73話 『暗闇を射抜く矢』
僕は顔を上げた。倒れた棚の向こう。作業場のさらに奥、灯りの届かない場所で、何かが動いている。
「……なんだ?」
アルフィーが振り向く。
暗がりから現れたのは、もう一体の魔物だった。
……大きい。さっきのより、格段に。
そいつは、まっすぐ僕へ向かってきた。近い。考える間もなかった。
「ゼロ!」
アルフィーが銃へ手を伸ばす。
「――っ……」
銃を構え直したところで、動きが止まった。
弾切れだ。どうやら、さっきの一発で、最後の弾を使い切っていたようだった。再装填する時間はない。
魔物が床を蹴る。迫る。すぐ目の前まで。
「……っ!」
僕は床に落ちていた剣を掴み、どうにか体を起こした。……構えろ。剣を構えるんだ。
分かってる。分かってるのに……っ。腕が震えて、刃先が定まらない。
魔物の爪が視界いっぱいに広がった。
振れない。動けない。――僕は、ここで……。
やっと、剣を作れるようになった。仲間だってできた。みんなと仲良くなれた。なのに……。
フィオナのこと、守らなきゃいけないのに。僕が、守らなきゃ――
「……っ」
その瞬間、ヒュッと風を裂く音がした。次いで、魔物の体が大きくのけぞる。
「――!?」
一本の矢が、その体を貫いていた。
魔物は勢いを失い、僕の目の前で崩れ落ちた。伸ばされた爪が床を引っ掻き、甲高い音を残して止まる。
あと少し。ほんの少し遅れていたら、僕は――。
「死ん……でた……」
剣を握る手が、震えていた。
倒れた魔物の向こうに、一人の女が立っていた。
弓を構えたまま、静かにこっちを見ている。彼女が放った矢は、寸分違わず魔物を射抜いていた。
女は弓を下ろすと、倒れた魔物を一瞥した。そして、何事もなかったかのように、こっちへ歩き出した。
ワインレッドの髪。黒に近い赤が、灯りを受けてわずかに深紅に光る。長い髪は後ろでひとつに束ねられ、歩くたびに背中で揺れていた。
身に着けているのは、暗い色の軽装に革の装備。肩には使い込まれたマントを掛け、背中には弓を背負っている。
整った顔立ちだった。けれど、フィオナの静かな美しさとは違う。
つり上がった目には、隠しきれない感情が浮かんでいた。口元には、どこか余裕のある笑みさえある。
女は僕の前で足を止めた。
「……誰?」
何を聞けばいいのかも分からず、僕はそれだけを口にした。
「狩人だ」
短い返答だった。
「……狩人?」
女は答えず、僕の視線が倒れた魔物へ向いたのを見て、口を開いた。
「そいつは、魔物だ」
「……魔物……」
そんなことは分かってる。分かってるけど……どうしてこんなものが工房に現れたのか。どうして僕たちが襲われたのか。頭の中は混乱したままだった。
女は、そんな僕を見ながら言った。
「元は人間だ」
「……え?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。倒れた魔物を見る。人間? これが?
女は淡々と続けた。
「称号に喰われるとこうなる」
それ以上、女は何も言わなかった。僕も、何も聞けなかった。ただ、足元に目を落とす。
僕の手には、剣が握られていた。少し離れた床には、フィオナの短剣が落ちている。戦うためのものなら、こんなにも近くにあった。それなのに。
僕は剣を握っていたのに、振るうことさえできなかった。フィオナが危険にさらされても、何もできなかった。アルフィーが来るまで、ただ立ち尽くしていた。
フィオナを守ったのは、僕じゃなくて……アルフィーだった。




