九話 『門の向こうへの第一歩』
翌朝。鳥の鳴き声で目が覚めた。目を開けると、空はまだ白っぽくて、肌寒い風が吹いている。
「起きたか」
声がした。見ると、エドはもう起きて、焚き火の後始末をしていた。
「おはよう」
「おう」
僕も体を起こす。体が少し痛い。野宿なんてしたことがないから当然だ。
……いや。したことがないと思う。あの、荒野で目覚めた時を除けば。とはいえ、記憶がない以上、本当のところは分からない。
エドが荷物をまとめながら言う。
「これ、やるよ」
投げ渡されたのは硬い黒パン。
「ありがとう」
受け取ってかじる。硬い。でも空腹にはありがたい。二人とも無言のまま朝食を済ませると、やがてエドが立ち上がった。
「さて、と」
荷物を背負う。
「俺は行く」
「え?」
「仕事だよ」
当然のように言う。
「門導士にも色々あんだ」
――あ。その言葉を聞いた瞬間、心が冷たくなった。ずっと、一緒に入れるんだと思ってた。言葉にこそしなかったけど、これからも当たり前のようにエドが隣にいてくれるんだと、心のどこかで信じ込んでいた。
でも、そんなわけがなかった。エドにはエドの生活があって、仕事がある。
僕は昨日、門の前でたまたま拾われただけの、ただの通りすがりの虚人だ。そんなことも分かっていなかった自分が、急に恥ずかしくなって、それから心細くなった。
「そっか……」
勝手に寂しい声が出た。エドは笑う。
「そんな顔すんな」
そう言って腰の鍵を鳴らした。
「王都は広いけど、案外狭い」
「……えっ?」
「生きてりゃまた会える」
軽い口調。何の根拠もない。だけど不思議と本当な気がした。
「うん」
小さく頷く。
「それに」
エドは指を一本立てる。
「お前にはやることがあるだろ」
「やること?」
「ああ」
そして真っ直ぐ僕を見る。
「称号だ」
その言葉に、昨日の話が蘇る。称号がなければ何も始まらない。この世界では、仕事も、お金も、居場所も、全部その先にある。
「……」
エドに頼りきりだった心が、無理やり前を向かされる。まだ怖いし、よく分からない。
だけど、エドの言う通りだ。立ち止まったまま、誰かが手を差し伸べてくれるのを待ってるだけじゃ、何も変わらない。エドは満足そうに頷いた。
「その顔なら大丈夫だな」
「何が?」
「いろいろだ」
そう言って笑う。本当に適当な人だ。そして背を向ける。
「じゃあな、ゼロ」
「うん」
僕も答えた。
「ありがとう、エド」
エドは振り返らなかった。代わりに片手を上げる。それだけだった。朝日に照らされながら、その背中は少しずつ遠ざかっていく。やがて遠くの人混みの中へ消えた。
「……」
一人になった。昨日の朝も一人だった。でも、あの時とは少し違う。
僕はゆっくりと空を見上げた。王都の朝。町の人たちが動き始めている。新しい一日が始まる。僕はまだ何も持っていない。名前以外、ほとんど何もない。
それでも、僕には一つだけ分かったことがあった。
この世界は、称号でできている。そして――。虚人である僕が生きていくためには、その世界の中へ踏み込まなければならない。怖くても。分からなくても。前へ進むしかない。
「――行くか」
僕は歩き出した。人々の流れの中へ。まだ見ぬ未来へ。そして――自分の称号を探すために。




