【第6章 狩りをする者】 74話 『あの日僕が見た笑顔を、君は』
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
工房の中には、倒れた棚や散らばった工具がそのまま残っていた。床には魔物の死体が転がっている。
「……ひとまず、こいつらを外に出すか」
沈黙を破ったのは、アルフィーだった。
銃を肩に掛け直し、倒れた魔物に近づいた。動かないことを確かめてから、その体を足で軽く押す。
「重そうだな……」
「手伝うよ」
僕はそう言って立ち上がった。体のあちこちが痛んだけれど、動けないほどじゃなかった。
「お前は休んでろ。まだ顔色が悪いぞ」
「……大丈夫。これくらいなら」
アルフィーは少しだけ僕を見たあと、好きにしろと言うように肩をすくめた。
僕たちは二人で魔物の体を引きずり、工房の外へ運び出した。地面に下ろすと、鈍い音が響いた。
僕は息を吐き、額の汗を拭った。
顔を上げると、すぐ近くにさっきの狩人の女がいた。背負った弓に手を添えながら、僕たちの作業を見ている。
「なんか、全部やってもらって悪いな」
女が、少しだけ申し訳なさそうな顔で言った。
「気にしないで。これくらい、僕たちで運べるから」
僕が言うと、アルフィーが呆れた顔でこっちを見た。女は、それを見てクスッと笑った。
「あ、そういえば。まだ名乗ってなかったな」
彼女は僕たちに向き直った。
「あたしはガーディア。狩人をやってる」
「俺はアルフィーだ」
「僕はゼロ。……あっちにいるのが、フィオナ」
フィオナが気づいて軽く会釈する。するとガーディアは頷いた。
「よろしく」
そう言って、ガーディアは弓を手に取った。弦の状態を確かめ、矢を一本ずつ確認している。さっきまで魔物が暴れていたことなど、まるでなかったかのように落ち着いていた。
「……すごいな」
気づけば、そんな言葉がこぼれていた。
「どうした」
隣にいたアルフィーが聞き返す。
「……いや、なんでもない」
僕は首を振った。でも、目はどうしても彼女の方へ向いてしまう。
あんなに大きな魔物を前にしても、彼女は迷わなかった。矢を放つことにも、魔物を見極めることにも、ためらいがなかった。僕には、できなかった。
「……ゼロ」
声に振り向くと、フィオナが立っていた。少しふらついているように見えて、僕は慌てて近づいた。
「だっ、大丈夫?」
「……うん」
「ならよかった」
フィオナは小さく頷いた。それから、何かを言おうとするように、僕の顔を見た。
「ゼロ、さっきは……」
「――ごめん」
気づけば、僕はそう口にしていた。
「……え?」
「僕、何もできなくて。フィオナが危なかったのに、何もできなかった」
言葉にすると、胸の奥が苦しくなった。謝ったって、何も変わらない。あのとき、僕は何もできなかった。その事実だけが、ずっと頭から離れなかった。
「そんなこと……」
フィオナが何かを言いかけた。けれど、僕はその言葉を待てなかった。
「……もっと強くなるから」
自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
フィオナの瞳が、かすかに揺れた。でも、僕はその顔を見ていられなかった。
「ごめん。ちょっと、片付けてくるね」
そう言って、僕はフィオナのそばを離れた。背中に視線を感じたけれど、振り返ることはできなかった。
魔物を運び終えると、ガーディアがそのそばにしゃがみ込んだ。
彼女は魔物の体を注意深く調べ、傷口を確かめていた。何かを探しているようにも見えたけれど、僕には何を見ているのかわからなかった。
「何してるんだ?」
アルフィーが尋ねた。
「念のため、状態を調べてる」
ガーディアはそう答えると、立ち上がって弓を背負い直した。その動きにつられて、僕の目も弓へと向かった。
さっきの戦いが頭に浮かぶ。魔物が襲いかかってきたとき、ガーディアは迷わず矢を放った。狙いを定める動きにも、矢をつがえる手にも、無駄がなかった。
「……どうかした?」
いつの間にか、ガーディアが僕を見ていた。
「えっ? あ、いや……」
慌てて目をそらした。
「その弓、使い慣れてるんだなって」
「まあね。ずっと使ってるから」
ガーディアは何でもないことのように答えた。それから、弓の位置を直し、周囲へ目を向けた。
戦いが終わっても、彼女は周囲に目を配っていた。僕は剣の作り方なら知っている。でも、あのときは剣を握ったまま、何もできなかった。
彼女は違う。武器を手にすることにも、それを使うことにも、迷いがなかった。
悔しかった。でも、それだけじゃなかった。
「僕も、あんなふうになれたら……」
そんな思いが湧いてくる。しばらく、彼女の姿から目を離せなかった。
ガーディアとの話が終わり、僕は工房の方へ戻った。そういえば、さっきからアルフィーとフィオナの姿が見えない。
「どこ行ったんだろう」
工房の中にはいない。僕はもう一度外に出た。
建物の裏手に回ると、二人の姿が見えた。壁にもたれかかるアルフィーと、その近くにフィオナが立っている。話し声が聞こえて、僕は足を止めた。
「アルフィー」
「ん?」
「さっきは、ありがとう」
フィオナは、まっすぐアルフィーを見ていた。アルフィーは一瞬だけフィオナに目を向け、それから視線をそらした。
「俺は傭兵として、やるべきことをやっただけだ」
「……そっか」
フィオナは少しだけ俯いた。それから、ふっと笑った。
「――っ」
僕は、その笑顔を知っていた。初めて見たときのことを、今でも覚えている。
誰にも心を開かず、いつもひとりでいたフィオナ。何度話しかけても、なかなか笑ってくれなかった。それでも、僕は何度も話しかけた。いつか笑ってくれたらいいなと思っていた。
そして、あの日。空白地帯の夕陽の中で、僕から話しかけて。
『ずっと、一人なの?』
『一人に慣れた。それだけ』
『……すごいな』
『え?』
『そんなの、僕だったら耐えられない』
僕がそう言ったとき。
『……変な人』
フィオナは、初めて僕に笑顔を見せてくれた。
あのときは、本当に嬉しかった。ずっと見たかった笑顔だった。
それが、今。フィオナはアルフィーに笑いかけていた。僕に見せてくれた、あの笑顔で。
「……」
別に、おかしなことじゃない。アルフィーはフィオナを助けた。だから、フィオナがお礼を言うのも、笑顔を見せるのも、何もおかしくない。
フィオナが無事でよかった。フィオナを助けてくれたアルフィーには感謝している。本当に、そう思っている。それなのに……
どうしてだろう。胸が、苦しい。フィオナが笑っている。ただ、それだけのことなのに。
僕は二人に気づかれないように、その場を立ち去った。




