなっていた。
「……あったかいね」
「へー熱さはちゃんと感じるんだ」
「私のこと、なんだと思ってるの」
「死神でしょ」
「キミ、冷めてんね」
リリィは少し頬を膨らませた後、見た目に似つかわしくないほどに大きく口を開け、肉まんをわずか三口で食べ終えた。
その様子に唖然としつつも、僕も急いで肉まんを食べ終えた。
「ほら、まだまだいっぱいあるからさ。食べなよ」
「いいねー」
続いて僕たちは、お菓子の袋をどんどん開けて、小さなお菓子パーティを開いた。
「味はどう?」
「んー分かんない……でも……」
「でも?」
「こういうのって、なんかいいね。リリィもこういうことがしたかったのかな」
「かもね。僕も誰かとご飯なんて久しぶりだよ」
「なんで?お母さんとかはいないの?」
「僕は前の父さんとの子供だから。妹だけ連れて行かれちゃって、それ以来ずっと一人暮らしなんだ」
「ふーん。複雑ってやつだね」
「まあそんな感じ」
リリィは相変わらずとてつもないスピードでお菓子を口の中へと放り込んでいく。
お腹は空かないっていう話だったし、胃袋なんてものも、当然ないのかもしれない。
待て。
なら、食べたお菓子はどこに行くんだ?
そんな疑問を抱きつつ、僕はリリィを見つめていた。
「早く食べないと、無くなっちゃうよ?」
お菓子の袋にはもう、ほとんど残りカス程度しかなかった。
「いや、もうないじゃん」
「いや、まだあるじゃん。ほら、この辺とか」
「そんなの残ってるって言わないって」
「もったいないなー」
丁度その頃、街は少しずつ活気づき始めていた。
出社し始めるサラリーマンたち。
ジャージを着て、朝練に向かう学生。
ガタンゴトンとゆっくりと動き始める電車。
犬の吠える声。
みんなが朝を迎え入れ、それぞれの活動を始めていた。
僕にとって凄く羨ましいことで、同時に一番否定したいことでもある。
「このままでいいのかな」
呟いて、僕は慌てて口をつぐんだ。
僕自身にとっても、思わぬ一言だったから。
……いやーな気配を感じる。これは間違いなく、リリィからのものだ。
リリィは、悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべていた。
「可愛いとこあるじゃん」
「うるさいなー」
「照れなくていいって」
「照れてないって」
リリィは「ほれほれー」と言いながら、僕の頬を人差し指でぐりぐり押した。
変な表現になるけど、嫌だけど嫌じゃなかった。




