三十五話 『星空の下の憧れ』
休憩を終え、再び歩き始める。街へ着くと、石畳の道には露店が並び、多くの人が行き交っていた。
「久しぶりだな、この街」
ジュールは懐かしそうに辺りを見回した。
「前にも来たことあるんですか?」
「うん、何回かね」
門へ近づくと、門番がジュールに気づいて笑った。
「おっ、旅人じゃねぇか。また来たのか」
「こんにちは。また少しお世話になります」
「相変わらずあっちこっち飛び回ってんな」
軽く笑い合い、ジュールは自然に門をくぐる。
「おーい、ジュール!」
街へ入ると、今度は市場の商人が手を振った。
「今朝は助かったよ! 何かお礼でもさせてくれ!」
ジュールは笑いながら手を振り返す。
「うん、また今度」
さらに歩いていると、今度は子どもたちが駆け寄ってきた。
「ジュールだ!」
「お兄ちゃん、おかえり!」
子どもたちは楽しそうにジュールの周りへ集まる。
「元気だったか?」
「うん!」
「この前のお話の続き、聞かせて!」
「帰る前にね」
ジュールが笑うと、子どもたちは嬉しそうに頷いて走っていった。
「知り合い、たくさんいるんですね」
「旅をしてると、顔見知りは増えるからね」
僕は歩きながら、隣のジュールを見つめる。
門番とも話せる。商人とも笑い合える。子どもたちにも慕われている。外国の人とも言葉を交わせる。旅人が強い称号なわけでもない。
それなのに、この人はどこへ行っても自然に居場所を見つけてしまう。
「……すごいな」
思わず漏れた言葉に、ジュールは首を傾げた。
「どうかした?」
「あ、いや……なんでもないです」
僕は小さく笑った。旅人って、不思議な称号だ。強いとか、偉いとかじゃない。自由に生きるための称号なんだ。
その日の夜――。僕たちは、街道から少し外れた開けた場所で野宿をすることになった。焚き火が、ぱちぱち音を立てる。橙色の火が四人の顔を照らし、夜風が火を優しく揺らしていた。
「旅って、毎日こんな感じなんですか?」
僕が尋ねると、ジュールは炎を見つめたまま笑った。
「毎日違うよ」
「そうなんですか?」
「晴れの日もあれば、雨の日もある。宿に泊まる日もあれば、こうして野宿する日もある」
薪が小さく爆ぜる。
「でも、それが面白いんだ」
ジュールは炎の向こうを眺めるように目を細めた。
「世界は、本当に広いからね」
「広い……」
「この国を出れば、砂しかない国もある。雪が一年中積もっている山もある。海の向こうには、ぼくらも知らない国がまだたくさんある」
僕は自然と焚き火の向こうへ視線を向ける。暗い森の先に、そんな世界が続いているなんて、今まで考えたこともなかった。
「国境を越えるたびに、言葉も、食べ物も、人も変わるんだ」
ジュールは笑う。
「知らない称号だって、たくさんあるよ」
「え?」
「この国にはない称号も、世界にはたくさんある」
「へぇ……」
胸が高鳴る。世界には、僕が知らないものばかりなんだ。
気づけば僕は、夢中になって話を聞いていた。隣では、フィオナも静かに耳を傾けている。アルフィーは腕を組み、何も言わず焚き火を見つめていた。
しばらく沈黙が流れた後、僕は言った。
「称号って……何なんですかね」
ジュールは少し笑う。
「肩書きだよ」
「肩書き……?」
「うん」
炎が揺れる。
「何になるかじゃない」
一拍。そして。
「どう生きるか」
その言葉に、僕は息を飲んだ。ジュールは焚き火へ一本の枝をくべる。
「例えば旅人もそう」
「えっ、旅人も?」
「旅人だから旅をするんじゃない」
炎が大きく揺れる。
「旅を続けた人間が、本当の旅人になる。少なくとも、ぼくはそう思ってる」
ジュールの真剣な顔。初めて見た。こんな顔もするんだ。
「だから旅人って名乗っていても、本当の旅人とは限らないんじゃないかな」
焚き火が静かに燃えている。僕は黙って炎を見つめた。称号は、その人を決めるものじゃない。どう生きてきたかが、その称号を本物にする。
――何になるかじゃない。――どう生きるか。その言葉が、焚き火の熱のように胸の奥へ静かに残り続けていた。
焚き火は少しずつ小さくなり、ぱちぱちと静かな音だけが残っていた。食事を終えると、それぞれ毛布にくるまる。夜がゆっくりと更けていく。
ジュールは旅に慣れているのか、横になるとすぐ穏やかな寝息を立て始めた。アルフィーとフィオナも、焚き火の温もりを背に、体を丸めて寝ているみたいだ。
僕だけが、なかなか眠れなかった。そっと毛布を抜け出し、焚き火から少し離れる。見上げると、夜空いっぱいに星が散らばっていた。
「……きれいだな」
そういえば、ジュールは言っていた。世界は広い、と。この星空の向こうにも、砂漠があって、雪山があって、海があって、僕の知らない国がある。そう思うと、胸が熱くなる。
「どうした」
後ろから低い声。振り向くと、アルフィーが近くにきていた。
「寝れないのか」
「うん。なんか、いろいろ考えちゃって」
アルフィーは隣に並ぶと、僕と同じように夜空を見上げた。しばらく、二人とも何も言わない。
静かな夜だった。柔らかい風の音と、焚き火の小さな音だけが聞こえてくる。
「ねぇ、アルフィー」
「なんだ」
「旅人って、いいね」
僕が言うと、アルフィーは目を細めた。
「自由だからな」
それだけ言って、また星空へ視線を戻す。僕も空を見上げる。
「自由、か」
知らない景色を見て。知らない人と出会って。知らない言葉を覚えて。どこへでも歩いていける。そんな生き方があるなんて、今日まで知らなかった。
アルフィーは、それ以上何も言わなかった。ただ静かに星空を見上げていた。その横顔は、少しだけ自由に憧れているようにも見えた。
僕ももう一度、夜空を見上げる。無数の星が、静かに輝いている。あの星の下にも、まだ僕の知らない世界が続いている。
いろんな場所に行ってみたい。まだ見たことのない景色を見てみたい。そんな思いが胸に残って消えなかった。




