八話 『消えた焚き火と、一歩の記憶』
火が一瞬消えかけて、また燃え始める。
僕は炎を見つめたまま黙っていた。三日も何も食べていない。そんな状態で誰かと戦うなんて、想像もできなかった。
「それで、その……相手の人は、どうなったの?」
気づけば聞いていた。エドは火から目を逸らさずに目を細めた。
「安心しろ」
軽い口調だった。
「称号を奪われたからって、死ぬわけじゃねぇ」
「そうなんだ」
「ああ」
エドは少しだけ笑った。それから少し間が空いた。エドは火を見つめたまま続けた。
「ただし」
いつもより低い声。
「虚人になる」
僕は思わず顔を上げた。
「……え?」
「称号を失ったやつは、全員」
炎が揺れる。
「だからみんな必死なんだよ」
エドは静かに言う。
「奪われりゃ終わる」
「終わるって……?」
「仕事がなくなるだろ。それに信用もなくなる。あとは、店にも入れなくなるな」
「そんな……」
虚人。それはきっと、僕みたいな生まれつきの人間だけじゃない。戦って、称号を奪われた人も含まれている。
「じゃあ」
僕は息を呑む。
「エドが勝った相手も……」
「ああ」
エドは頷いた。
「その日から虚人だ」
そう言って、視線を逸らす。
「今も生きてるかは知らねぇ」
静かな声。昼間聞いた時よりも、その言葉がずっと現実味を帯びて聞こえる。
この世界では、誰かが上に行くために、誰かが下へ落ちる。そういう仕組みなのかもしれない。
「……変な世界だな」
自然と声が漏れた。エドは少しだけ笑う。
「今さらだな」
「そうだけど」
「俺も最初はそう思ったよ」
そう言って空を見る。
「でもな」
一拍。
「生まれた時からそういう世界なら、それが普通になる」
僕は返事をしなかった。返せなかった。だって僕には、生まれた時の記憶がない。何が普通だったのかも分からない。
この世界がおかしいのか。それとも自分の感覚がおかしいのか。それさえ分からなかった。
しばらく二人とも黙ったまま火を見ていた。夜が深くなる。街の喧騒も少しずつ小さくなっていく。遠くで誰かの笑い声が聞こえた。鐘が鳴る。夜を告げる音だろうか。
見上げれば、空には無数の星が浮かんでいた。荒野で見た夜空と同じはずなのに、どこか違って見える。人がいる。それだけで景色は変わるらしい。
「エド」
「ん?」
「ありがとう」
自然と口から出た。エドは少しだけ目を丸くした。
「何がだ?」
「助けてくれたこと」
門の前で庇ってくれたこと。食事をご馳走してくれたこと。今こうして一緒にいてくれること。全部。
エドは数秒黙った後、「別に」とだけ言った。それから少し照れ臭そうに頭を掻く。
「たまたまだよ」
「たまたま?」
「ああ」
いつもみたいに苦笑する。
「軽い飯くらいなら奢ってやれる金があった。それだけだ。俺だって、もうちょっといい称号持ってたら、もっとマシなことしてやれたんだけどな」
僕は笑った。エドも笑った。それだけだった。それだけなのに、不思議と胸の中の重さが少し軽くなった気がした。
火はゆっくりと小さくなっていく。パチッと最後の火の粉が爆ぜて、急に焚き火が消えた。
「……うわ、真っ暗」
思わず声が漏れた。視界が一瞬で黒く染まる。自分の手すら見えない。街の喧騒もいつの間にか完全に消えていて、またあの時と同じ冷たい闇に放り出されたような恐怖が襲ってくる。
「エド……?」
不安になって声をかけると、すぐ近くから衣擦れの音がした。
「大丈夫だ、ここにいる。騒ぐと火が消えちまって冷えるだろ。体温逃がさねえように丸まって寝ろ」
「う、うん……」
地面は硬い。薄い布を敷いただけの簡素な寝床。それでも、不思議と嫌じゃなかった。
目を閉じる。今日一日の出来事が頭に浮かんでくる。巨大な門。虚人。称号。王都。そして――エド。
何も分からないまま始まった一日だった。だけど、朝よりは少しだけ前に進めた気がする。そんなことを思いながら――僕はいつのまにか眠りに落ちた。




