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59話 『職人の《鉄操り》』

「――称号バトル、開始!」


 開始の合図と同時に、グレンが動いた。


 僕へ向かってくるわけじゃない。金槌を振り上げ、そのまま足元の石床へ叩きつけた。


 石が砕ける。もう一度。今度は少し離れた場所を叩く。


「……なんだ?」


 僕は足元を見る。床が割れ、石の欠片が散っている。


 ……なるほど。足場を悪くするつもりなんだ。平らな場所なら、自由に走れる。なら、そこを壊してしまえばいい。そういうことなんだろう。


 僕は砕けた床へ一歩踏み込んだ。石がぐらつく。でも、僕はそのまま進んだ。


「……!?」


 グレンが目を見開く。


 普通の人なら、足場が悪いと動きが鈍る。


 だけど、僕は旅人だ。むしろ。僕にとっては、こっちのほうが動きやすい。


 旅をしていれば、足場の悪い道なんていくらでも歩いてきた。


 崩れた山道。雨でぬかるんだ道。石だらけの斜面。足を置いた瞬間に崩れるような場所だってあった。


 平らな道だけを歩いてきたわけじゃない。僕は、そういう場所を歩くことに慣れている。


「僕に、その手は効かないよ」


 僕の声に、グレンが眉間に皺を寄せる。そして、勢いよく槌を振った。僕は横に飛んで避けた。


 槌が僕のいた場所を叩き、石床がさらに砕ける。僕はその砕けた石を踏みつける。足場が沈む。そのまま体を傾け、次の石へ飛ぶ。


 そして、グレンの横を抜けた。


「なっ……!」


 僕は振り返った。グレンは僕を見て、驚いた顔をしていた。僕はそのまま走る。グレンが後を追ってくる。


 作業台の横を抜け、水場の縁を踏んだ。少し滑りそうになる。でも、すぐに体勢を戻す。そして、そのまま後ろへ回った。


 グレンが振り返る。僕はその隙に、肩からぶつかった。


「ぐっ……!」


 グレンの体がよろめく。観客席から歓声が上がった。


「おおっ!」


「いいぞ、旅人!」


 僕も驚いた。思ったより、動ける。


 この場所は鍛冶のために作られている。でも、僕にとっては、知らない場所を歩くことも旅の一部だ。


 だから、地面がどうなっているかなんて関係ない。知らない場所は、歩きながら知ればいい。


 僕はもう一度、グレンへ向かって走った。


 グレンが金槌を振る。僕はしゃがんで避けた。そのまま足元へ入り込む。グレンが一歩下がる。僕はさらに踏み込む。


「チッ……!」


 グレンが舌打ちした。その顔が、さっきより険しくなっている。


「クソ……!」


 金槌を握る手に力が入る。僕は少しだけ距離を取った。どうやら、グレンは困っているらしい。それなら――。


 僕は周囲を見回した。


 炉。金床。水場。作業台。その周りには、鉄の棒や板が置かれている。


 僕には、何が何なのかよく分からない。武器を作るために必要なものなのだろうとは思う。でも、具体的に何に使うのかまでは知らない。


 僕は客席を見た。さっき、僕を応援してくれていた人がわずかだけどいた。少しだけ迷った末、僕は客席へ向かって声を上げた。


「みんな、聞いてくれ! 僕は旅人だから鍛冶のことは何も知らないんだ!」


 一瞬、観客が静かになる。


「だから――分かる人がいたら教えてほしい! そこにあるの、何に使うの!?」


「……っ」


 グレンが呆れたように僕を見る。


「何の真似だ」


「だって、知らないから」


「……は?」


「旅をしていると、分からないことは誰かに聞くんだ。僕にとっては、当たり前のことなんだよ」


 少しして、観客席からいくつか声が飛んできた。


「炉は鉄を熱するんだ!」


「金床は鉄を叩く場所だ!」


「そっちの水槽は冷やすための水だ!」


「鉄板は加工した鉄を置くんだ!」


 僕は一つずつ聞いた。炉。金床。水場。鉄板。……なるほど。


「ありがとう!」


 僕は礼を言って、もう一度グレンを見る。グレンは不満そうに、声を漏らした。


「……客に聞くなんて反則だろ」


「でも、そんなのルールにないよね?」


「そういう問題じゃねえ!」


 グレンが金槌を握り直した。


「……そういうことなら」


 グレンは炉へ向かった。僕は追おうとした。


 でも、グレンは炉の中から赤く熱された鉄を取り出すと、金床へ置いた。そして。僕ではなく、鉄の端を見ていた。


 金槌が振り下ろされる。鉄が鳴った。一度じゃない。二度。三度。同じ場所を叩いているように見える。でも、違う。少しずつ、鉄の形が変わっていく。


「……何をしてるんだ?」


 僕が呟いた、そのとき。グレンが鉄を金床から持ち上げた。僕へ向かって一直線に投げる。


「え?」


 僕は反射的に避けた。鉄は僕の横を通り過ぎ、石床へ落ちた。


 その瞬間、グレンが鉄を蹴った。床を滑った鉄が、僕の足元へ向かってくる。


「っ!」


 僕は飛び越えた。着地する。その先には、さっき砕かれた石床。僕が一歩踏み込んだ瞬間、石が崩れた。


「う――!」


 体が傾く。その隙に、グレンが距離を詰めてきた。


 金槌が振られる。僕は横へ転がった。槌が石床を叩く。


 グレンは追撃しない。僕が立ち上がるのを待っている。僕は息を整えながら、グレンを見る。


 さっきの鉄。ただ投げただけじゃない。あの形にしたから、床を滑った。僕が避ければ、砕けた床へ行く。そして、僕が足を取られたところを狙った。


「……最初から、ここまで考えてたの?」


「いや」


 グレンが金槌を肩に担いだ。


「今、作ったんだよ」


「今?」


「ああ」


 グレンはさっきの鉄を見る。


「職人はな。鉄を見て、どう動かせばどう変わるかを考える。何年も何年も、毎日だ」


 グレンが鉄を拾い上げる。


「熱い鉄をどう持つか。どこを打てば曲がるか。どこを冷やせば形が決まるか」


 鉄を金床へ置く。


「そんなことを毎日やってんだよ」


 金槌が振り下ろされた。鉄の端が、僕のほうへ鋭く曲がった。


「だから――」


 グレンが鉄を持ち上げる。


「俺は、ここにある鉄を見れば分かる」


 僕は息を呑んだ。


「何、が……?」


「どう使えば、相手が動くかだ」


 グレンは鉄を床へ置いた。


「これが、職人の《鉄操り》だ」


 その名前を聞いて、僕は鉄を見る。


 鉄を武器にしているんじゃない。鉄そのものを、道具として使っている。グレンはまた金槌を構えた。


「次は、お前の番だ。ゼロ」

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