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22話 狂信者ギル

 ◆妄執に捕らわれた少年◆


「くっ!この!!」


 バシッ! ビシッ!


 薄暗い倉庫に、乾いた音が響いた。

 少年の背中は裂けた皮膚から血が滲み、赤黒い線が幾重にも走っていた。


 ギルは荒い息を吐きながら、倒れ伏した下働きの少年を見下ろした。


「ちっ……気を失いやがって」


 床に散った埃の上で、少年の銀髪が淡く光る。

 その色が、ギルを更に苛立たせた。


 ――フローネ。


 自分を拒んだ少女。 自分の手の中に落ちてくるはずだったのに、落ちなかった。

 許せない。許されるはずがない。

 その記憶は、今やギルの中で“憎悪”と“渇望”が腐り合って生まれた毒そのものだった。


「これは貴様のためにやっているんだ」


 返事はない。少年はすでに気を失っていた。 だが、ギルは構わず言葉を続けた。

 ――まるで、自分自身に言い聞かせるように。


「そうだ……お前は感謝していればいいんだ。俺の“善意(こと)”をな」


 ギルの目は、少年ではなく“フローネ”を見ていた。

 銀髪というだけで、彼の中の膿んだ感情が勝手に膨れ上がる。


 倒れた少年に向けて、ギルはさらに一歩踏み出そうとした。


 欲しかった。 手に入らなかった。

 だから壊したい。 壊すことでしか、自分の価値を確かめられない。


 少年の身体に向けられた暴力は、もはや少年に対するものではなかった。

 ギル自身の劣等と執着と憎悪が、形を持って振り下ろされているだけだった。



「ギル、その辺で」


 低い声が背後から落ちてきた。

 声の主は、倒れた少年を見下ろした。

 その目には怒りも憐れみもなく、まるで壊れた道具の状態を確認するだけの様だった。


「もう気を失っています。それ以上は……労働力の損耗になります」

 淡々とした口調。 少年の命を“労働力”としか認識していないことが、言葉の端々から滲み出る。


「最近は、手ごろな子供が手に入りにくいのです。無駄は避けましょう」


 まるで、在庫管理の数字が減ることを惜しむような、乾いた事務的な声だった。。

 しかし、その言葉をギルは鼻で笑った。


「下働きなんて、司祭様ならいくらでも増やせるでしょう」

「ええ、まあ。ですがね……使い勝手のいい駒というのは、そう簡単には揃わないのですよ」


 司祭は淡々と語る。 そこには怒りも悲しみもない。

 ただ“効率”と“損得”だけがある。


「それより、教会から()()()()()少女はどうなりました?」

 ギルの肩がわずかに跳ねた。


「それは……」

「まあ、いいでしょう。後始末さえきちんとしてくれれば」


 その声音には怒りも疑念もない。ただ事務的な確認。それが逆に、ギルの背筋を冷たく撫でた。

 司祭は、ギルの方を振り返る事もなく倉庫から出て行った。



 もちろん、フローネが教会から逃げ出したと言うのはギルが報告した“嘘”だ。本当は――ギル自身がフローネを連れ出し、魔物が出ると知りながら森に置き去りにした。 もしそれが露見すれば、教会での今の地位が終わる。


 だがギルの頭の中は別の事で一杯だった。


 ――フローネは生きていた。 ――見つけた。いや、再び巡り会えた。 


 ギルの中では、それは偶然ではなかった。

 女神が自分に与えた祝福であり、日頃の敬虔な行いが報われた証だと、本気で信じ込んでいた。


「フローネ……もうすぐ迎えに行くから、待っててね」


 呟く声は甘く、陶酔していた。その瞳には、もはや正気の光は残っていない。


 足元には、気を失って倒れている銀髪の少年がいる。ギルはその姿を見下ろし、ゆっくりと口角を歪めた。


「……もう、まがい物は用済みだな。本物が手に入るのだから」


 ギルは、森で見たアランの姿を思い返していた。胸の奥がじりじりと焼けるように熱くなる。


「フローネは……一生、俺に仕えるのが最高の幸福だとなぜわからない……」

 その声には、怒りと哀れみが混ざっていた。まるで“理解できないフローネが悪い”と言わんばかりに。


「……そうか。あの男がフローネを騙したんだ。そうだよな。俺とずっと教会で育ったフローネが、あんな男を選ぶはずがない。あんな奴と……」


 ギルの中で、アランは完全に“簒奪者”へと変わっていた。自分の大切なフローネ――物として扱っているその存在――を奪う泥棒。

 ギルの理想の中で作り上げた“従順で、感謝し、崇拝してくれるフローネ像”に合わない現実は、すべてアランのせいにすり替えられていく。


「しかし……フローネを取り戻すにはどうすれば……」

 ギルは唇を噛み、苛立ちを押し殺すように呟いた。


「あいつの側には、教会騎士すら一瞬で倒したメイドが付いている……」

 その言葉には、恐怖よりも強い感情が滲んでいた。


 ギルにとってフローネは“守るべき人”ではなく、“奪われたくない宝物”であり、“自分の人生の正しさを証明する存在”だった。


 だからこそ、アランは許せない。フローネが自分の手元に戻らない未来など、あってはならない。



 ◆フローネに迫る魔の手◆


 倉庫の扉が軋みを上げて開き、教会騎士が入ってきた。

 彼は床に転がる下働きの少年を一瞥しただけで、特に驚きも同情も見せない。

 ――見慣れているのだ。ギルの癇癪も、こうして少年が転がっている光景も。


 だが、その無関心さがギルの神経を逆撫でした。


「ギル様、司祭様から。『報告書にあった村を調査するように』との伝言です」


 淡々と差し出された手紙。その態度が、ギルには“自分を軽んじている”ようにしか見えなかった。


「そうだよ……貴様らがあんなメイドごときにやられるから、フローネが戻って来れねーんだよ!」


 ゴスッ。


 怒鳴り声とともに、ギルの拳が騎士の頬を打った。

 騎士はわずかに体を揺らしたが、反撃も抗議もしない。


 ただ、ほんの一瞬だけ―― 冷えた軽蔑の色が、その瞳の奥に沈んだ。


「……それについてですが……司祭様から、知り合いの伝手で“うってつけの人物”を紹介すると」

「うってつけぇ?」


 ギルは鼻で笑い、殴った拳を振り払う。


「は、はい。こちらの事情は一切聞かず、金を払えば……な《・》ん《・》で《・》も《・》やる双子の子供だそうです」

「ふーん……金さえ払えば、何でもねぇ」


 ギルの口元に、いやらしい笑みが浮かんだ。その笑みを見ながら、騎士は深く頭を下げる。

 だがその影に隠れた表情は、“こんな男が上に立っている現実”への静かな侮蔑で満ちていた。


 だがギルは自分を見るその視線に気づかない。いや、気づけるほど他人を見ていない。


 彼の世界には、自分と、フローネと、邪魔者だけしか存在していなかった。

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