【第一章 旅人として】 四十七話 『「旅人」という免罪符』
馬車に揺られながら、どれくらい進んだだろう。朝の草原を抜けて、しばらくすると景色が変わってきた。
道の両側に建物が増えていく。王都みたいに高い建物はない。ほとんどが木と石でできた低い家で、道も少しでこぼこしている。
「……町?」
僕が前を見ると、少し先に門が見えた。
「そうだろ」
アルフィーが答える。
「小さい町だな」
「うん」
王都とは全然違う。大きな市場もない。人の数も少ない。
でも、ちゃんと人がいる。荷物を抱えて歩いている人。店の前に商品を並べている人。馬の世話をしている人。それぞれが、自分の生活をしていた。
「……なんか、いいな」
「何がだ」
「こういう町」
アルフィーは何も言わなかった。馬車が門の前まで来る。
「止まれ」
門番の声がした。馬車が止まる。
僕は少しだけ背筋を伸ばした。昔なら、ここで何を聞かれるのか分からなかった。いや。分かっていたとしても、どうしようもなかった。僕には称号がなかったから。
「どこから来た?」
「王都からです」
「目的は?」
「……」
少し考える。王都から来た理由。仕事でもない。買い物でもない。僕はアルフィーとフィオナを見る。それから、自分の胸元に手を当てた。
「……旅です」
門番が僕を見る。なぜか一瞬だけ、怪訝な顔をしたように見えた。まだ、虚人に見えてるんだろうか。
「一応、旅人なんで」
その瞬間だった。僕の足元に、光が広がった。地面に薄い線が走り、それが円を描いていく。緑色の光。円の内側で、淡い光がゆっくりと揺れていた。
僕は黙って、それを見下ろす。知っている。この光が何なのか。称号を確認するための光だ。僕が言ったことが、本当なのかを確かめている。やがて光が一度だけ強くなった。
「……」
緑色。確認された。
「分かった。通っていいぞ」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「通っていい」
「……あ、はい」
門番はもう次の馬車を見ている。僕はしばらく動けなかった。通っていい。それだけだった。拒まれなかった。
昔なら、称号がないと言っただけで、周りの人たちの目が変わった。虚人。そう呼ばれていた。門を通ることさえできなかった。
でも今は。僕は自分で言った。僕は旅人だ、と。そして、その言葉が認められた。
「……通れた」
小さく呟く。
「当たり前だろ」
アルフィーが言った。
「そうなんだけどさ」
僕は苦笑した。
馬車が門を抜けて、町の中へ入っていく。フィオナが窓の外を見ていた。
僕も同じように外を見る。知らない町。知らない人。知らない道。王都にいた時は、こんな景色を想像したこともなかった。
これから、どこへ行くんだろう。何を見るんだろう。どんな人に会うんだろう。どんな称号を持っている人がいるんだろう。
胸元に手を当てる。そこには、僕が手に入れた『旅人』の称号紋がある。前にこの称号を見た時とは、少しだけ違う気がした。
あの時は、ただ必死だった。この称号が欲しかった。これがなければ、先へ進めないと思っていた。でも今は違う。僕は自分から旅をしている。
「……」
馬車が町の中を進んでいく。道の向こうに、まだ知らない場所が続いている。僕は窓の外を見ながら、少しだけ笑った。
「これが旅なんだ」
そう思いながら、馬車を降りた。僕たちは宿を探すため、町の中を歩き始めた。
「……人、多いな」
「王都よりは少ないだろ」
「そうだけど」
アルフィーの言う通りだった。
王都ほど人はいない。それでも、道を歩けば誰かとすれ違う。荷物を抱えた商人。買い物帰りらしい女の人。店の前で木箱を運んでいる男。みんな忙しそうにしている。僕はそんな人たちを眺めながら歩いていた。
「おや、旅人さんかい?」
突然、声をかけられた。
「え?」
振り返ると、店先にいた男がこっちを見ていた。
「この辺じゃ見ない顔だから。王都から来たのか?」
少しだけ考えてから、答える。
「はい、王都から。今こっちに着いたばかりで」
「へえ。今日は泊まるのか?」
「そのつもりです。あの、どこか安くていい宿ってありますか?」
「それなら、川を渡った先にある宿がいい。飯も悪くない」
「へぇ……ご飯まで出るのか」
僕が言うと、男は笑った。
「北へ行くなら、明日の朝は早く出たほうがいいぞ。最近は夕方になると街道が混む」
「北に行くと、何かあるんですか?」
「その先に大きな町がある。商人が増えるからな」
「なるほど……」
僕は頷いた。
「ありがとうございます。覚えておきます」
「おう。気をつけてな、旅人さん」
「はい!」
そのまま歩き出す。
「……」
なんだろう。少し、不思議だった。
「どうした」
アルフィーが横から聞いてくる。
「いや……」
僕はさっきの男を振り返った。
「普通に話せたなって」
昔だったら、知らない人に声をかけられるだけで緊張していた。何を言えばいいのか分からなかった。
でも、今は違う。旅をしていると、知らない人に話を聞くことが増えた。道のこと。町のこと。食べ物のこと。次の町まで何日かかるのか。どこに水場があるのか。どの道が安全なのか。
最初は聞くのも苦手だった。でも、何度も聞いているうちに、少しずつ慣れてきた。
「……次の町まで、三日くらいだったよね」
「昨日聞いた話なら、そうだ」
「うん。たしか、途中に川があるから、そこで水を補給できるって」
「覚えてるのか」
「それくらいは」
アルフィーが少しだけこっちを見る。
「へえ」
「何だよ」
「いや」
それ以上は言わなかった。
少し歩くと、今度は道端で荷物を整理している老人がいた。
「そっちの道はやめたほうがいいぞ」
「え?」
老人が指差した。
「昨日、雨が降っただろ。西側の道はぬかるんでる。それに……」
「それに?」
「最近、あの西の森のあたりは、妙な足跡が見つかっててな。旅人が一人行方不明になったって噂だ。まあ、なんにしても近寄らんこっちゃ」
老人はそう言って、体を震わせた。足跡。行方不明。気になることはたくさんあったけど、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、こっちですか?」
「ああ。遠回りになるがな」
「分かりました。ありがとうございます」
僕は地図を取り出した。西の道を見て、それから老人が教えてくれた道を見る。
「……本当に少し遠い」
「だから言っただろ」
老人が笑う。
「お前さん、旅人だろ?」
「え、なんで……」
「わしくらいになると、そういうのはなんとなく分かるもんさ」
老人はそう言って、くるりと杖を回した。
「旅人は道を聞くからな。そういう顔をしてる」
「……そういう顔、か」
僕はその言葉を聞いて、少し考えた。
旅人。剣士みたいに強いわけじゃない。王都の偉い人みたいに、何か大きな権力があるわけでもない。
それなのに。知らない町に来ても、こうして話しかけてもらえる。知らない人から、知らない場所の話を聞ける。そして、その話を持って次の場所へ行くことができる。
「……旅人って、不思議な称号だな」
「何がだ」
「強いわけでもないのに、いろんなところに行ける」
アルフィーは少し考えてから言った。
「だから旅人なんだろ」
「……そうかも」
僕は笑った。まだ知らない場所がある。まだ会ったことのない人がいる。まだ知らない道も、知らない称号もある。それを知るために、僕はここにいる。
胸元に手を当てる。そこにある『旅人』という称号が、今までより少しだけ身近に感じた。
「……旅人になってよかったな」
口に出してから、自分でも少し驚いた。でも。その言葉は、不思議なくらい自然に出てきた。




