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11話 教会の見習いシスター

 ◆教会の真実◆


 教会は、数多くの孤児を引き取り、育てていた。だがその慈愛の裏には、厳格な掟があった。


 孤児たちは8歳になると、秘密裏に「ギフトの授与式」へと導かれる。そこでは、女神の像に祈りを捧げ、水晶に女神の声を映すことができれば、神父やシスターとしての道が開かれる。だが、声を聞けなかった者は「欠陥品」とされ、教会の下働きとして生きるしかなかった。


 フローネは、誰もが将来を期待する少女だった。清らかな心と聡明さを持ち、女神への信仰も人一倍深かった。だが、彼女の運命は、ある少年の手によって大きく狂わされる。



 ギルは、フローネに特別な想いを抱いていた。


 同じ孤児として教会に引き取られ、同じ屋根の下で育った彼女は、ギルにとって唯一無二の存在だった。誰にでも分け隔てなく優しく、祈りの時間には誰よりも真剣に目を閉じるその姿に、ギルは次第に心を奪われていった。


 最初は、ただ彼女の笑顔が見たかった。だから、彼女の仕事をこっそり肩代わりしたり、森で見つけた木の実を「余ったから」と言って渡したりした。フローネが喜んでくれるたび、ギルの胸は温かくなり、それが彼の中で「好き」という感情に変わっていくのに、時間はかからなかった。


 だが、フローネはその好意に気づいていなかった。あるいは、気づいていても、あえて触れなかったのかもしれない。彼女にとってギルは、あくまで「仲間」であり、「友達」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。


 ギルは、次第に焦りを感じるようになった。


 どうして自分の気持ちが伝わらないのか。どうして彼女は、あんなふうに誰にでも優しくするのか。自分だけを見てほしいのに、彼女の視線はいつも遠く、女神様に向けられていた。


 その想いは、やがて苛立ちに変化して行った。


「自分の気持ちを無視するなら、いっそ——」


 そんな考えが、ふと頭をよぎったのは、ある日のことだった。最初は自分でも驚いた。だが、その黒い感情は、日を追うごとに形を成し、やがて確信へと変わっていった。


 彼女が自分を見てくれないのなら、いっそ、壊してしまえばいい。 そうすれば、彼女は自分のものになる。誰のものでもなく、自分だけの存在に——。



 ◆少女への暗い想い◆


 ある日、ギルは一粒の果実をフローネに差し出した。紫色に輝く、美しくも不気味な実——紫粒玉。かつて「不浄の果実」として忌み嫌われ、教会では決して口にしてはならないとされていた禁忌の果実だった。


 だが、外の世界を知らず、教会の中だけで育てられてきたフローネには、それがどれほど危険なものか知る由もなかった。彼女はただ、それをギルの優しさの証だと信じ、微笑みながら口にした。


 甘い。けれど、その奥に、どこか鉄のような苦味があった。

 その夜から、地獄が始まった。


 高熱にうなされ、体は焼けるように熱くなり、視界は歪み、現実と幻覚の境が溶けていく。女神様の声が遠ざかっていくのがわかった。いつもは優しく響いていたその声が、まるで霧の向こうに消えていくように、手の届かない場所へと離れていった。


 三日三晩、意識の底をさまよった末、フローネは奇跡的に目を覚ました。 だが、彼女はもう、以前のフローネではなかった。

 鏡に映った自分の姿に、彼女は息を呑んだ。かつては陽の光のように輝いていた栗色の髪が、今は月光のように冷たい銀色に変わっていたのだ。


 そして、何よりも恐ろしかったのは——


 女神様の声が、聞こえなくなっていたことだった。

 いや、正確には、頭の奥には確かに声が響いていた。けれど、その声が何を語っているのか、彼女にはもう分からなかった。まるで、自分の存在だけが女神の祝福から切り離されてしまったかのように——。


