とにかく走れ。
改めて下を覗いてみても、リリィがいた痕跡すらない。
この状況、僕はどうするべきか。
警察に?こんな話、信じてもらえないだろう。仮に信じてもらえたとして、証明出来ることなんてない。
先生に?そもそもあんな時間に旧校舎にいることを怒られて終わるのが積の山だろう。
親に?もう何年もまともに話してないのに、今更?
妹に?何も解決しないだろう。
じゃあ友達は?そんなのがいたら、一人でこんなところにいないだろう。たぶん。
誰かに頼る選択肢はない。
一応、何もしないという手もある。
でも、目の前で人が飛び降りていなくなるなんて、気にならないはずもなかった。
他にも気になることはいくつかある。
僕は次の日も、同じ時間にまた旧校舎へと向かった。
時間が経つにつれて、不思議ともう一度リリィに会えるような気がしていた。
これはただの直感で、なぜかと言われると答えられない程度のもの。
でも彼女は飛び降りる前、僕に名前を教えたんだ。
最初「明日も会うわけじゃないんだから」って断ったくせに。
だからこそ、確かめたかったんだ。
僕は屋上の扉を開いた。
リリィはそこにいた。
昨日のように平然と寝そべって、空を見上げていた。
僕に気づくと、うっすらと笑顔を浮かべた。
「ヤッホー」
「……何がヤッホーだよ」
「来ると思ってた」
「嘘つけ」
悪態をつきながらも、僕は吸い込まれるように、リリィの隣に座った。
どう考えてもおかしな状況なのに、僕は冷静だった。
「なんで生きてるんだよ」
「言ったじゃん。人間じゃないって」
「じゃあ一体なんなんだよ」
「私、死神だから」
「しに……がみ……?」
まさか、いや、少しは想像していた。
死神は人が死ぬ直前に姿を現す、なんてことを聞いたことがある。
もちろん、そんなのは今の今まで僕も信じていなかったけど。
昨日飛び降りたはずのリリィがここに平然といるのならば、そんな突拍子もない存在だって充分あり得る。
そしてそんな存在が僕の前に現れたのだって、理由は分からなくもない。
なぜなら昨日、ここで飛び降りようとしていたのは……
僕だったから。
でも目の前でリリィが飛び降りて、死を実感して、怖くなってやめたんだ。
「死神だとしたら、どうしてキミは飛び降りたの?」
「どうして飛び降りちゃいけないの?」
「だっておかしいじゃん。死神って……人を……殺すんだろ?それなのに、昨日のあれはまるで……」
「キミの代わりに落ちたみたいじゃんって?」
「……まあそうだけど」
いざそう言われると、僕には返す言葉もなかった。
リリィは、僕を見透かすように見つめていた。
「死神っていうのは、人の寿命を吸って生きてるんだ。例えば、あと一年で死ぬ人間を殺しちゃえば、その一年分が寿命として貰える。私たちは人の寿命が見えるからね。いっぱい生きたいなら、長く生きる人を殺しちゃえばいい。それに、誰を殺したっていい。生まれたばかりの赤ちゃんを殺すのが趣味な奴もいるし、世直しだーって言って悪い人間を殺すのがメインのやつもいる。まあ私はそんなの興味ないから、死にたいって願ってる人だけを殺してあげてた」
「じゃあなんで、僕は殺してくれなかったんだよ?」
「私、飽きちゃったんだよね。殺すの」
リリィは淡々と続ける。
「このリリィっていうのはさ、私が最後に殺した女の子なんだ。死神っていうのは、最後に殺した人の姿を借りて生きていくの。リリィは小さい頃から病気で、ほとんど寝たきりの人生を過ごしてた。ずっと窓の外の鳥の数を数えて過ごすだけ。十六歳になった時に病気がさらに悪化して、そんな時もリリィはずっと一人ぼっちだった。だからリリィは願ったの。『早く死にたい』って。そして私がリリィの願いを叶えてあげた。まあそもそも、リリィの寿命なんて後一週間もなかったし、私が殺しても殺さなくても、どうでもよかったんだけどね。でも、いざ死ぬ瞬間、リリィはなんて言ったと思う?」
「……なんて言ったの?」
