30話 山神の森
◆孤児たちの証言◆
「…坊ちゃま、お召し物が汚れますからその…子供をこちらにお渡しください」
ラピスの冷ややかな声に、アランへしがみついていた女の子はビクッと肩を震わせ、アランの背に隠れた。
「気にしなくていいよラピス、森の中で怖い想いをしたんだし、まずは安心させてあげないと」
アランが穏やかに言うと、ラピスはわずかに眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
ラホ村に戻ると、すでにマリン、マヤ、そして盾の守護者の面々が集まっていた。
皆が集まっている事を確認したアランは、子供たちに向き直った。
「何があったのか、教えてくれる?」
孤児の年長であるカロンとユナが前に出て、緊張した面持ちで話し始めた。
「僕はカロンと言います」
「私はユナ」
「こないだ、院長先生のところにお客様が来たんだ」
「お茶を運んだとき、院長先生がその男の人の話をすっごく熱心に聞いてて……」
「そのあと、僕たちに“今日、路地裏の荷馬車に乗れ”って言ったの」
「理由も言わずに、急にだよ?」
カロンが不満げに眉を寄せる。
「アレ、院長はぜってー金に目がくらんだんだよ」
「アタシは違うと思うな。あの目の細い男の人にいい所見せたかったんだよ。絶対お金持ちだもん、玉の輿狙いよ」
ユナがぷいっと横を向く。
「院長先生って、急に変な仕事押しつけてくる時って、だいたいロクなことないよね」
「うん、今回もそんな感じだった」
アランは、子供たちの言い合いを聞きながら、
(どこの世界でも、男の子は現実的で女の子は恋愛に紐づけるのか……)
と一瞬だけ呑気なことを思ったが、すぐに気を引き締めた。
「その男の人って、どんな感じだった?」
子供たちは一斉に口を開く。
「背が高かったよ」
「服がすっごく綺麗で、絶対お金持ちの家の人って感じ」
「“主がどうのこうの”って言ってたから、召使いなんじゃない?」
「あとね、目が細かった。糸みたいに。アタシああいう人きらーい」
子供たちの言葉を聞いたアランは考え込んだ。
「……その特徴、ジャミールにそっくりだ。孤児院に来た男って、ジャミールじゃないかな?」
「坊ちゃま、どうやらクズ執事が今回裏で糸を引いているようです」
ラピスが静かにそう告げると、マリンが爆発した。
「はぁ!? あのクズ親子がまた子供を巻き込んだってわけ!? 許せない!」
マヤが一歩前に出て、淡々と報告する。
「はい。ジャミールが今日何か行動する気配は、私の“千里眼”で察知していましたので、朝から屋敷を見張っていました。 すると視界の端に、路地裏で荷馬車に人を乗せている姿が映りまして……その中に孤児たちも見えましたので、行方だけは追いました」
◆魔物の森の奥へ◆
魔物の森の奥に入ったところで、貧困にあえぐ男と借金苦の男、そして護衛の冒険者は荷馬車を降り、周囲を警戒しながら見回した。
「おーい! 魔拒香、置いていってるぞ!」
後ろから業者が慌てて追いかけてくる。冒険者は額を軽く叩き、
「悪い、入口で焚いた残り香がまだ効いてると思って、すっかり忘れてたわ」
と苦笑しながら魔拒香を受け取った。
三人は魔物の姿がまったく見えないことに不気味さを覚えたが、『残り香が効いてるんだろう』と勝手に納得した。
しかし実際には、魔物の森の主――“山神”が近くにいるため、一定以上の魔物が近寄れないだけだった。 魔拒香はあくまで“魔物に気づかれにくくする”程度の効果であり、山神の影響とは比べ物にならない。
しばらく進むと、三人の足取りが徐々に重くなっていった。 最初に異変を訴えたのは貧困の男だった。
「……なんか、急に怠くなってきた……」
借金苦の男も眉をひそめる。
「俺もだ。胸の奥が重いというか……変な感じがする」
護衛の冒険者も歩みを緩め、
「確かに……俺も少し怠いな。森の奥は空気が濃いって聞くし、魔力の薄い奴から順にやられるのかもしれん」
と自分なりに理由をつけた。 それでも護衛は任務を優先し、前を指さす。
「もう少し先が“言われた場所”だ。そこで日暮れまで待っててくれ。金はそこで渡すって話だ」
もちろん、それは嘘だった。 彼は“指定された場所まで連れて来い”としか指示されていない。
「ま、待ってくれ……儂は体が弱いんだ。少し休ませてくれ……」
貧困の男が膝をつく。呼吸も荒い。 冒険者は振り返り、苛立ちを隠さず言い放つ。
「俺だって怠いんだ。だが歩かないと金が貰えない。少しでいい、踏ん張れ」
そう言いながらも、冒険者自身の額には汗が滲んでいた。 彼もまた、山神の“気配”に生命力を削られ始めていたのだ。
やがて木々の隙間から、苔むした巨大な岩が姿を現した。冒険者は地図と見比べて頷く。
「おっ、ここだ。目印の“人面岩”ってやつだな」
その岩は、長年の風雨と苔に覆われていたが、確かに人の顔のような輪郭をしていた。 それこそが山神の“顔”そのものだったが、誰も気づかない。
「ふう、これで目的地には到着だ。俺たちは少し休んでから戻るか」
「あのぉ、我々はここでなにを…」
「ん?俺たちが言われているのは、貴様らをここまで連れて来ることだけだ」
冒険者は当然のように魔拒香を持って帰るつもりだった。 魔拒香がなければ、山神の影響が薄れる距離まで離れれば、いずれ魔物が寄ってくる。
つまり、こいつらは魔物の餌にされるために騙されたのだ――冒険者はそう考えていた。
奇しくも“餌”という考えは当たっていた。 ただし、魔物ではなく、この森の主である山神の餌として。 そう思っていると、冒険者の体から急速に力が抜けていった。
「なっ……なんだ、俺も体に……力が……」
周囲を見ると、全員が地面にへたり込んでいた。 “体が弱い”と訴えていた貧困の男は、すでに事切れていた。
その段階になってようやく、冒険者は理解した。
――ここに長く留まった時点で、自分も餌の一人になっていたのだと。
◆森に木霊する“命の残響”◆
森の奥に、静寂が戻った。
風も止み、木々の葉擦れすら消えたその空間で――しばらくして、かすかな声が木々の間を流れた。
『……たす……け……』
それは、つい先ほどまで生きていた誰かの声に似ていた。 しかし、どこから聞こえるのか分からない。 木の幹に触れた風が、死者の息を真似ているようにも思えた。
やがて、別の声が森の奥から滲み出るように響いた。
『いやだ……まだ……死にたく……』
弱々しく、途切れ途切れで、まるで森そのものが“記憶”を反芻しているかのようだった。 最後に、ひときわ強い叫びが木々を震わせた。
『うわあああああああああああ―――』
その悲鳴は、どれほど響いたのか分からない。 だが、森の奥深くへ吸い込まれるように消えていき、再び、完全な静寂が訪れた。
残されたのは、苔むした巨大な“岩”だけ。 その岩の表面には、どこか満足げに見える、人の顔のような影が浮かんでいた。
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