六話 『この世界のルールは残酷で』
やがて器の中身も空になって、気づけば空腹も落ち着いていた。エドが立ち上がる。
「食ったか?」
「うん」
「じゃあ行くぞ」
そう言って、エドは歩き出した。僕も慌てて席を立つ。人混みを抜け、建物の出口へ。料理の匂いと喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
外へ出る。まぶしい。昼の光が目に入ってくる。街は相変わらず賑わっている。そんななか、エドは軽く背伸びをした。
「さて――と」
そう言って、何でもない調子で歩き始める。僕も後を追った。エドの後ろを歩きながら、周囲を見回す。
通りの両側にあるたくさんの店。武器屋。防具屋。薬を扱う店。素材を並べた露店。
「ほんと、色々あるんだな……」
その時。ふと、一軒の店先で足が止まった。
ガラス越しに並べられた短剣が目に入る。綺麗だ。ものすごく。柄の部分には青い石が埋め込まれていて、陽の光に照らされて輝いている。
「欲しいのか?」
エドが言う。
「あ、いや……」
答えてから、少し考える。
「お金、持ってないし」
「あー」
エドは妙に納得したような顔をした。
「そりゃそうだ」
あまりにも即答だった。まあそれもそうか。僕は正真正銘無一文の虚人なんだから。
「まあでも、仮に持ってたとしても無理な店はある」
「そうなの?」
「ああ」
そう言いながら近くの店先を指差す。入り口の横には小さな等級章が掛かっていた。
【下級称号第三階位以上】
どこかで見たような文字。食事をした場所にも似たような等級章があった気がする。
「ここじゃあな」
エドが歩きながら言う。
「称号がないと何も買えねぇ」
「……お金じゃだめなの?」
エドは少し笑った。
「逆だよ」
「え、逆?」
「ここじゃ肩書きの方が先だ」
通りを歩く騎士の一団を顎で示す。
「金だけ持ってるやつより、どこの誰か分かるやつの方が信用される」
「だから称号?」
「ああ」
エドは頷く。
「まず、金だって称号がなきゃ手に入らねぇからな」
僕は首を傾げた。
「どういうこと?」
「仕事だよ」
エドは当然のように言う。
「騎士は騎士、鍛冶師は鍛冶師。みんな自分の『看板《称号》』ぶら下げて仕事してんだよ」
少し間を置く。
「つまりだ。称号持ってねーと、この国じゃ働くことすら許されねぇってわけ」
さっきから聞いている話が、少しずつ繋がっていく。称号がない。仕事ができない。お金がない。買い物もできない。つまり――。
「じゃあ、虚人って……」
「生きづらいぞ」
エドはあっさり言った。
「一晩生き延びるだけでも、一苦労だな」
笑いながらエドは歩く速度を落とす。そして急に立ち止まったかと思うて、値踏みするかのような目で、じっと僕を上から下まで眺めてきた。
「そういやさ、お前って随分若く見えるけど、年はいくつなんだ?」
「え……」
聞かれて、また頭の中が真っ白になる。名前は覚えているのに、自分が何歳なのか、全くわからない。
「……」
「おいおい、そんなことも分からねえのかよ」
エドは呆れたように笑う。それから顎に手を当てて僕の顔をじっと見つめた。
「ま、見た感じだと、十六か、十七くらいだろうな。まだしっかりガキだ」
「十六、か、十七……」
そうなのかな、と自分の手を眺めてみる。言われてみれば、まだ大人の男の手には遠い気がした。よく分からないけれど、エドが言うならそうなんだろう。
「エドは、何歳なの?」
聞き返すと、エドは「俺?」と自分の胸を指さした。
「俺は二十三。お前よりは随分大人の、立派な先輩だろ?」
「……立派かどうかは、よく分からないけど」
「おい!」
エドが不満そうに僕の頭を軽く小突く。そんなやり取りをしているうちに、いつのまにか緊張もなくなっていた。
しばらく歩く。石畳を踏む音が続いた。僕はふと、ずっと気になっていたことを口にする。
「そういえばさ」
「ん?」
「エドはどうやって称号を手に入れたの?」
ふと、エドが足を止めた。
「俺か?」
「うん。さっき、昔は虚人だったって言ってたよね」
エドはゆっくりと空を見上げる。
「……あー」
面倒なことを思い出したような顔。
「まあ、そんなこともあったな」
数歩歩いてから続ける。
「道端に落ちてるわけじゃねぇしな」
「え?」
「称号のことだよ」
エドは苦笑した。
「欲しいと思って手に入るもんでもない」
そう言って、ゆっくり振り返る。
「この世界の称号ってのはな――」
一拍。
「他人から奪うものだ」
僕はその予想外の言葉に足を止めた。
「……奪う?」
「ああ」
エドは表情一つ変えない。
「この世界の称号は、誰かが持ってるもんだ」
「じゃあ……」
「そいつに勝つ」
短い答え。僕は意味を理解するのに少し時間がかかった。
「勝つって……まさか、戦うの?」
「基本はな」
エドは言う。当たり前みたいに。だけど。僕には、どうにも実感が湧かなかった。
「そんなの……」
思わず声が漏れる。エドがちらっとこっちを見る。
「嫌か?」
「嫌っていうか……」
上手く言葉にできない。誰かから奪う。それが普通だって言われても。どこか引っかかる。だけど。じゃあ他に方法があるのかと言われたら、何も思いつかなかった。
「ま、それが出来ねえなら、虚人でどうにか生きていくしかねーな」
称号がないと生きていけない。さっきから見てきたものが、それを証明している。店も。仕事も。お金も。全部、称号の先にある。
なら――従うしかないんだろうか。そう思っても、胸の奥の違和感は消えなかった。




