27話 ジャミールの暗躍
◆伯爵のプライド◆
その日の朝、バレリーニ伯爵の執務室には、重苦しい空気が淀んでいた。
伯爵は机を拳で叩きつけ、怒りを隠そうともしない。
「ええい! アントニオは何をやっている!」
怒号が石壁に跳ね返り、部屋の空気をさらに濁らせる。
しかし執事ジャミールは、日常茶飯事とばかりに、微動だにせず淡々と告げた。
「アントニオ様は……訓練場で、平民相手に“剣聖”のギフトの練習をしておられます」
「剣聖は剣豪の上位ギフトだぞ。それでなぜアランに負ける!」
伯爵の怒りはもっともだった。
剣術大会の決勝――自ら跡取りに据えたアントニオが、よりにもよって“外れギフト”と断じて追放したアランに敗北したのだ。
その失態は瞬く間に広まり、貴族社会ではこう囁かれている。
「バレリーニ伯爵は人を見る目がない」
「あれでは家の威信も地に落ちる」
伯爵にとって、これは耐え難い屈辱だった。
権力のためならどんな汚れ仕事も厭わない男が、世間から“節穴”と笑われている――怒りが収まるはずがない。
伯爵は苛立ちを抱えたまま訓練場へ向かった。
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、地面に転がる平民たちの呻き声だった。
アントニオは息を荒げ、剣を振り下ろした直後の姿勢で固まっていた。
「アントニオ!」
「ちっ……父上!」
伯爵は倒れ伏す平民たちを見下ろし、冷たくため息をついた。
平民を使い潰すこと自体は、問題ではない。
だが――アントニオがやっているのは訓練ではなく、ただの鬱憤晴らし。アランに負けた屈辱を、弱者を痛めつけることで紛らわせているだけだ。
伯爵は冷たい声で言い放つ。
「アントニオ……お前は私の顔に泥を塗った。今お前がすべきことは何かわかるか」
アントニオは青ざめ、震える声で答えた。
「あ、あの……アランに家督を戻すのでしょうか……?」
「違う! わたしに恥の上塗りをしろというのか!」
吐き捨てるような怒声に、アントニオは安堵と恐怖を同時に浮かべる。
伯爵は続けた。
「“魔物の森の主”――あれを覚醒させる」
「ま、魔物の森の主……? あれは伝説では?」
伯爵は鼻で笑った。
「伝説にしておいたのだ。国民を無駄に不安にさせぬためにな。実在を知るのは王家と、代々のバレリーニ家当主だけだ」
アントニオは、跡取りである自分が知らされていなかった理由を問おうとしたが、伯爵が先に言った。
「お前はまだ“当主”ではない。知る資格がなかっただけだ」
その一言で、アントニオは黙るしかなかった。
◆魔物の森の主◆
伯爵は視線をジャミールへ向ける。
「ロック・ゴーレム――山神だ。私が若い頃、命を懸けて封印した相手だ」
伯爵は遠い記憶を思い返すように、低く語り始めた。
「……あれは私が若かった頃だ。山神が暴れ、討伐隊は壊滅した。残ったのは私と、当時の執事――ジャミールの父だけだった」
伯爵の声には、誇りと苦味が混じっていた。
「山神は魔力のバケモノだ……、私はひたすら魔力を削り続けた。一ヶ月もの間、昼夜を問わず戦い続けたのだ」
アントニオは息を呑む。
「い、一ヶ月も……?」
「そうだ。いつ終わるとも知れぬ戦いだった……しかしついにその場に崩れ落ちた。
私は“魔力が尽きかけている”と思った。あれが封印の好機だと」
伯爵は満足げに頷く。
「実際、ジャミールの父が封印を施すと、山神は動かなくなった。 あの時ほど、自分の判断が正しかったと思えた瞬間はない」
アントニオが、おずおずと手を挙げた。
「あのう、父上」
「なんだ、アントニオ」
「その……山神を封印じゃなくて、倒せばよかったんじゃ……?」
「ば、ばっ……ばかもーーん!!」
突然の怒号にアントニオが飛び上がる。
「山神は魔力の化け物なのだぞ!? いつ魔力が尽きるかなど分からん! あのまま戦い続けていれば、こちらがやられていたかもしれんのだ! よ、よって封印を選んだ私は正しい! 決して……び、びびったわけではない!!」
伯爵は早口でまくし立て、顔を真っ赤にしている。 図星を刺されたのが明らかだった。
「そ、そうでしたか! さすが父上! 慧眼です!」
「う、うむ……当然だ……!」
アントニオは驚いて執事を見る。
伯爵は続けた。
「ジャミールの一族では代々、“封印”のギフトを授かる者が高い確率で出ている。そのギフトを授かった者だけが、バレリーニ家の執事を務められる。封印は“封印ギフト”を持つ者でなければ行えん。だからこそ、ジャミール家が必要なのだ。」
ジャミールは恭しく頭を下げた。
「恐れながら、我が家は代々、山神封印の補助を担ってまいりました。
伯爵様が弱らせた山神を封じたのも、先代――私の父でございます」
「でも父上、封印ではなく、倒してしまえばよかったのでは?」
アントニオが最もなことを言った。しかし伯爵はアントニオを叱責した。
「ばかもん!魔物の森の主の力を甘く見てはいかん!山神の魔力は無尽蔵かと思えるほど膨大だ、バレリーニ家の人間が全員で挑んでもおよそ一月はかかるのだ、
アントニオは息を呑む。自分が知らぬところで、家の“裏の歴史”が脈々と受け継がれていたのだ。
伯爵は淡々と続けた。
