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四十九話 『川を渡る称号』

 牛飼いの人と別れてから、僕たちは西へ向かって歩いた。


 何度か道を曲がり、途中で小さな村に立ち寄った。道は少しずつ人の少ない場所へと変わっていった。畑が減り、代わりに木々が増えてくる。地図を見る。


「……たしか、この先にあったはずなんだけど」


「何がだ?」


 アルフィーが聞いてくる。


「川だよ」


 地図には、大きな線が一本引かれていた。町と町の間を横切るように流れている。そこに、橋らしきものは書かれていない。どうやって渡ればいいのか。考えてみても、答えは浮かんではこない。


 道を進んでいくと、木々の向こうから水の音が聞こえてきた。少し開けた場所に出る。


「……大きい」


 川だった。向こう岸が、少し遠く見える。流れも速い。やっぱり橋はない。


 代わりに、川岸に一艘の船が止まっていた。何人かの旅人が、その船に乗り込んでいる。


「これだね」


「たぶん」


 アルフィーが地図を見る。


「他に道は?」


「あるけど……」


 地図を指でなぞる。


「上流まで回れば渡れる。でも、かなり遠回りになる」


「なら、船だな」


「うん」


 前なら、こういうときにどうすればいいか分からなかったと思う。でも。


 今は、地図を見る。町で聞いた話を思い出す。道を確認して、必要なら人に聞く。少しずつだけど。僕も旅人らしくなってきた気がした。


「あの、すみません」


 船の近くにいた男の人に声をかける。


「この船、乗れますか?」


「ああ。ちょうど次が出るところだ」


「いくらですか?」


「五十クレストだよ」


 料金を聞いて、アルフィーがぽつりと漏らす。


「結構かかるな」


 たしかに。前に泊まった宿代と同じくらいする。だけど、橋を渡るにはこの船に乗る以外方法はない。料金を支払って、僕たちは船に乗った。


 船は思っていたより大きかった。木で作られていて、中央に荷物を置く場所がある。


 乗客がそれぞれ場所を取ると、最後に一人の男が乗ってきた。船を確認するように歩き、縄を外す。


「……あの人が船を動かすのかな」


「そうだろ」


「聞いてみる?」


「好きにしろ」


「……うん」


 最近、こういうのにも少し慣れてきた。


「すみません」


「ん?」


「この船を動かしてるんですか?」


「ああ、そうだ」


 男は短く答えた。


「俺の称号は、『船長』だ」


 その言葉が、少しだけ耳に残った。牛飼いとは違う。でも、やっぱりその人の生活を表している。船が動き出した。岸がゆっくり離れていく。


「……」


 川の流れが近い。船長は前を見ながら、時々、川の方へ視線を向けていた。右。少しだけ左。船が流れに合わせて向きを変える。僕には、どうしてそうしているのか分からない。


「船長」


「なんだ?」


「今、何を見てるんですか?」


「川だ」


「……川?」


「ああ」


 船長は川面を見たまま答えた。


「流れが場所によって違う。風もある。水の深さも変わる」


「見ただけで分かるんですか?」


「全部じゃない」


 そう言って、船長は少し笑った。


「毎日見てるからな」


「毎日……」


 その言葉を聞いて、牛飼いの人を思い出した。あの人も、毎日牛を見ていた。今日の牛の様子を見て。昨日との違いを見て。その積み重ねが、あの人の仕事になっていた。この人も同じなのかもしれない。


 ただ、見ているものが違う。牛じゃなくて、川。そして船。


「船って、面白いですね」


「そうか?」


「僕だったら、今どっちに舵を切ればいいのか全然分からないです」


「感覚だ。慣れれば分かる」


「僕も毎日乗ってたら、分かるようになりますか?」


「毎日見てれば、そのうちな」


 船長はそう言って、小さく舵を切った。隣ではアルフィーが黙って川を見ている。フィオナも遠くの方の水面を見ていた。


 そのときだった。船が大きく揺れた。


「っ」


 体が横に持っていかれる。足が滑った。


「きゃっ……!」


 フィオナの声がした。次の瞬間、僕の服の袖が少しだけ引かれた。


「……!」


 フィオナが僕の袖を掴んでいた。でも、それも一瞬だった。船が元に戻ると、すぐに手を離す。


「……ごめん」


「う、ううん」


 フィオナは少し恥ずかしそうに目を逸らした。僕も何となく川を見る。


 アルフィーは何も言わなかった。ただ、川面を見つめたまま、その手はいつでも銃を抜けるように柄に添えられていた。


「今の、危なかったですね」


 僕が言うと、船長が前を向いたまま答えた。


「この辺は流れがぶつかるんだ」


「先に分からないんですか?」


「分かる」


「え?」


「だから避けた」


「……」

 船長の目が、少しだけ鋭くなる。


「最近この川は、妙な魚……いや、化け物でも棲みついたかのように、変なうねり方をしやがる」


 僕は川を見た。さっきまでと同じように見える。でも船長には、何かが見えている。僕には見えないものが。それが少しだけ面白かった。


「船長は、船が好きなんですか?」


「まあな」


「どうしてですか?」


 船長は少し考えてから答えた。


「船に乗るのが好きだったからな。ずっと船に乗ってる」


「……それだけ?」


「それだけだ」


 意外にもあっさりしていた。でも、その言葉が妙に残った。


 船が好きだから。毎日船に乗る。川を見る。風を見る。流れを見る。そうやって過ごしているうちに、『船長』という称号になった。そんな感じがした。


 やがて、向こう岸が近づいてくる。船が岸に着く。僕たちは船を降りた。


「ありがとうございました」


「ああ。気をつけてな」


「はい」


 軽く会釈して、歩き出す。少し進んでから、僕は振り返った。


 船長はもう次の客を乗せる準備をしていた。また、川を渡るんだろう。今日も。明日も。きっと、その先も。


 僕は自分の胸元にある『旅人』の称号に触れた。旅は楽しい。知らない場所を見るのも。知らない人に会うのも。知らなかったことを知るのも。それは、分かってきた。でも。


 船長は、船が好きだった。牛飼いは、牛と暮らしていた。じゃあ、僕は? 僕は――。旅がしたくて、『旅人』になったんだろうか。


 ポケットの中で、王都を発つ前に手に入れた数枚の金貨が、冷たく擦れ合う音がした。


 僕たちの旅は、この金貨が尽きるまでに、その答えを見つけなければいけない旅でもある気がした。

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