outstanding one
わたしは十七年の間、ずっとこの町で生きている。東京都に区分される割には家ばかりで、夜は少し遠くを通る電車の車輪の音が数キロ先のわたしのマンションまで響くくらいに静かだ。
まだ、中学に入ったばかり、一年の夏のこと。あの線路に一人,親友が飛び降りた。今もその人の名前を思い出すと、身体の中の内臓という内臓の全てをひっくり返すような、酷い吐き気と息苦しさが蘇ってくる。
当時、私達の学校は荒れていた。窓ガラスが割れ、救急車が来る事故が起きるのは日常茶飯事だった。当時の私達は、逃げるという言葉を知らずに、ただ日々を無事に生きるために、息を殺し、危険な気配を察すれば、他の何かを犠牲にして耐えていた。大袈裟と笑う人もいるかもしれない、だけどその時の私達にとっては苦痛そのものだった。
あの電車事故の前日も学校は同じようだったと思う。私達二人は学校が終われば、走って校舎を出た。
普段は、他愛ない話をしながら帰る。数学が難しいとか、国語なんて必要ないとか、わたしがほぼ一方的に言葉を発し続けていた。これはいつものことで、彼女はどれだけくだらない話でも、真剣に聞きながら、時々笑ったり、冗談めかして怒ったり、自分の意見を言ったりした。
わたしにとってこの時が学校生活の中で、一番生きている感覚がした。
でも、その日の彼女は違った。名前を呼んでも、話を振っても、生返事ばかり返ってきた。悩みでもあるのかと思って問ってみても、何でもない、と返され、大丈夫、と尋ねると、うん、と聞き流すような生返事が返ってきた。
顔を見るとなにもない空間一点をじっと見続けていた。何も言ってくれない彼女に対して、
「わたしの事好き?」
と聞いてみた。何も愛の告白をしようというのではない。こう言うといつも決まって彼女は、好き、と返してくれる。言ってみれば私達だけの合言葉だ。そこに、言葉通りの意味がないことは、お互い知っているはずだった。
だけど今日は違った。今までぼんやりとした答えしか返してこなかった彼女は、ゆっくりとわたしの方を向いて、
「あなたは私の事好き?」
と目に涙を貯めて、私に聞くのである。
わたしは戸惑って、本当に彼女がおかしくなったのかと思った。彼女の真意が分からなかった。本当に別人に話してるようで恐怖心すら覚えた。
「もう、本当にどうしたの?」
と、怒り気味に返すと、
「なんでもないよ。なんにもないよ。」
と言って、まだ新しい夏服の袖が汚れないように、掌で涙を拭うばかりだった。
それから先の詳しいことはもう思い出せない。
次の日、彼女は学校を欠席した。そして、夕方、わたしの家に担任から事故の電話があった。
何があったのか、何か知らないか、なんてわたしが聞きたかった。
日々は進む、私を置いてでも。時々思い出す彼女の欠片が、今も私を過去へ引きずり続けている。
『次に私と同じような人と友達になって、本当に守りたい人なら、最後まで向き合っていてほしい。』
彼女がわたしに宛てた遺言だった。
何処かの誰かが、わたしと同じ気持ちになるのは嫌だった。だから、分け隔てなく誰とでも接した。できるだけ多くの人が救われるために、できるだけ誰も傷つかないように、努力した。友人も増やした。恋も、人付き合いの端っこで目立たないようにやってみた。それでも満たされなかった。
気が付くと、もう掌いっぱいの水を一滴でも失うのが、怖くて堪らなくなっていた。
今年の十月に入ってすぐ、私のマンションで異臭騒ぎがあった。友人の部屋からだった。
自分をしっかり持っていて、頭も良くて、運動神経もいい。ただ皆で過ごすより一人で過ごすのが好きな女の子。わたしには無い物を持っていて憧れだった女の子。
その彼女があの時と同じ虚空を見る目をしていた。
傘を持つ手が震えて止まらなかった。
ねえ、とソファーで静かに寝息をたてる女の子に声をかける。よほど疲れているのだろうか、返事はない。
頭を撫でると、彼女の匂いがした。
本当に風邪引くよ、と呟いて彼女にブランケットを被せる。
わたしにできることは、これしかなかった。




