72話 『静寂を切り裂く音』
やがて、工房の外が少しずつ暗くなっていった。
弟子たちは仕事を終え、一人ずつ帰っていった。僕は最後に残った武器を手に取り、仕上がりを確かめた。
刃の状態も、重さのバランスも問題ない。武器を作ることも、修理することも、弟子たちに教えることも、少しずつできるようになった。ここでの生活にも、すっかり慣れたと思う。
それなのに、武器を棚に置こうとしたところで、ふと手が止まった。
手元の槌を見つめる。その向こうには炉があり、壁際には僕が作ってきた武器が並んでいた。どれも、僕がここで作ったものだ。
「……ずっと続けてていいのかな」
ぽつりと呟いた。答えは出なかった。僕は小さく息を吐き、槌を置いた。今は、考えていても仕方がない。残っている片付けを終わらせよう。
そうして道具を片付けていると、アルフィーが肩の銃を掛け直した。
「ちょっと出てくる」
「え、どこ行くの?」
「近くで魔物が出たらしい。様子を見てくる」
アルフィーはそれだけ言って、工房を出ていった。
魔物……。ここで剣を買っていく人たちも、魔物を倒しにいくと言っていた。この町は魔物が多いんだろうか。
「まあ、アルフィーなら大丈夫か」
アルフィーは傭兵だ。僕はそう思い、片付けを続けた。
片付けを終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。アルフィーはまだ戻っていなかった。工房には僕とフィオナだけが残っていた。
僕は作業台を拭きながら、隣で道具をまとめているフィオナに声をかけた。
「今日は来てくれてありがとう」
僕の言葉に、フィオナは小さく頷いた。
「久しぶりに話せて楽しかったよ」
「……私も」
それきり、会話が途切れた。少しの間、静かな時間が続いた。
「ゼロ」
ふと、フィオナが僕の名前を呼んだ。
「ん?」
「最近、何かあった?」
手が止まる。
「……どうして?」
「……なんとなく」
フィオナはそれ以上、何も言わなかった。
「……別に、何もないよ」
そう答えると、フィオナはそれ以上聞いてこなかった。僕も、それきり黙っていた。
そのときだった。
――ガリッと、工房の外から、何かを引っ掻くような音が聞こえた。
「……え?」
僕は顔を上げた。フィオナも手を止め、入口の方へ目を向ける。
「……今の、何?」
「……分からない」
耳を澄ませたけれど、音はもう聞こえなかった。気のせいだったのだろうか。
そう思った直後、――ドンッ、と大きな衝撃音が響いた。工房の壁が揺れ、棚の上の道具が音を立てた。
直後、入口の向こうから何かが工房の中へと踏み込んできた。
「――!」
それは、見たこともない化け物だった。
人の形をしているようで、違う。歪んだ四肢が床を踏みしめ、裂けた口の奥から、濁った息が漏れている。
皮膚なのか、それとも別の何かなのか。薄暗い工房の中でも、その異様な姿だけははっきりと見えた。
……なんだ、こいつ……。見ているだけで、体が強張る。
――魔物。頭のどこかで、その言葉が浮かんだ。
「……っ!」
隣で、フィオナが動いた。腰の短剣を抜き放つ。刃が灯りを弾き、鋭い光を走らせた。
「フィオナ、危ない!」
叫んだときには、もう彼女は魔物へ向かっていた。
小柄な体が床を蹴る。短剣を構え、迫る巨体を前に身を低くした。だけど――。
魔物の腕が唸りを上げた。
フィオナが身をひねる。爪が髪をかすめ、背後の作業台に叩きつけられた。木片が飛び散り、置いてあった工具が床に散乱する。
……速い。目で追うのがやっとだった。
フィオナは体勢を立て直し、短剣を振るう。狙いは魔物の脇腹。刃先がその体をかすめた――ように見えた。
けれど、魔物は止まらない。振り向きざまに腕を振り抜く。
「フィオナ!」
鈍い音が響いた。
フィオナの体が横へ弾き飛ばされ、床を転がった。手から離れた短剣が、ぐわんと宙を舞う。
そして――からん、と乾いた音を立て、僕の足元に滑ってきた。
「……あ」
見覚えのある柄だった。
僕が作った短剣だ。何度も刃を確かめ、重さを調整して、ようやく仕上げたもの。フィオナが気に入っていると言ってくれた、あの短剣。
それが今、床に転がっている。持ち主を守れないまま。
「フィオナ!」
僕は駆け寄ろうとした。けれど、魔物が行く手を塞いでいる。
フィオナは床に手をつき、立ち上がろうとしていた。苦しそうに息を吐きながら、それでも魔物から目を離さない。
……助けなきゃ。そう思った瞬間、僕の手は工房の壁に並べてあった剣へ伸びていた。
一本を引き抜く。自分で作った剣だった。握りの太さも、刃の厚みも、重心の位置も分かる。どこに力をかければ刃が走るのかだって、頭では理解している。だけど。
目の前の魔物に、どう剣を向ければいい? どこを狙えばいい? どうすれば、フィオナを助けられる?
