七話 『恐怖じゃ腹は膨らまない』
エドはそれ以上詳しく説明しなかったし、僕も何を聞けばいいのか分からなかった。ただ、二人で街の中を歩き続ける。
通りには相変わらず人が多い。露店からは威勢のいい声が飛び交い、荷車が行き交い、遠くでは楽器の音まで聞こえていた。活気のある街だ。
だけど、その中に自分がいる気はしない。むしろ、ここにいればいるほど、世界から弾かれているような感覚になってくる。
「……」
称号。仕事。お金。買い物。全部が繋がっている。なら、僕はこれからどうすればいいんだろう。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか日が傾き始めていた。石畳の上に影が伸びる。空も少しずつ赤く染まり始めていた。
「そろそろだな」
前を歩いていたエドが空を見上げる。
「何が?」
「日暮れだよ」
言われて空を見る。確かに、もう夕方だった。街へ入ってから色々ありすぎて、時間の感覚がほとんどなかった。
「今日はどうするの?」
僕が聞くと、エドは少しだけ振り返る。
「野宿だな」
「え?」
エドは肩をすくめた。
「金、ねぇだろ」
「あ……」
そうだ。僕はお金を持っていない。エドもそこまで持っているようには見えなかった。
「宿はあるけど、泊まる金はない。だから野宿一択だ」
エドはあっさり言う。
「僕……野宿とか、したことないんだけど……」
「大丈夫。死にはしねぇよ」
エドはそう言って歩き続ける。僕はまだ頭に追いついてない気持ちをぶら下げて、エドの後に続いた。
気がつけば、賑やかな中心街を離れ、街の外縁に近い区域へ移動していた。人通りも、石造りの建物も少なくなり、代わりに空き地や倉庫のような建物が増えていく。
空はすっかり赤くなっていた。遠くで鳴り響く鐘の音。それは、昼と夜の境目を告げるような音だった。
「この辺でいいか」
エドが足を止める。街壁の近く。少し開けた場所。人通りも少ない。
「……ここで寝るの?」
「ああ」
エドはそう言うと荷物を下ろした。慣れた手つきで乾いた枝を集め始める。僕もなんとなくの流れで手伝った。
しばらくして、小さな火が灯る。パチッと木が弾ける音がした。夕闇の中。揺れる火を見つめる。街の喧騒はまだ遠くに聞こえていた。けど、昼間よりずっと静かだった。火の暖かさだけが、やけにはっきり感じられる。
揺れる炎の向こうで、エドは地面に転がったまま空を見ていた。何を考えているのか、何も考えていないのか、まったくわからない表情で。
その横顔を見ながら、昼間の話を思い出す。称号は奪うもの。そう言っていた。
ふとエドの腰元で、カチャリと音が鳴った。いくつもぶら下がった、金属製の鍵。門を通る時にも見えたし、街を歩いている時もずっと揺れていた。
――門導士。僕にはまだ何をする称号なのかも分からない。
「エド」
「んー?」
寝転んだままの軽い返事。
「最初の称号って、どうやって手に入れたの?」
少しの沈黙。エドは空を見上げたまま、「それ聞くか」と苦笑した。
「ごめん」
「別にいいけどよ」
そう言って頭の後ろで手を組む。
「大した話じゃねぇぞ」
火の音が続く。
「腹が減ってた」
「え?」
「三日くらい何も食ってなかった」
エドはあっさり言った。
「今のお前よりひでぇ顔してたと思う」
意外な言葉に思わず黙る。
「仕事もねぇ。金もねぇ。称号もねぇ」
エドは指を一本ずつ折る。
「で、探した」
「探した?」
「ああ」
エドは腰の鍵を軽く鳴らした。
「当時の俺でも勝てそうで、なおかつ生き残れそうな相手をな」
炎がパチッと弾ける。
「騎士なんかに挑んだら死ぬ。魔導士も同じだ」
「それで、門導士?」
「移動ばっかしてる連中だからな。一人のことも多い」
エドは得意げに笑った。
「運よく勝てた」
そう言って腰の鍵を指先で揺らす。
「そんで俺は門導士になったってわけ」
口調は軽い。だけど、その一言は昼間聞いた話よりずっと重かった。
「……怖くなかった?」
聞くか迷った。エドのことだ。怖いなんて言うような性格じゃない。でも、聞かずに入れなかった。エドは少しだけ考えて言った。
「怖かったと思う」
エドは寝転んだまま自分の両手を目の前にかざした。炎に照らされたその手は、思ったよりも分厚く、どこか無骨に見えた。
「でも腹減ってる方が嫌だった。恐怖じゃ腹は膨らまねえしな」
いつもの軽い口調。でもその言葉の意味だけがやけに重い。
「奪わなきゃ飢え死にするだけなら、やることは一つだろ? 」
「……?」
「泣き叫ぶそいつの胸ぐら掴んで、泥水の中に引きずり落としてでも、そのポケットから可能性を毟り取る。それだけだ」
冗談のような、それでいて、吐き気がするほど現実的な言葉。僕を助けてくれたエドの手が、一瞬だけ、ひどく冷酷な猛獣の爪みたいに見えた。