 こうしてフローネは、「欠陥品」の烙印を押され、下働きとして教会の片隅に追いやられた。


「ふん、女神様の声を聞けなくなったシスターに価値などない」

「せめてその手で教会を綺麗に磨き上げろ」


 教会内ではフローネがイジメを受けていた。下働きになったフローネはほかの子供たちの格好のいじめの対象だった。

 ギルがフローネを自分の世話役にしようとするがそれをキッパリと断るフローネ


「なんだと……? 俺様が“面倒を見てやる”って言ってるんだぞ?」


 ギルの声には苛立ちが滲んでいた。


「女神様の声も聞けないフローネなんて、教会じゃ何の価値もねぇんだ。お前に残された道は、俺のそばにいることだけだろうが」


 フローネは一歩も引かず、まっすぐにギルを見返した。


「それでも、私はあなたのものにはなりません。女神様は、声を聞ける者だけじゃなく、すべての子を等しく愛してくださっています」


 ギルの怒りは、もはや理性を超えていた。

 フローネの拒絶の言葉が、彼の中の何かを決定的に壊してしまったのだ。


「お前さえ……お前さえ、俺のものになってくれれば……!」


 ギルはフローネの腕を乱暴に掴み、彼女の抵抗も聞かずに教会の裏手にある、今は使われていない古びた小屋へと引きずっていった。かつては物置として使われていたその場所は、今では誰も近づかない、ひっそりとした空間だった。


「やめて、ギル……! お願い、やめて!」


 フローネの声は震えていた。恐怖と混乱で、足がもつれそうになる。だが、それでも彼女は必死に抵抗した。

 ギルの手を振りほどこうと、何度も叫び、もがいた。


「やめてって言ってるのに……!」


 その言葉に、ギルの動きが一瞬止まった。


 フローネの目には、恐怖と怒り、そして深い悲しみが浮かんでいた。

 その視線に射抜かれたギルは、まるで何かに気圧されたように、彼女の腕を放した。


「……チッ、勝手にしろよ」


 吐き捨てるように言い残し、ギルは小屋の扉を乱暴に閉めて去っていった。 重い音が響き、静寂が戻る。


 フローネはその場に崩れ落ちた。 心臓が早鐘のように鳴り、呼吸がうまくできない。 体の震えが止まらず、何も考えられなかった。



 ◆銀の髪、月の導き◆


 どれほどの時間が経ったのか分からない。 夕暮れが過ぎ、夜の帳が降りる頃、ようやくフローネはゆっくりと体を起こした。

 涙で濡れた頬を拭いながら、彼女は立ち上がる。 足元はふらついていたが、その瞳には確かな意志が宿っていた。


「帰らなきゃ……教会に……」


 夜の森は、昼間とはまるで別の顔をしていた。


 木々は黒く沈み、風が枝葉を揺らすたびに、どこかで誰かが囁いているような音がした。足元には見えない根や石が散らばり、フローネは何度もつまずきながら、それでも前へと進んだ。


 月明かりだけが、彼女の道を照らしていた。 その銀色の光が、彼女の髪と同じ色で、まるで女神様がそっと寄り添ってくれているように思えた。


 けれど——


 突然、背後から低いうなり声が響いた。


 フローネが振り返ると、そこには闇に溶け込むような影があった。 獣のような、けれどどこか人の形をした、異形の存在。 赤く光る目が、じっと彼女を見つめていた。


「……っ!」


 恐怖が全身を駆け巡る。足がすくみ、声も出ない。 影はゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。


 フローネは反射的に背を向けて走り出した。 枝が頬をかすめ、足元の茂みに足を取られながらも、必死に逃げた。 だが、追いかけてくる気配はどんどん近づいてくる。


 ついに足がもつれ、フローネは地面に倒れ込んだ。 振り返ると、魔物の影がすぐそこに迫っていた。

 もう、逃げられない。

 フローネは震える手で胸元のペンダントを握りしめ、目を閉じた。


「女神様……どうか……どうか、私をお導きください……!」



 その瞬間—— 闇の中から閃光が走った。


 次の刹那、魔物の動きが止まったかと思うと、鋭利な何かがその身体を一閃し、まるで紙のように真っ二つに裂かれた。

 鈍い音を立てて崩れ落ちた魔物は、もはや動かなかった。血の匂いが、夜の風に混じって漂う。


 フローネは呆然とその光景を見つめていた。 何が起きたのか、理解が追いつかなかった。

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