答えが出る前に、魔物がこっちを向いた。濁った目が、僕を捉える。
「――っ!」
反射的に剣を構えた。
魔物が踏み込んでくる。僕は剣を突き出した。金属がぶつかる甲高い音がして、腕に凄まじい衝撃が走る。
次の瞬間、足が床から離れた。
「ぐっ……!」
体が吹き飛び、背中から棚に叩きつけられた。息が詰まる。棚が傾き、武器や工具が雨のように降ってくる。
剣が手から滑り落ちた。……拾わなきゃ。……立たなきゃ。フィオナが、まだ――。
床に手をついた。腕に力を込める。
けれど、体が言うことを聞かない。胸が痛い。息がうまく吸えない。視界が揺れ、指先が震えていた。
それでも、顔を上げた。魔物がフィオナへ向き直っている。
「やめ……ろ……!」
声がかすれた。届かない。
僕は床を這い、手を伸ばした。ほんの少しでも近づこうとした。なのに、体は鉛のように重く、腕一本動かすのさえ苦しかった。
魔物が、フィオナへと歩み寄る。彼女は立ち上がろうとしていた。けれど、足元がふらついている。間に合わない……このままじゃ。
――動け。歯を食いしばる。動け……動けよ……! 僕の手は、床を掻くだけだった。
魔物の影がフィオナに覆いかぶさる。
「――させるか!」
聞き慣れた声が、工房を切り裂いた。
次の瞬間。轟音。耳をつんざく発砲音とともに、魔物の頭が弾けた。巨体がぐらりと傾く。何かを掴もうとするように腕が宙をかき、それきり、床へ崩れ落ちた。
静寂が戻る。いや――耳鳴りが、まだ止まない。
入口に、アルフィーが立っていた。
肩に掛けていた銃を構え、煙の立つ銃口を魔物へ向けている。その姿には、迷いもためらいもなかった。まるで、最初から結果が分かっていたかのように。
アルフィーは魔物が動かないことを確かめると、ようやく銃口を下ろした。そしてフィオナの方を見る。
「大丈夫か?」
短い問いかけ。フィオナは床に座り込んだまま、小さく頷いた。アルフィーはそれを確認すると、僕へ視線を向けた。
「ゼロ、お前は?」
返事をしようとした。けれど、喉が張りついて、声が出てこない。
視線を動かす。フィオナがいる。床に座り込んではいるものの、ちゃんと息をしている。……よかった。それを確かめて、ようやく息を吐いた。
「……うん」
自分でも驚くほど、弱々しい声だった。
アルフィーはそれ以上何も聞かず、銃をしまうと、倒れた魔物へ目を向けた。
終わった。そう思った。全身の力が抜けかけた、そのときだった。
――ギィ、と。工房の奥で、何かが軋む音がした。




