36話 妄執に捕らわれた山神
◆覚醒する山神◆
「孤児たちがアラン様にかすめ取られた時は、山神の覚醒は失敗したと思いましたが――」
ジャミールが、喉の奥で笑いを転がすようにニヤリと口角を上げた。
「まさかアントニオ様が、その“穴埋め”どころか……あなたへの執着までも山神に吸収されるとは。
おかげで山神様は、どこへ逃げようと永遠にあなたを追いかける“特典つき”になりましたよ、伯爵」
「ジャミール、貴様……目的は山神の不完全な覚醒ではなかったのか?」
「ええ、不完全な覚醒ですとも。ただし――」
ジャミールの声は、恍惚とした信徒のそれだった。
「人間を吸収させ、憎悪・恐怖・嫉妬……そういった負の感情を混ぜ込むことで、山神様の攻撃性を高める。それが本来の目的でした。 あなた方が“神を利用して家の名誉を回復しよう”などという不敬を働いた以上、当然の報いでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、バレリーニ伯爵の顔から血の気が引いた。
数十年前の封印戦。 あの時の山神は、鬱陶しげに兵士を手で払う程度で、ほとんど反撃らしい反撃をしてこなかった。 だからこそ伯爵は、今回も同じだと高を括っていた。
――だが。
山神の巨体が、瓦礫の山の向こうでぬうっと動いた。 その目が伯爵を捉えた瞬間、色が変わる。
濁った金色が、まるで“獲物を見つけた”と告げるように細められた。
――父上ェェェ……
アントニオの声を模した呼び声が、空気そのものを震わせる。 伯爵の背筋が凍りつき、喉がひゅっと鳴った。
ブオンッ!
山神が腕を振るった。 ただそれだけで突風が巻き起こり、瓦礫が空へと跳ね上がる。 伯爵は腰を抜かし、尻もちをついたまま必死に後ずさった。
「よ、よせ……来るな……!」
山神の影が覆いかぶさる。 伯爵は這いずって逃げようとしたが、足は震え、声は裏返り、もはや貴族の威厳の欠片もなかった。
次の瞬間――地面が沈むような重い衝撃が走り、視界が瓦礫の粉塵に包まれた。
その後に残ったのは、瓦礫に埋もれた伯爵の動かない姿だけだった。
「ぉ……お……おおおぉぉぉーーー!!」
山神の咆哮が響く。 それが“父に褒めてほしい子の叫び”なのか、“裏切られた息子の怨嗟”なのか―― 今となっては誰にも分からない。
バレリーニ騎士団の兵士たちは、複雑な表情で伯爵の最期を見つめていた。
恐怖、安堵、怒り、哀れみ……どれともつかない感情が入り混じる。
そんな中、ジャミールだけは静かに、そして心底愉快そうに笑っていた。
「この世の自浄作用たる神を、人間ごときが封じるなど傲慢の極み。 まして今回は、養子の名誉回復のために覚醒させたり封印したり……神を道具扱いとは、家が滅ぶのも当然でしょう」
ジャミールは伯爵の遺体を見下ろし、満足げに息を吐いた。
「……あとはアラン。 あなたさえ消えれば、大罪の血筋は完全に断たれる」
その声は、長年抱えてきた信仰と憎悪が結晶化したような、狂気を孕んだ笑いだった。
山神の咆哮が静まり、粉塵がゆっくりと地面へ落ちていく。 その巨体は、まるで何かを探すように、ぎこちなく首を巡らせた。
その足元には、もう動かないバレリーニ伯爵だったモノ…
その姿を見下ろした山神の瞳から、“アントニオとしての最後の感情”が、ふっと抜け落ちた。
父に褒められたいという幼い願望も、父に認められたいという焦りも、父に裏切られたという痛みも――すべて、伯爵の死とともに消えた。
残ったのはただひとつ。 アランへの、歪んだ憎悪だけ。
「……ア…ラ………ン……」
その名を呼んだ声は、もはや人のものではなかった。 怨念の底から絞り出したような、濁った響き。 山神の体表に走る赤い紋様が、脈打つように光る。
アントニオが生前抱いていた嫉妬、劣等感、執着――それらが山神の負の力と混ざり合い、ひとつの“標的”へと収束していく。
「アラン……アラン……アラン……!」
