68話 『教えるということ』
それから、また数日が経った。工房での仕事は、少しずつ変わってきていた。
最初の頃、僕に仕事を教えてくれる人はいても、僕の言葉に耳を傾ける人はほとんどいなかった。グレンの工房を引き継いだとはいえ、僕はまだ経験の浅い職人だったからだ。
それは当然のことだと思っていた。だから、まずは自分が作れるようになろうと、毎日鉄を叩き続けた。
少しずつ、できることが増えていった。鉄の温度が分かるようになり、槌を振るう力も安定してきた。形の崩れた部分を見つけて、どう直せばいいのかも考えられるようになった。
そんなある日。
「……ゼロさん、ちょっと見てもらってもいいっすか?」
声をかけてきたのは、グレンの弟子の一人だった。
僕より少し年上の男の人で、今まで何度か工房で顔を合わせていた。最初の頃は、僕が話しかけても短く返事をするだけだった。
「うん。いいよ。どうしたの?」
「ここの形なんすけど、どうやってもうまくいかなくて」
彼は金床の上に置いた鉄を指さした。
僕は隣に立ち、鉄の表面を覗き込んだ。
赤みの残る鉄の中に、形の歪みが見えた。どこに力がかかって、どこが押しつぶされているのか。僕には、それがなんとなく分かった。
「……ああ。ここか」
僕は歪んだ部分を指で示した。
「……どこっすか?」
「えっと、ここ。ここの線がね、ちょっとだけ――」
「線?」
彼は眉を寄せ、鉄を見つめた。
「……すいません。俺には、普通の鉄にしか見えないんすけど」
「そっか……」
僕はもう一度、鉄を見た。僕には分かる。けれど、彼には分からない。じゃあ、どう説明すればいいんだろう。
「じゃあ、もう少しこっちを見てみて」
「こっち……すか?」
「うん。そこを見れば、分かると思う」
言ってから、僕は口を閉じた。また同じことを言ってしまった。
彼は槌を持ったまま、しばらく鉄を見つめていた。やがて、小さく息を吐く。
「……分かんねえっす」
その声には、少しだけ苛立ちが混じっていた。怒っている、というよりも、何度やってもうまくいかないことに困っているようだった。
「……ゼロさんには分かるのかもしれませんけど、俺にはどこが違うのか、全く分かんねえっす」
「……うん」
僕は返事をした。彼の言っていることは分かった。分かったけれど、どうすればいいのかが分からなかった。
僕はもう一度、鉄を見た。
ここが違う。ここを直せばいい。そう思うことはできる。実際に自分で槌を振るえば、形を整えることもできる。
でも、それを彼に伝えようとすると、言葉が出てこなかった。
「……ごめん」
僕は小さく頭を下げた。
「僕、どう説明したらいいのか、よく分からなくて」
「いえ……俺も、すいません」
彼は気まずそうに視線を落とした。そのまま少しの間、僕たちは黙って鉄を見つめていた。
やがて彼は、もう一度槌を握った。
「……もう少し、自分でやってみます」
「うん。分かった。何かあったら、また声をかけてね」
「ありがとうございます」
彼は金床に向き直った。
僕はその場を離れ、少し離れた作業台の前に立った。
教えてほしいと言ってもらえたのは、嬉しかった。最初の頃は、僕が職人として認められることばかり考えていた。
今は、こうして僕のところに来てくれる人がいる。僕の言葉を聞いて、仕事を覚えようとしてくれる人がいる。それなのに、僕は何も教えられなかった。
「……難しいな」
小さく呟いた。
自分で作ることなら、少しずつできるようになってきた。鉄を見て、どこを直せばいいのかを考える。槌を振るい、形を整える。失敗したら、原因を探してやり直す。そうやって、僕は覚えてきた。
でも、相手が同じようにできるとは限らない。僕には見えているものが、相手には見えていない。僕には分かることが、相手には分からない。
それなら、僕は何を伝えればいいんだろう。ただ「そこを見て」と言うだけでは、きっと足りない。
「……そっか」
僕は自分の手を見下ろした。
