58話 『武器を持たない旅人』
工房を出ると、空はもう夕焼けに染まっていた。
町全体がオレンジ色に染まり、あちこちの工房から漏れる炉の赤い光が、その中に混ざっている。
夕暮れの町に、カン、カン、カン――と、鉄を打つ音が響いていた。
「お前、本当にやるのか?」
隣を歩くアルフィーが言った。
「うん」
「さっき聞いたが、グレンはこの町じゃ有名な職人って噂だぞ」
「そうなんだ」
「……そうなんだ、じゃねえよ」
アルフィーが呆れたように言った。
僕は前を歩くグレンを見る。太い腕。傷だらけの手。さっき鉄を打っていたときの、あの槌。何年も、あれを握ってきたんだろう。
僕には、それがどれくらいすごいことなのか、まだ分からない。でも。
「……勝てる気がする」
僕がそう言うと、アルフィーが足を止めた。
「は?」
「グレンさんに」
「お前な……」
「変、だよね」
「変っていうか……」
アルフィーが言葉を探すように黙った。
「まあ、お前らしいけどな」
アルフィーはそう言って、また前を向いた。
僕はその背中を見ながら歩いた。
「……ゼロ」
反対側からフィオナの声がした。
「ん?」
「無理はしないで」
「うん」
僕はフィオナを見る。
「でも、大丈夫だと思う」
「どうして?」
「分からない」
自分でも不思議だった。
「でも、さっきからずっと……できる気がしてるんだ」
フィオナは少しの間、僕を見つめていた。
「……そう」
しばらく歩くと、町の中央に大きな石造りの建物が見えてきた。
武器屋や工房が並ぶ町の中でも、そこだけは少し雰囲気が違う。厚い石壁。鉄の門。建物の上には、称号を示す紋章が掲げられている。
「――鍛冶の町の、公認格付場だ」
グレンが言った。
「……公認格付場……王都にもあった」
あの時は、入れなかった。虚人だったから。
グレンは中へ入る。僕も足を踏み入れた。
受付の前には、何人かの人が並んでいた。グレンが受付へ進む。
「称号バトルを頼む」
「対戦者のお名前と称号をお願いします」
「グレン。職人だ」
受付の男が記録を取る。
「もう一人は?」
グレンが僕を見る。
「僕はゼロ。旅人です」
「旅人……?」
受付の男が少しだけ顔を上げた。
「申請する武器は?」
「えっと、ないです」
「……本当に、登録なし?」
「……はい」
受付の男は僕とグレンを交互に見た。グレンは何も言わない。
「分かりました。称号バトルとして登録します。間もなく開始となりますので、準備をお願いします」
手続きを終えると、奥の扉が開いた。その向こうから、人の声が聞こえてくる。扉を抜ける。
そこには、大きな円形の闘技場が広がっていた。中央には広い石の床があり、その周囲を観客席が囲んでいる。
壁際には炉がいくつも並び、冷却用の水槽や鉄の作業台、金床まで置かれていた。鉄板や鉄の棒、使い古された金属片も、あちこちに積まれている。
「それでは、両者、入場!」
大きな声が館内に響いた。観客席から、一斉に歓声が上がる。僕たちは、石造りのアリーナへ入っていく。
「グレンだ!」
「グレンが出るぞ!」
観客席から声が上がった。
「この町の職人だ!」
「グレン、頑張れよ!」
次々と声が飛んでくる。僕の方を見て、首を傾げる人もいた。
「……誰だ、あいつ」
「朝、町で見た三人組じゃねえか?」
「ああ、あの旅人か」
予想通りの、冷めた反応。その時。
「ていうか、あいつ手ぶらだぞ!」
「命知らずの馬鹿か?」
笑い声が混じる。
僕は自分の手を見る。何も持っていない。剣もない。槌もない。あるのは、念のため持ってきた、旅で必要な荷物だけだ。
だけど、旅人よりも強い称号の職人に、そんなものが通用するとは思えない。
「グレン!」
「やっちまえ!」
「職人の意地を見せろ!」
そんな声が降り注ぐ中、グレンは何も言わず、アリーナの中央まで歩いていく。僕も、その向かい側へ進んだ。
すると、アリーナの上に立っていた男が、大きく手を広げた。
「さあ、皆さん! 本日の称号バトル、その対戦カードはこちら!」
観客がざわめく。
「まずは、鍛冶の町でも名を知られた男!」
男がグレンを指差した。
「幾度も失敗し、幾度も鉄を打ち続けてきた、生粋の鍛冶職人!」
一瞬の静寂。
「その名も、グレン!」
その瞬間、再び観客席から歓声が上がる。男が僕を見る。
「そして、その相手は――旅人、ゼロ!」
一瞬、観客が静かになった。
「しかも!」
男が僕の手を見て、声を張り上げる。
「驚くべきことに、その身一つ! 携える武器は――一切なしの丸腰だぁぁ!」
「おおおおっ!」
観客が一斉に沸いた。
「どうやって戦うんだ!」
「旅人なんだろ! 走って逃げるのか!」
「グレンに勝てるわけねえ!」
笑い声まで聞こえてくる。でも、その中で――。
「旅人、頑張れ!」
少し離れたところから、そんな声が聞こえた。
「負けんなよー!」
別の声もする。僕は観客席を見る。誰が言ったのかは分からなかった。でも、少しだけ嬉しかった。
実況の男が、さらに声を張り上げる。
「ここは鍛冶町の公認格付場!」
そう言って辺りを見回す。
「炉、金床、水場、作業台――鍛冶に必要なものは、すべて揃っている!」
その言葉が落ちた瞬間、グレンが小さく笑った。
「この場所を知り尽くした職人グレンに対して、武器を持たない旅人ゼロは、いったいどう戦うのか!」
観客の声が大きくなる。
「それでは――」
実況の男が、僕とグレンを見る。
「まもなく、試合開始です!」
歓声がアリーナを揺らした。僕はグレンを見る。グレンも、僕を見ている。
僕は槌も持っていない。剣もない。何もない。それでも。なぜか、負ける気がしなかった。




