↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
37/56

【第七章 奪う者、奪われる者】 三十七話 『引かれた一本の戻れない線』

 あれから数日がたった。気づけば、頭の中は旅人のことばかりだった。僕はジュールを探して街へ出た。


 街は相変わらず騒がしかった。石畳の上を行き交う人の声が、絶え間なく重なっている。その中で、ふと視線が止まる。


「やぁ、また会ったね」


 古びたマントに大きな荷物。変わらない笑顔。ジュールだった。


「……ジュールさん!」


 思わず名前が出る。彼は軽く手を上げるだけで、まるで昨日の続きのようにそこにいた。


「元気そうだね」


 何気ないその一言が、妙に遠く感じた。あの夜から、頭の中に残っている言葉がある。――旅人。それだけが、ずっと離れなかった。僕は一度息を吸う。


「……あの!」


「?」


「僕、旅人になりたいです」


 言った瞬間、胸の奥が強く鳴った。ジュールは一瞬だけ目を丸くする。


「……そうか」


 でも、すぐにいつもの柔らかい笑みに戻った。


「ゼロくんにも、ちゃんと夢ができたんだね」


 その言い方が、わずかに引っかかる。夢。そんな軽いものじゃない。でも、言葉にはできなかった。


 少しの沈黙。通りの喧騒だけが、流れていく。ジュールはその沈黙を見て、それから小さく息を吐いた。


「いいよ」


 あまりにも自然な声。


「受ける」


「……え?」


 思わず聞き返す。ジュールは肩の荷物を軽く揺らしながら続ける。


「バトルのことだよ。旅人になりたいんでしょ?」


 僕は言葉を失う。まだ何も準備もしていない。何も始まってすらいないはずなのに。


 それでも、その言葉で何かが確かに決まった気がした。ジュールは変わらず笑っている。


「……いいんですか?」


「うん。僕も君と戦ってみたいと思ってたんだ」


 通りの音は変わらないまま続いている。だけどその中に一本だけ、戻れない線が引かれていた。僕はその向こうを見ていた。


 ジュールの言葉が落ちたあと、しばらく誰も何も言わなかった。


「じゃあ、行こうか」


 最初に口を開いたのはジュールだった。


「ちょうど近くに、戦える場所がある」


 そう言うと、そのまま歩き出す。僕たちはそれに続くしかなかった。


 街の喧騒を抜けてしばらく進むと、巨大な建物が見えてくる。高い壁に囲まれた円形の構造。上へ上へと積み上がる観客席。中には人がたくさんいるようだった。


「ここだよ」


 ジュールが軽く顎で示す。


「国が管理する決闘施設、公認格付場《ステータス・アリーナ》だ」


 門の前には受付があり、数人の係員が立っていた。中へ入ろうとした瞬間、すぐに止められる。


「登録をお願いします」


 淡々とした声だった。


「旅人。ジュール」


 ジュールは、慣れた様子で称号と名前を告げる。


「では次。お相手の方も、登録をお願いします」


「……虚人。ゼロです」


 僕も短く答える。すると、係員はわずかに表情を変えた。


「当アリーナでは、虚人の方のみ利用料が別になります」


「……へ?」


 思わず声が出る。提示された金額を見て、言葉を失った。


「ひゃ……百クレスト!?」


 到底、払える額じゃない。というより、僕は一クレストも持っていない。


「……っ、そんな大金……」


「お支払いいただけないようでしたら、お引き取りください」


「ちょ、ちょっと待ってください! なんで……なんで、虚人だけがお金を払わなきゃいけないんですか!」


 係員は変わらない声で続ける。


「制度は平等です。『価値ある登録者』にとっては。 お支払いいただけないようでしたら、お引き取りください」


 その言葉が、頭に引っかかった。平等。どこが。


「……そんなのおかしいだろ!」


 つい、声を荒げてしまう。でも受付の係員は表情を変えない。


「規則に基づいています」


 それだけ。その一言で、会話は終わった。


「……」


 背後から、ざわつく人の声が聞こえてくる。


「いやいや」


「虚人は無理だろ」


「最初から来るなって話だ」


 何気ない悪意が、空気に混じっている。


 アルフィーが小さく息を吐いた。フィオナは何も言わない。ただ、じっと受付を見ている。


 ジュールはしばらく黙っていたあと、受付の方へ軽く手を上げた。


「なら、別の場所でやろう」


「……別の場所?」


「来ればわかるよ」


 ジュールはそれだけ言うと、歩き出した。僕は少し遅れて、その背中を追った。


 大通りの屋台からは香ばしい肉の匂いが漂い、客たちは頬張りながら笑っている。その賑やかさを横目で見ながら、僕は小さくため息をついた。


「……でもさ」


 誰に言うでもなくボソッと呟く。


「なんでわざわざお金のない虚人から、お金を取ろうとするのかな」


 思い出すだけで、じわじわと腹が立ってくる。


「あの受付の称号、『取り立て屋』か『ゆすり屋』だと思う」


 僕がフンと鼻を鳴らすと、隣を歩くアルフィーは「気にするな」とでも言うように、小さく息を吐いた。フィオナは何も言わない。ただ、ちょっとだけ気の毒そうな目でこっちを見ている。


「あそこは規則第一だから」


 前を歩くジュールが、振り返らずに苦笑混じりの声を出す。


「でもさ、なんで虚人だけ……」


「虚人は虚人のままでいてほしいのかもね」


 ジュールが少しだけ声のトーンを下げて言った。


「なんで?」


「それは僕にもわからないけど。でも、何か事情があるんだと思うよ」


「……」


 街の中心から外れるほど、音が変わっていく。人の声は減っているのに、湿ったようなざわつきだけが濃くなっていく。


「……あの、ほんとにこっちで合ってるんですか」


 僕が聞くと、ジュールは振り返らずに答えた。


「合ってるよ」


 それ以上は言わない。やがて大通りの明かりが途切れて、建物の隙間に入った。道というより、壁と壁の間に押し込まれたような通路だった。奥に進むほど、空気が重くなる。


「ここだ」


 そう言うと、ジュールは止まった。


「旅の途中で見つけてね」


 目の前に、入口らしきものはない。ただ壊れた壁の裂け目のような隙間から、光と音が漏れているだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。