35話 バレリーニ家、崩壊の序曲
◆覚醒の余波◆
「当主様、魔物の森から魔物が町になだれ込んできます!」
「バレリーニ騎士団を至急集めろ!……アントニオは何をしている」
「はっ、アントニオ様は兵士百名を伴ってラホ村へ向かったとのことです!」
「ラホ村だと? アランの村か……アントニオは放っておけ! それより町の状況はどうなっている!」
魔物の森では、山神の覚醒により、森に棲む魔物たちが一斉に逃げ出していた。
「当主様、森からフレイムベアに続き、奥地からニードルアーマーの群れが確認されました!」
「ニードルアーマーだと!? あれは魔力の濃い森の奥でしか生息できんはず……魔力の薄い町に出てくるなど……!」
本来なら、魔力の薄い町は魔物にとって“酸素の薄い死地”のような場所だ。
そこへ命を投げ捨てるように突っ込んでくる様は、まさにスタンピードと呼ぶほかない。
「当主様、魔物が町へ押し寄せている原因が判明しました! 魔物の森で巨大なロックゴーレムが暴れていると、冒険者ギルドから報告が!」
「ロックゴーレム……いや、山神か。だが、おかしい。数十年前に封印した時、山神は暴れたりしなかった。なぜ今回は……」
山神は耐久力こそ高いが攻撃性は低い。 だからこそ伯爵は、山神の再封印をアントニオの名誉挽回に利用できると踏んでいた。
バレリーニ家の兵力を投入し、日数をかければ、未熟なアントニオでも“英雄”に仕立て上げられる――その計算だった。
しかし、その目論見は完全に外れた。
町ではすでに地獄が広がっていた。 フレイムベアが建物を薙ぎ倒し、ニードルアーマーが視界に入るものすべてを破壊しながら突進してくる。
「全員突撃!! 魔物を足止めしたのち、各個撃破に移れ! 町を守れ!!」
「「「はい!!」」」
だが、兵士たちの気迫もむなしく――フレイムベアの一撃で即死、ニードルアーマーの突進で瀕死。
ほとんど戦闘にならない。
町は瞬く間に阿鼻叫喚と化し、 燃え盛る建物、倒れ伏す兵士、かろうじて生き延びた者たちだけが残された。
バレリーニ伯爵は悟る。
――これは、アントニオの名誉挽回どころではない。 ――山神の覚醒そのものが、想定を遥かに超えている。
◆守れぬ兵、燃え落ちる町◆
「生き残っている者は、魔物から私を守れ!! 一歩でも下がった者は反逆と見なす!」
「ですが、町を守らねば……町の人々は魔物と戦う術がありません!」
「黙れ。平民が何人死のうが、代わりはいくらでも湧いてくる。 この町の領主たる私と、どちらを優先すべきか、考えるまでもなかろう」
伯爵は、燃え盛る町を見下ろしながら、まるで自分の靴が汚れることの方を心配するような顔で続けた。
「平民どもは、領主たる私の盾となって死ねるのだ。 これ以上の名誉があるか? 役に立てて本望だろう。 どうせ生きていても税を払うくらいしか能がない連中だ」
兵士たちは、一瞬、言葉を失った。 怒りとも悔しさともつかない感情が胸に込み上げ、拳を固く握りしめる者もいる。
「いいか、町などどうでもよい。建物も人間も、また作ればよい。 だが私が死ねば、この領地は終わりだ。 つまり――私を守ることこそが、町を守ることに等しいのだ」
伯爵は、兵士たちを見下ろしながら、ゆっくりと顎を上げた。 まるで“自分の存在そのものが価値である”と信じて疑わない者の態度だ。
「さあ、貴様らも私のために死ね。 お前たち平民が存在する理由は、それだけだ」
その瞬間、兵士たちの胸の奥で、何かが静かに切れた。
長年仕えてきた領主の言葉とは思えない。 いや、これまでも伯爵の横暴は見てきた。 だが――ここまで露骨に、自分たちを“使い捨ての道具”と断言されたことはなかった。
兵士たちは互いに視線を交わす。 怒りとも、悔しさとも、虚しさともつかない感情が渦巻き、胸が焼けるように熱くなる。
(……なぜ、こんな人間に騎士として誓いを捧げたのだろう)
(俺たちは、こんな言葉を聞くために剣を取ったのか)
(バレリーニ家の武力に憧れた……あれは、ただの思い違いだったのか)
そして、誰かが心の中で呟く。
(“戦いに役立つギフトを授からなかった”――それだけでアラン様を廃嫡した時点で、間違っていたのだ)
アランは、確かに武力には秀でていなかった。 だが、町の人々の声に耳を傾け、困っている者を放っておけない性格だった。 兵士たちは知っている。 アランが町を歩けば、子どもたちが笑顔で駆け寄り、老人たちが安心した顔で声をかけていたことを。
(町を治めるのに必要なのは、武力ではない……人の気持ちを理解し、一緒に歩む心だ)
伯爵の言葉は、兵士たちの胸に突き刺さり、その瞬間――彼らの中で“忠誠”という名の柱が、音もなく崩れ落ちていった。
「……行くぞ。町の人を助ける。 こんな男の盾になって死ぬ義理はない」
誰かがそう呟くと、他の兵士たちも頷き、伯爵から背を向けた。
「貴族たる私に盾突いたらどうなるか……分かっているのか!!」
伯爵は怒鳴り、恫喝する。声が裏返っていた。
一人の兵士が振り返り、静かに言った。
「お好きにどうぞ。 もう……あなたについて行く気持ちは、ありませんから」
その言葉は、刃より鋭く伯爵の胸に突き刺さった。
「貴様ら……貴様らぁ……!!」
伯爵は怒りで顔を真っ赤にし、唾を飛ばして叫ぶ。
◆町に迫る巨大な影◆
だがその時――遠く、森の奥から“巨大な影”が姿を現した。
山神だ。
その巨体がゆっくりと町へ向かって歩み出すのを見た瞬間、伯爵の怒りは一瞬で恐怖に塗りつぶされた。
「ひ……ひぃっ……! 来るな……来るなぁ!!」
伯爵は腰を抜かし、地面を這うようにして後ずさる。
その時だった。 確かに聞こえた。
――父上ぇぇぇ……
伯爵の動きが止まった。 血の気が引き、目が見開かれる。
その声は、間違いなくアントニオのものだった。
そして伯爵は理解した。 アントニオは山神に“餌”として吸収されたのだと。
「な……なんてことだ……こんな……こんな……」
伯爵は呆然と呟く。 しかし続く言葉は、アントニオを案じるものではなかった。
「これでは……我がバレリーニ家の名誉が……!」
その瞬間――どこからともなく、乾いた拍手が響いた。
パン……パン……パン……
「素晴らしい」
静かだが、よく通る声だった。
伯爵が振り返ると、そこにはジャミールが立っていた。 いつもの冷静な表情のまま、ゆっくりと手を叩いている。
「さすがは当主様。 息子を失った直後に“家の名誉”を心配なさるとは……その徹底した自己中心ぶり、まさにバレリーニ家の真髄にございます」
言葉ではバレリーニを褒めているが、ジャミールの目は笑っていなかった。




