【第2章 称号と夢】 51話 『肩書きだけの大商人』
朝。窓から差し込む光で、僕は目を覚ました。
昨日泊まった宿の部屋は、朝になると少し明るかった。外から、人の声が聞こえる。馬車の音もする。
僕はベッドから起き上がって、軽く伸びをした。
「ふぁ〜……あ――」
部屋の中には、アルフィーとフィオナもいた。
「おはよう」
「……おはよう」
フィオナが小さく返す。アルフィーは、まだ少し眠そうだった。
「朝ごはん、食べに行く?」
「うん」
僕たちは身支度を整えてから、宿の食堂へ向かった。朝食は、パンとスープ、それから少しの果物だった。僕はスープを一口飲む。
「……あ」
どこか懐かしい味がした。
この味……。前にジュールが作ってくれた、野草のスープ。ランタンスープに、少し似てる。あのときのことを思い出して、僕は少しだけ笑った。
あれから、いろんなことがあった。こうして旅をしていることも、あの頃の僕なら想像できなかったと思う。もう一口、スープを飲む。
「美味しい」
思わず、そう呟いた。特別な朝食じゃない。でも、温かいスープは美味しかった。
「今日、どこまで行く?」
パンを食べながら僕が聞くと、アルフィーが地図を広げて指差した。
「地図だと、この先にいくつか街があるみたいだな」
「じゃあ、その辺りまで行ってみようか」
「ああ」
僕たちのやり取りに、フィオナも小さく頷いた。
朝食を食べ終えると、僕たちは宿を出た。
外は、もう人が動き始めていた。昨日の町よりも、少しだけ人が多い。道を歩く人も多いし、店の数も多い。露店には野菜や果物が並んでいて、通りの端には荷物を積んだ馬車も止まっている。
「次の町まで、どれくらいだろう」
僕がそう言うと、アルフィーが地図を見た。
「半日くらいだな」
「じゃあ、軽く食料を買っておいた方がいいね」
「そうだな」
僕たちは市場へ向かった。その途中、僕は何度か店先に並んだ商品を眺めた。
昨日までいた町とは違って、この町の市場はかなり大きかった。食べ物だけじゃない。服や道具、薬、旅に使うものまで、いろんな店が並んでいる。
「人、多いね」
僕が言うと、アルフィーが周囲を見回した。
「この辺りは街道が通ってるからな。いろんな場所から商人が集まってくるんだろ」
「へぇ……」
僕は並んでいる商品を眺めながら歩いた。見たことのない果物。変わった形の道具。色の違う布。どれも知らないものばかりで、見ているだけでも楽しい。
「ゼロ、食料買うんだろ」
「うん」
「だったら、あんまり寄り道するなよ」
「分かってるって」
そう言いながらも、僕は何度か足を止めた。
旅を始めてから、こういう市場を見るのが少し好きになった。町によって置いてあるものが違うし、同じような商品でも値段が違ったりする。
しばらく歩いていると、少し大きな店の前に人だかりができていた。
「何だろう?」
僕が近づくと、店の前に一人の男が立っていた。立派な服を着ている。胸元には、何かを示す小さな金属板がついていた。
「大商人……?」
僕が読み上げると、男がこっちを振り向いた。
「おや、君。私の称号が分かるのかね?」
「うん。そこに書いてあるから」
「そうかそうか!」
男は満足そうに笑った。
「なら話は早い。私はこの街でも有名な『大商人』だ。商売のことなら、私に任せておけば間違いない」
「そうなんだ」
僕は素直に頷いた。すると男は、店先に並んでいる商品を指差した。
「ここの店主は、私にもっと安く商品を売るべきなんだ」
「どうして?」
「私は、大商人だからだ」
「……?」
僕は少し考えた。
「大商人だから、安く買えるの?」
「当然だろう」
男は胸を張った。
「私ほどの称号を持つ人間なら、店側もそれ相応の対応をするべきなのだ」
店の主人は困ったような顔をしていた。
「ですが、こちらも仕入れがありますので……」
「そんなことは知らん!」
男が声を荒らげる。
「私は大商人だぞ? 私に恥をかかせるつもりか?」
周囲の人たちが少し離れる。僕は男の胸元にある称号をもう一度見た。――大商人。たしかに、すごそうな称号だ。でも――。
「……ねえ」
「なんだ?」
「大商人って、どんなことをするの?」
僕が聞くと、男は少しだけ黙った。
「そ、それは……商売だ」
「じゃあ、何か買うの?」
「いや……」
「何か売るの?」
「……それも、今は必要ない」
「じゃあ、何するの?」
男は眉をひそめた。
「そんなことはどうだっていい。称号を持っていることが重要なんだ」
「……」
僕は黙った。アルフィーが隣で小さく息を吐く。
「ゼロ、行くぞ」
「うん」
僕たちが離れようとすると、さっきの男の声が聞こえてきた。
「まったく。最近の若者は称号の価値も分からないのか」
僕は振り返った。
男はまだ胸を張っている。その胸元には、確かに『大商人』という文字が刻まれていた。でも、僕にはその人が大商人なのかどうか、よく分からなかった。
「……アルフィー」
「なんだ?」
「あの人、本当に大商人なのかな」
「称号があるんだから、そうなんじゃないか?」
「でも……」
僕はさっきの男を見る。
「商売してなかったよ」
「……まあな」
アルフィーは少し困ったように笑った。
「称号と本人が、いつも同じとは限らないってことだろ」
「……称号と本人が?」
「ああ」
アルフィーはそれ以上何も言わなかった。僕も、それ以上は聞かなかった。
市場を進んでいく。しばらくすると、今度は別の人が目に入った。人だかりの中心で、一人の男が剣を振っている。
「俺は、『剣闘士』だ!」
周りから歓声が聞こえてくる。
「おお!」
「すげえ!」
「初めて見た」
「当然だ! この称号を持っている俺に勝てる奴なんて――」
男はそう言いながら剣を振った。でも、少し振ったところで手を止める。
「……まあ、今日はこのくらいでいいだろう」
「え、もう終わり?」
気づけば僕は、つい本音が声に漏れていた。
「俺が本気を出したら危ないからな」
男はそう言った。でも、僕には少しだけ変に聞こえた。隣でアルフィーが苦笑する。
「まあ、ああいうのもいる」
「称号って、すごいものじゃないの?」
「すごいんじゃないか?」
「じゃあ、なんであの人は……」
僕は言葉を止めた。胸に何かが引っ掛かる。
称号を持っている人は、もっとすごい人なはずだ。少なくとも、僕はそう思っていた。王都にいた頃は、称号を持っている人と、持っていない人の間には大きな差があると思っていたから。
でも、今目の前にいる人たちは、称号を持っていることを自慢しているだけに見えた。
「……変なの」
「何が?」
「ううん」
僕は首を横に振った。
「なんでもない」
僕たちはそのまま市場を抜けた。必要な食料を買い、袋に詰める。パンをいくつか。干し肉。それから果物も少し。僕は買った袋を持ち上げる。
「これくらいあれば大丈夫かな?」
「次の町まで半日なら十分だろ」
「そうだね」
僕たちは歩き始めた。




