三十一話 『夕焼けに伸びる三つの影』
「……はぁ」
助かった。そう思った、その時だった。
「こっちだ!」
「いたぞ!」
今度は別の足音が響いてくる。騎士団だ。その後ろから、大勢の街の人たちも駆け寄ってくる。
「子供だ!」
「無事か!?」
男の子は泣きながら騎士へ駆け寄った。その姿を見て、大人たちが安堵の声を漏らす。そんな時、騎士団の一人の男が少女を指差した。
「あ……悪魔だ!」
空気が一変する。
「あいつがさらったんだ!」
「やっぱり悪魔の仕業か!」
「捕まえろ!」
騎士たちが少女へ歩み寄る。少女は何も言わない。俯いたまま立っている。違う。違うのに。僕以外、誰も本当のことを知らない。
「違う!!」
気づけば、叫んでいた。その声に、その場が静まり返る。騎士も、大人たちも、一斉に僕を見る。
「この子じゃない!」
冷たい視線が突き刺さる。痛い。苦しい。それでも叫ぶ。だって……あの子はもっと――。
「僕は見たんだ! 子供をさらってたのは盗賊だ!」
僕は少女の前へ立つ。
「この子は……子供を助けてた!」
一瞬の静寂。静まり返った街に、風だけが吹き抜ける。
「嘘だろ」
誰かが呟いた。
「こんなガキの話を信じろってのか?」
「悪魔を庇ってるだけだ! 騙されるな!」
ざわざわと疑いの声が広がっていく。
「……ていうかこいつ、虚人じゃねぇか?」
「言われてみれば……前に門のところで見たな」
――まずい。顔を覚えられてる。
「無力な虚人が。悪魔を味方につける気か」
「違う……!」
「違わねぇよ!」
騎士の一人が剣を構える。
「言い訳は後だ。まずは悪魔を拘束する」
「だめだ!」
僕は少女の前へ立つ。
「どけ」
「どかない!」
「っ、貴様――」
騎士が踏み出そうとした、その時だった。
「――待て」
低い声が響く。人混みの向こうから、一人の男が歩いてくる。
「……アルフィー!」
銃を肩に担いで、颯爽と歩いてくる。そして、僕の横まで来ると騎士たちを見渡した。
「そのガキの言ってることは本当だ」
静かな一言。
「そ、そんなわけ……」
「俺も見た」
アルフィーの言葉に周囲がどよめく。
「子供をさらっていたのは盗賊の連中だ」
「じゃあ……悪魔は?」
騎士が問う。アルフィーはわずかに視線を少女に向ける。
「そのガキを助けてた」
アルフィーが言うと、群衆がざわついた。
「アルフィーまで……」
「あいつが証言するなら……」
「嘘をつく理由はねぇ」
騎士団長も眉をひそめる。
「……盗賊を追え!」
「はっ!」
数人の騎士が慌ただしく駆け出していく。男の子は騎士団に保護された。
騎士団が去り、街の喧騒も少しずつ遠ざかっていく。夕暮れに染まる路地には、僕と少女、アルフィーの三人だけになった。
「大丈夫?」
僕が聞くと、少女は俯いたままぴくっと震えた。
「……なんで」
少女が小さく口を開く。
「なんで助けたの」
僕は少し考える。
「……分からない」
それが本音だった。
「みんなが正しいのかもしれない。君が悪魔だって」
言葉にすると、自分でも胸が痛んだ。
「じゃあなんで」
少女に聞かれ、僕は少しだけ空を見上げる。
「君があの子を守ってたのは見た」
赤い瞳が揺れる。
「僕には、君が悪魔には見えなかった」
長い沈黙。少女は俯いたまま、小さく呟いた。
「……変な人」
「え?」
そして少しだけ迷うように視線を泳がせると、小さく口を開いた。
「フィオナ」
「……?」
「私の名前」
一瞬だけ、言葉を失う。
「……そっか」
自然と笑みがこぼれる。
「フィオナ、か。いい名前だね」
フィオナは少しだけ目を丸くする。本当に少しだけ。口元も柔らかく緩んだ。
「……もう行くね」
少女が背中を向けようとした、その時。
「あのさ!」
気がつくと、僕は声に出していた。フィオナは立ち止まる。
「また、会える?」
そして、少しだけ振り返ろうとした時。
「帰るぞ、ゼロ」
聞き慣れた声が後ろから響いた。
「……あ、アルフィー」
振り向くと、銃を肩に担いだアルフィーが立っていた。フィオナは一歩だけ後ろへ下がる。アルフィーが口を開く。
「お前も来るか?」
「……え?」
「どうせ一人だろ」
「……」
フィオナは何も答えない。
「飯くらいある」
「……悪魔だけど」
「知ってる」
あまりにもあっさりした返事だった。フィオナは少しだけ目を伏せる。
「……やめた方がいい」
「なんで?」
僕は思わず聞き返す。フィオナはしばらく黙っていた。
「私といると」
そこで言葉が止まる。白い前髪が揺れて、その奥の赤い瞳がわずかに揺れ動く。
「……よくないことが起きる」
小さな声。その言葉に、昨夜の夢が頭をよぎる。黒い翼。赤く光る瞳。僕は思わず息を呑んだ。
「それって……」
続きを聞こうとしたけれど、フィオナは小さく首を振った。
「だから、一人でいい」
その声は、自分に言い聞かせるみたいだった。少しの沈黙の後、アルフィーが小さく息を吐いた。
「だったら、何か起きてから考える」
フィオナが顔を上げる。
「……え」
「今は何も起きてない」
アルフィーはそう言ってフィオナを見た。
「でも――起きたら、その時追い出す。それでいいだろ」
フィオナは黙り込む。僕は二人の顔を見比べる。
「僕も」
気づけば、口が動いていた。
「また会いたいって言ったの、本当だから」
フィオナが僕を見る。
「君が悪魔なのかどうかは、まだ分からない」
夢の中の姿が、頭から離れない。あれがただの夢だったとは、まだ言い切れなかった。
「でも」
それでも。
「僕が見てきた君は、いつも誰かを助けてた」
「……っ」
「もう少しだけ君のことを知りたい」
風が静かに吹き抜ける。長い沈黙だった。やがてフィオナは小さく息を吐く。
「……ほんと、変な人ばっか」
「えぇ……」
思わず苦笑すると、フィオナの口元がほんの少しだけ緩んだ。
「……少しだけ」
小さく呟く。
「本当に、少しだけだから」
アルフィーは背を向けたまま歩き出す。
「行くぞ」
僕とフィオナは顔を見合わせる。フィオナはほんの少し迷ってから、小さく頷いた。
三人で歩き出す。夕焼けに伸びた三つの影が、静かな道へゆっくりと重なった。