呼ぶたびに声は濁り、呼ぶたびに巨体は震え、呼ぶたびに殺気が濃くなっていく。
そして――
山神は、ゆっくりと、しかし確実に方向を変えた。 向かう先はただひとつ。
ラホ村、アランがいる場所。
「アラン……奪った……奪った……全部……!」
地面が揺れ、瓦礫が跳ね上がる。 山神の足が一歩踏み出すたび、地面に亀裂が走った。
その歩みは、怒りに任せた暴走ではない。 もっと冷たく、もっと確実で、もっと執念深い。
まるで――“アランを殺すためだけに作られた存在”のように。
ジャミールはその背を見送りながら、恍惚とした笑みを浮かべた。
「行きなさい、山神様……あなたの中に残った“最後の人間の願い”を果たすのです。 アランを殺し、神に抗った大罪の血を絶やしなさい」
山神は返事をしない。 ただ、ラホ村へ向かって歩き続ける。
◆ミリアの真意◆
アランはアントニオが村から出て行った時の事を思い返していた。
(アントニオは絶対にまた来る、僕だったらあそこまでミリアにコテンパンにされたら恥ずかしくて来られないけど……)
自分の名誉を挽回するためなら、あの男は手段は選ばない。 そそう考えると、次に何らかのの手を打ってくるのは時間の問題だった。
だからこそ、アランは村を守る準備を考えていた。
「アラン様、そんなに警戒なさらなくても……」
リリアナがぱっと明るい声で近づいてくる。
「だって、ミリアちゃんがいますし! あの厭味ったらしい男なんて、もう二度と来ませんよ!」」
横でラピスが呆れたようにため息をつく。
「リリアナ、あなたは少し楽観的すぎますわ。あの男、しつこさだけは一流ですのよ」
「えぇ〜? でもミリアちゃんがいれば平気ですって!」
リリアナは本気でそう思っているらしい。しかし…
「ダメだ」
アランは静かに首を振った。
「ミリアは……もうラホ村の一員だ。 村を守るのは僕の役目だよ。 ミリアを戦わせるなんて、そんなことはさせられない」
リリアナは一瞬だけ驚き、納得して頷いた。
「……アラン様って、優しいね」
「そのお気持ちは尊重いたしますわ。ですが、無茶はなさらないでくださいませ」
ラピスも小さくうなずいた。
その時、背後から声が聞こえた。
「……アラン……」
振り返ると、いつもの無表情のミリアが喋っていた。
「ミリア…喋れるの?」
ミリアはアランをじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。 しかし次の言葉で、空気が一気に変わった。
「アラン、ギフト……」
「えっ」
アランが固まり、 リリアナはなぜか頬を赤らめる。
「アラン様にギフトを……? え、えっと……それって……その……」
リリアナは指先をもじもじさせながら、妙に含みのある視線をアランとミリアに向ける。
「な、なんか……それって……きゃーー!」
「リリアナ、それはあなたが思っているようなことではないですよ…ですよね」
ラピスがだれに聞いているの?と思わず突っ込むような事を言うが、もちろん誰も答える者はいない。
「だって、アラン様にギフトって…… ミリアちゃん、もしかして……」
アランが慌てて遮る。
「リリアナ、違うから!」
「……解ってます、アラン様、妹のミリアちゃんの事を末永くよろしくお願いします…」
リリアナの言葉を聞いたラピスから氷のような殺気が漏れ出た。
「よろしくを、あっという間に終わらせましょう」
「ラピスまで何を……!」
ミリアはそんな二人の反応を気にする様子もなく、アランへ一歩近づく。
「アラン……ギフト……」
そしてアランの服の裾をつまむ。 リリアナが小さく悲鳴を上げる。
「み、ミリアちゃん……! そんな……急に距離近い……!」
「アラン様に触れるなんて……おのれ……!」
「いや、だから違うってば!」
アランが必死に否定する中、視界の端に例の文字が浮かんだ。
――《マスターギフト ……エラー》
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