作れるようになることと、誰かに作れるようになってもらうことは、違うんだ。そんな当たり前のことに、僕は今さら気づいた。
鉄を見る。いつもなら、どこを叩けばいいのかは分かる。でも、どうしてそこを叩けばいいのか。それを誰かに伝えようとすると、途端に分からなくなる。
……教えるって、難しいんだな。
僕はもう一度、弟子の方を見た。彼はまだ金床の前に立ち、鉄と向き合っていた。何度か形を確かめては、慎重に槌を振るっている。
僕は声をかけようとして、やめた。今はまだ、何を言えばいいのか分からない。
でも、せっかく僕を頼ってくれたのに、このまま何も伝えられないのは嫌だった。
「……もう少し、考えてみよう」
そう呟いて、自分の作業台へ戻った。
僕は作業台に戻り、鉄を見つめた。
「……グレンさんは、どうしてたんだろう」
ふと、そんなことを思った。
グレンは、いつも答えを教えてくれたわけじゃなかった。僕が失敗しても、どこが悪いのかをすぐには教えてくれない。ただ、もう一度やれと言って、僕が自分で気づくまで何度もやらせた。
あのときは、どうして教えてくれないんだろうと思ったこともある。でも、そうやって失敗を繰り返すうちに、僕は少しずつ分かるようになっていった。
「……そっか」
僕は弟子の方を見た。
もしかすると、僕は言葉で教えようとしすぎていたのかもしれない。だったら、まずは自分でやってもらえばいい。
僕は弟子のところへ戻った。
「……さっきの、もう一回やってみよう」
「もう一回っすか?」
「うん。今度は、叩いたあとに鉄がどう変わったか、よく見てみて」
彼は少し不思議そうな顔をしたものの、槌を握り直した。金属音が響く。彼は鉄を叩き、表面を確かめた。
「……あれ。こっち、さっきより潰れてますね」
「うん。じゃあ、どうすればいいと思う?」
「えっと……」
彼はしばらく考えてから、槌を握る手の位置を変えた。今度は力を少し抜いて、歪んだ部分を叩く。鉄を確かめた彼が、目を見開いた。
「……お。ちょっと直った」
「本当だね」
僕も思わず笑った。
まだ完全に整ったわけじゃない。それでも、さっきよりはずっとよくなっていた。
「もう一回、やってみます」
「うん」
僕は彼の隣で、作業を見守った。
僕が答えを教えたわけじゃない。彼自身が考えて、気づいたんだ。グレンも、こうやって僕に教えてくれていたのかもしれない。
「……ゼロさん、ここも見てもらっていいっすか?」
「うん。どれ?」
今度は、僕もすぐに答えを出そうとはしなかった。一緒に鉄を見て、考える。それなら、僕にもできる気がした。
それからというもの、弟子たちとの関係は少しずつ変わっていった。
僕はすぐに答えを教えるのではなく、まずは本人に考えてもらうようになった。
うまくいかなければ、どこが違うのかを一緒に確かめる。僕自身も、どう伝えれば分かりやすいのかを考えるようになった。
最初は戸惑っていた弟子たちも、少しずつ自分で原因を見つけられるようになっていった。
そして、いつの間にか。
「ゼロさん、これ見てもらえますか?」
そんなふうに声をかけられることが、当たり前になっていた。
「うん。ちょっと見せて」
僕は作業の手を止め、差し出された武器を確かめる。
「ここを少し変えてみよう。そうしたら、もう一回形を見てみて」
「分かりました」
弟子が作業台に戻り、しばらくして声を上げた。
「できた!」
見に行くと、さっきまで歪んでいた部分がきれいに整っていた。
「うん、いいと思う」
「……よかった。ゼロさんに教えてもらってよかったです」
彼は照れくさそうに笑った。僕も、自然と笑顔になった。
「……うん。よかった」
自分で武器を作れるようになったときも、嬉しかった。でも、自分が教えたことで、誰かができるようになる。それも、同じくらい嬉しかった。
工房には、相変わらず槌の音が響いている。その中で、弟子たちは自分の仕事に向き合い、僕もまた、自分の作業台に戻った。
ここで武器を作ること。誰かに技術を伝えること。今の僕には、それができる。それが、とても嬉しかった。




