二十九話 『夢に蠢く異形の怪物』
日が沈む頃、僕は小屋へ戻ってきた。
中に入ると、アルフィーが椅子へ腰掛けたまま銃の手入れをしていた。僕に気づいても、ちらっと視線を向けるだけで何も言わない。
「ただいま」
「おう」
短いやり取りだけで会話は終わる。
僕は荷物を置き、そのまま床に腰を下ろした。今日あった出来事が、何度も頭の中を駆け巡る。騎士団。白い髪の少女。彼女の『また』という言葉。
「……ねぇ、アルフィー」
「なんだ」
「あの子って、本当に悪魔なのかな」
アルフィーは銃を拭く手を止めないまま答えた。
「知らん」
「え?」
思わず聞き返す。
「本人も知らんだろ」
「そんなことある?」
「あぁ」
アルフィーは淡々と言う。
「称号なんてそんなもんだ」
「そんなもんって……」
「悪魔だから悪魔。勇者だから勇者。そんな単純な話じゃない」
布で銃身を拭きながら、小さく息を吐く。
「実態なんて誰も分からん」
その一言が、小屋の中へ静かに落ちた。
誰も分からない。本人ですら。――なら、あの騎士たちが血眼になって追いかけていた『悪魔』という記号は、一体何なんだろう。
僕はしばらく黙り込んでから、もう一つ気になっていたことを口にした。
「アルフィーは、助けないの?」
アルフィーは少しだけ目を細める。
「今、余計なことすると余計面倒になる」
「じゃあ放っておくの?」
「……そういうわけじゃない」
それ以上、アルフィーは何も話さなかった。小屋の中で、火のはぜる音だけが静かに響いている。僕も、それ以上何も聞かなかった。
分からないことばかりだった。あの子が何を探していたのか。本当に悪魔なのか。どうしてあんな目に遭っても何も言い返さないのか。
答えは一つも見つからないまま、僕は毛布へ潜り込んだ。目を閉じても、赤い瞳だけが、いつまでも頭の中に残っていた。
* * *
その夜。気づけば、僕は暗闇の中に立っていた。空も、地面もない。ただ、果てのない黒だけがどこまでも広がっている。
「……ここは……」
見覚えがある気がした。どこで見たのかは思い出せない。ただ、この深い闇だけは知っているような気がした。
足を踏み出す。少し離れた場所に、小さな人影が見えた。
「あ――」
白い髪。細い背中。少女だった。膝を抱えるように座り込み、小さくうつむいている。肩がかすかに震えているように見えた。
「大丈夫……?」
返事はない。一歩、近づく。少女は動かない。もう一歩。静まり返った闇の中に、自分の足音だけが響き渡る。
「どうしたの?」
さらに近づいた、その時だった。少女がゆっくりと顔を上げる。
「――っ!」
心臓が、ドクン、と跳ねた。
赤い瞳が、闇の中で異様なほど鮮やかに光っている。風もないのに、白い髪が生き物のように不自然に逆立つ。
同時に、彼女の足元から黒い影が起き上がってきた。影は意志を持つように、彼女の全身を包み込む。
華奢な輪郭が、どろりと歪んでいく。彼女の背中が不自然に大きく膨らみ――メリメリと、骨が肉を裂いて軋むような嫌な音が闇へ響き渡った。
「……うそ、だろ……」
次の瞬間。――世界が、一瞬だけ、息を止めた。
少女の背中から広がったのは、巨大な黒い翼だった。数の黒い羽が、嵐のように舞い狂う。視界が黒く染まり、世界が塗りつぶされていく。
「え……」
そこにいたのは、もう昼間に見たあの少女とは別人だった。ただ静かに僕を見下ろす、圧倒的な異形の怪物だった。




