四十二話 『交差した一撃のあとに』
杖と拳が、ぶつかり合う。鈍い衝撃が腕を突き抜けた。
「……っ!」
押し返される。それでも、もう逃げなかった。
砂を蹴る。瓦礫を踏む。落ちていた木片を足場にして跳ぶ。使えるものは全部使う。何者でもない僕だから。
「はぁっ!」
拳を振る。ジュールは半歩だけ身を引く。避けきれない。頬をかすめた。初めてだった。ジュールの体が、わずかによろめく。
「……」
客席が静まり返る。誰も声を上げない。目の前で起きたことが、信じられないようだった。
ジュールはゆっくりと頬へ触れる。指先についた赤い血を見て、小さく笑った。
「思ったとおりだ。君は、普通じゃない」
その声は、どこか嬉しそうだった。
「僕はただの虚人です。……でも――」
真っ直ぐジュールの目を見る。
「だからって、負けるわけにはいかない!」
叫び返す。立ち止まれば終わる。考えるより先に体が動いていた。石を投げる。ジュールが杖で弾く。その隙に飛び込む。拳。肘。肩。型なんてない。ただ届く場所を殴る。
ジュールも応じる。杖が唸る。地図が広がる。ロープが跳ねる。踏み抜いた石畳が崩れる。何度も転び、何度も立ち上がった。
息が切れる。視界が揺れる。腕はもう上がらない。それでも。
「うおおおおおっ!!」
最後の一歩を踏み込んだ。ジュールも同じだった。
「……っ!」
二人の体が、ほとんど同時に前へ出る。拳と杖。互いの一撃が交差した。――ドォンッ、と重い音が闘技場に響く。
しばらく誰も動かなかった。砂煙だけが、ゆっくりと流れていく。
「……どっちだ」
誰かが呟く。僕は息を荒くしながら立っていた。膝が震える。今にも倒れそうだった。目の前の砂煙が、少しずつ晴れていく。そこには。
「……あ」
ジュールがいた。杖を地面へ突き立てたまま。静かに。片膝をついていた。会場が息を呑む。
「ジュールが……」
「膝を……」
誰も、その続きを言えない。ジュールは苦しそうに息を吐き、それでも穏やかに笑っていた。
ジュールの口がかすかに動く。
「やっぱり……君は、すごいな」
そう言って小さく息をついた、その時だった。ジュールの胸元が、淡く光り始める。緑色の光。最初は小さな光だったのに、鼓動に合わせるように少しずつ強くなっていく。
やがて光は形を変えた。一本の道。枝分かれする道。何本もの道が交わり、繋がり、一つの形になる。
「……『旅人』の称号紋」
思わず呟いた。間違いない。さっき、水汲みの男が奪っていたものと似ている。
でも、目の前に浮かぶ称号紋は、比べものにならないくらい眩しかった。見ているだけなのに。胸の奥が、熱くなる。
僕は動けなかった。目の前には、『旅人』の称号紋が浮かんでいる。淡い緑色の光。静かに脈打つその称号紋は、ただ見ているだけなのに胸が苦しくなった。
「……僕が」
喉が震える。
「これを……」
奪う。その言葉だけが、どうしても口にできなかった。ジュールは膝をついたまま、小さく笑う。
「さぁ」
優しい声だった。
「獲るんだ」
「……っ」
首を振る。
「でも……」
そんなこと、できるわけがない。これはジュールのものだ。旅人として歩いてきた証だ。僕なんかが触れていいものじゃない。
「大丈夫」
ジュールは、少しだけ息を切らしながら笑った。
「君なら、できる」
その言葉に背中を押されるように、僕はゆっくりと手を伸ばした。