「山神は生命力を糧に魔力を蓄える。百人ほど巣に放り込めば、不完全な覚醒を起こすだろう」
アントニオは一瞬だけ躊躇した。だが、脳裏にアランの顔が浮かび、憎悪がすべてを上書きする。
「……百人程度なら金で釣ればすぐに集まりますね」
「そうだ。平民など、いくらでも湧いてくる。使い捨てるにはちょうどいい」
伯爵は満足げに笑う。
「不完全な覚醒直後なら、魔力が暴走している。覚醒といっても、完全に目覚めるわけではない。不完全な覚醒直後は、魔力が急激に膨れ上がるせいで、山神自身がその力を制御できん。 身体が魔力に振り回され、動きが乱れるのだ」
アントニオは眉をひそめる。
「……つまり、暴走して隙が生まれる?」
「討伐は無理でも、再度封印はできる。そして――民の前でそれを成し遂げれば、世間はこう思うだろう」
伯爵は口角を吊り上げた。
「『アントニオこそ真の英雄だ』とな」
アントニオの顔に、歪んだ笑みが浮かんだ。
その瞳には、もはや理性ではなく、アランへの憎悪だけが燃えている。
「アラン……あの出来損ないめ。俺を差し置いて勝ち上がったのは、きっと何か卑怯な手を使ったに決まっている……!俺を馬鹿にした“あの態度”も……全部許さない……!あいつさえいなければ――」
アランは普通に接していただけだが、それをアントニオが勝手に“見下された”と思い込んでいた。
その声には、敗北の屈辱が凝縮され、もはやアランへの“自分が負けた事”をアランにぶつけるための復讐心だけが残っていた。
伯爵は満足げに頷き、ジャミールへ視線を向ける。
「ジャミール、百人の準備はどうする?」
執事は一礼し、淡々と、しかし背筋が冷えるほど冷酷に答えた。
「はい、伯爵様。平民の中には、日雇いの仕事を求めて彷徨う者が多くおります。“高額の前金を支払う簡単な作業”と触れ回れば、自ら列を成して集まるでしょう」
アントニオが口元を歪める。
「はは……愚民どもめ。金を見せれば尻尾を振る犬と同じだな」
ジャミールはさらに続けた。
「加えて、借金を抱えた者、行き場のない孤児、身寄りのない老人など……“消えても誰も探さぬ者”を優先して選別いたします。領内の記録から、そうした者の名簿はすでに抽出済みです」
伯爵は満足げに目を細めた。
「さすがだ、ジャミール。“封印のギフト”を持つだけでなく、裏仕事にも長けているのは助かる」
ジャミールは恭しく頭を下げた。
「すべては伯爵家のために。 百人の確保は、三日もあれば完了いたします」
アントニオは鼻で笑い、剣の柄を握りしめた。
「アラン……震えて待っていろ。俺が英雄として称えられるその瞬間、お前は地べたで泣き叫ぶことになるんだ」
◆闇に招かれた者たち◆
翌日――バレリーニ領の裏通りには、妙な噂が流れ始めていた。
「一日働くだけで銀貨十枚もらえる仕事があるらしい」
「前金まで出るってよ。そんなうまい話、滅多にないぞ」
噂の出どころは、もちろんジャミールだった。
彼は黒い外套をまとい、領内の貧民街を静かに歩く。その足取りは、まるで“必要な物資を調達するだけ”のように淡々としている。
路地裏で震えている老人に声をかける。
「失礼。簡単な作業を手伝っていただける方を探しております。前金として銀貨五枚をお渡しします。食事も支給されますよ」
老人は驚き、震える手で銀貨を受け取った。
「ほ、本当に……? わしのような者でよければ……」
「ええ。あなたのような方こそ、必要なのです」
ジャミールは微笑んだ。だがその笑みは、温かさとは無縁の、氷のように冷たいものだった。
次に向かったのは、借金取りに追われる若者たちが集まる酒場の裏口だ。
「あなた方にぴったりの仕事があります。危険はありません。報酬は前払い。借金返済の足しにもなるでしょう」
若者たちは互いに顔を見合わせ、すぐに頷いた。
「おおお! その話、本当だろうな!」
「ええ。あなた方は“選ばれた”のです」
ジャミールは淡々と名簿に名前を書き込む。まるで荷物の数を確認しているだけのようだった。
孤児院にも足を運んだ。院長は困惑した顔でジャミールを見る。
「本当に……この子たちに仕事を? まだ幼いのですが……」
「心配には及びません。簡単な作業です。 将来の為にもいい経験になりますよ」
ジャミールは銀貨の袋を机に置いた。院長の表情が揺らいだ。
「……助かります。冬を越す資金が足りず、困っていたのです」
「では、十名ほどお願いします。明日の朝、指定の場所へきてください」
孤児たちは事情も知らず、嬉しそうに頷いた。
その日の夕刻――
ジャミールは屋敷の地下室で、静かに名簿を確認していた。
老人、孤児、借金持ち、日雇い労働者……
“消えても誰も探さない者たち”が、すでに八十名を超えている。
「……順調ですね」
ジャミールは淡々と呟き、ペンを置いた。
「伯爵様のご期待に応えるため、あと二十名。明日には揃うでしょう」
その声音には、罪悪感の欠片もなかった。彼にとって、百人の命は“封印を解くための燃料”でしかないのだ。
そして――その百人が向かう先が、二度と戻れぬ“山神の巣”であることを知る者は、この時点ではジャミールただ一人だった。
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