「『生きたい』だってさ。おかしいよね。さっきまで死にたがってたくせに、最後にはやっぱり生きたいだなんて。でもさ、私思ったの。今まで私が殺してあげてた人たちも、みんな本当は最後は生きたいって思ってたのかなって。そう思ったら急に、殺すの飽きちゃった」
「優しいんだね」
「そう?ただ自分勝手なだけだよ。あっ!でもそのおかげで一ついいことを学んだんだ。人を少しでも生きながらえさせる方法!何だと思う?」
「いや、分かるわけないじゃん」
「つまんないなー。ちょっとは考えなよ。まあいいや。答えは簡単『死ぬのは怖い』って思わせればいいの。人間のあらゆる負の感情よりも、死への恐怖が上回れば、人間は皆必死に生きようとするんだよ」
「人間ってそんなに単純なのかな?」
「分かんない。でも?キミは今どう思ってるの?」
言われて僕は、うまく答えることは出来なかった。
ただ黙って、首を軽く捻った。
リリィは「そっか」と呟く。
「……でも死神なのに、人を助けてもいいの?」
「おっ!いい質問だね!答えはねー「助けちゃダメ」なんてルールは無い、だね」
「なんか回りくどいな」
「ふふふ。まあね。死神っていうのは自由な社風の職場だから」
「どうやって就活したんだよ」
「でも、デメリットもある」
「デメリット?」
「人を殺してその残りの寿命をもらう、の反対だね。人を生かせば……人を定められた死の運命から逃せば、その伸びた寿命の分だけ、死神の寿命は減る」
「えっ?」
月を雲が隠し、辺りから完全に光が消えた。だが、リリィの瞳の色だけは、はっきりと分かるほどに赤く輝いていた。
「私は、明日死ぬの」
「そ……そんな……」
「気にしなくていいよ。これは私のただの好奇心だから。明日死ぬって、どんな気持ちになるのかなって。だからキミを選んだの。私の命が丁度明日終わるように」
リリィの体が一瞬、薄くなったように見えた。それは、テレビの映像が乱れるような刹那的なものだったけど、リリィの言っていることが本当だということは理解出来た。
「勝手すぎるだろ。僕は昨日死のうと思ってたのに。その僕を生かして、自分は明日死ぬだなんて……。あんなの見せられたせいで、僕は死ぬのが怖くなったっていうのに……」
「ふふふ。ごめんね。死神に目をつけられた人は、不幸になるってのが相場だからね」
「確かに不幸だよ。僕の命を勝手に救った相手が、僕のせいで明日死ぬんだもん。そんなの不公平だ」
「だったら、どうする?」
どうするって言われても。
正直ほとんど脊髄反射で答えていた分、僕にこれというアイデアなんてものは浮かんでこなかった。
僕は人生で一番と言っていいほどに脳みそをフル回転させた。
僕は確かに昨日死にたかった。でも別にそれを止めたリリィを恨んでいるわけではない。
もちろん、感謝もしていないが。
だから別に仕返しだなんだなんてものをする気はない。でも、リリィがもしも死神らしく、悟ったように死んでいくとしたら、なんだかそれは……悔しい。
だったら、やることは一つしかない。
「決めた!リリィには明日、人間らしく死んでもらう!」
「人間……らしく……?」
リリィは初めて、呆気に取られた顔をした。
だんだんとその表情は笑顔へと変わっていく。
一つ大きく笑い声を上げると、こう言った。
「キミ、面白いこと言うね。……でも、そうだね。私、知ってみたいな。人間らしさって言うものを。そうすれば、リリィの気持ちも、ちょっとは理解出来ると思うから。......でも、どうやって?」
どうやってって言われても。
また同じ展開だ。我ながら、でまかせばっかり言ってるなとつくづく思う。
僕は普段こんな性格ではなかったはずなのに。
寿命が伸びたせいで、僕の中の何かが変わったのかもしれない。
僕は……
救われてしまったから。
「行こう!」
僕は立ち上がり、リリィに手を伸ばした。
「どこに?」
「分かんない!」
「そういうの、いいね」
リリィは僕の手を取った。
体温がないかのように無機質なその手は、ありのままに僕を受け入れている。
僕たちは走り出した。




