↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/57

二十八話 『孤独の慣れ果て、夕暮れの街で』

「待て!」


 怒号が飛ぶ。騎士の一人が僕たちへ向かって手を伸ばした。


「邪魔をするな!」


 肩を掴まれる。


「うわっ!」


 強い力で引き戻されそうになる。振り払おうとしても、びくともしない。


「その女から離れろ! 悪魔の呪いを受けてもいいのか!」


「っ……!」


 言葉を返す暇もなかった。もう一人の騎士が回り込み、僕たちの前へ立ち塞がる。


 ――挟まれる。そう思った瞬間。ちょうど横を、大量の荷物を積んだ荷車が通りかかった。――ここしかない。


「すみません!」


 僕は叫ぶと同時に、少女の手を引いて迫る馬体の鼻先へと突っ込んだ。


「なっ、おい!」


 騎士たちの足が止まる。無理に追えば荷車へぶつかる。その一瞬の隙だった。


「こっち!」


 荷車の陰へ飛び込み、そのまま細い脇道へ駆け込む。


「待て!」


 後ろから怒号が飛ぶ。重い金属音が石畳を激しく鳴らしながら迫ってくる。


 僕は少女の手を引いたまま、脇道を駆け抜けた。細い路地へ飛び込む。建物と建物の間は、人が二人並んで走るのがやっとの狭さだ。


 背後から、分厚い鉄の鎧がレンガの壁に激しく擦れ合う、鈍い金属音が響いた。


「くっ……!」


 騎士たちは鎧のせいで思うように動けないみたいだ。だけど、それでも足音は止まらない。


「まだ来る……!」


 路地を抜けると、その先は市場だった。野菜や果物を並べた露店が何列にも続き、大勢の人でごった返す中を、「失礼します!」と叫びながら、人と人のわずかな隙間を縫うようにして駆け抜ける。


「きゃっ!」


「お、おい!」


 驚いた人たちが慌てて道を空ける。後ろでは騎士たちが人波に阻まれ、思うように進めなくなっていた。


「どけ! 王国騎士団だ!」


 怒鳴り声が聞こえる。けれど、人混みはすぐには割れない。――今しかない。市場を抜け、そのまま細い裏路地へ飛び込む。何度も角を曲がり、息が切れるくらい走り続ける。


 やがて。背後から聞こえていた甲冑の音が、少しずつ遠ざかっていった。


「……はぁっ、はぁっ……」


 僕は壁へ手をつき、大きく息を吐く。息が苦しい。胸が焼けるくらい熱い。もう、追ってくる足音は聞こえない。


 しばらく耳を澄ませていたけれど、もう金属の音は聞こえなかった。


「……よかった。もう、大丈夫」


 どうにか振り切れたみたいだ。張り詰めていた力が抜ける。その時だった。


「……手」


 小さな声が聞こえた。振り向く。少女は俯いたまま、自分の手を見つめていた。気づけば、僕はまだその手を握ったままだった。


「あっ、ご、ごめん!」


 慌てて手を離す。少女は何も言わず、離れた手を胸の前へ引き寄せた。怒っているようには見えない。


「……ありがとう」


 少しだけ間を置いて、少女が呟く。


「え?」


「助けてくれたんでしょ」


 それだけ言うと、少女は静かに目を伏せた。


「いや、まぁ……」


 僕は言葉に詰まる。


「……あのさ」


 僕が声をかけると、少女がゆっくりと振り向いた。


「さっき、何してたの?」


 少女は少しだけ黙り込む。


「……探し物」


「探し物?」


 思わず聞き返す。少女は目を伏せ、小さく首を横に振った。


「言えない」


「そっか……」


 それ以上は聞かなかった。聞いちゃいけないような気がしたし、聞いたところで答えてくれない気がした。


 少女は何事もなかったように前を向き、また静かに歩き始めた。僕もその隣へ並び、黙って歩き出した。


 しばらくの間、僕たちは何も話さず歩いていた。さっきまで必死に走っていたせいか、息がまだ少しだけ荒い。


 裏路地を抜け、人通りの少ない道へ出ると、街の喧騒も少しずつ遠ざかっていった。


「……ねぇ」


 少し歩いたあと、僕は口を開いた。


「みんな、酷くない?」


 僕が言うと、少女は少しだけ視線を向ける。


「普通」


「え?」


「だから、普通」


 あまりにも自然だった。まるで、「今日は晴れてるね」とでも言うような口調だった。


「普通じゃないよ」


 思わず声が強くなる。


「あんなふうに追いかけられて、捕まえられそうになって……」


 さっきの光景が頭に浮かぶ。少女は何もしなかった。逃げようともしなかった。ただ立ち尽くしていただけだった。なのに。


「そんなの、普通なわけない」


 少女は僕の顔をじっと見た。赤い瞳は僕の心を見透かしているみたいにも見えるし、どこか遠くを見ているようにも見える。


「いつものことだから」


 少女は言った。その声には、怒りや悲しみよりも諦めみたいなものを感じた。


「ていうか」


 少女は小さく息を吐く。


「あなただって虚人でしょ」


「え……」


「人のこと心配してる場合じゃないと思うけど」


 確かに、その通りだ。僕はまだ称号も持っていないただの虚人だ。自分のことで精一杯なはずなのに。


「……でも」


 気づけば、口が動いていた。


「それでも、放っておけなかったんだ」


 少女が目を見開く。風が静かに路地を吹き抜ける。白い髪が、ふわりと揺れた。


 僕はその横顔を見つめる。傷付いているより、慣れている方が悲しい。そんな気がして、胸の奥が少しだけ痛んだ。


「昔からなの?」


 僕が聞くと、彼女はこっちを見た。そして、少し考えるように視線を落とす。


「……さあ」


 小さな声。それだけ言うと、少女は前を向いた。


「……家族とか、いないの?」


 気になって、恐る恐る尋ねる。少女は少しだけ足を止める。そして、ゆっくりと目を逸らした。


「忘れた」


 短い一言。それ以上は何も続かない。風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていく。


「……そっか」


 何を言えばいいのか分からなかった。慰める言葉も、励ます言葉も思いつかない。だから、思ったことをそのまま言った。


「僕と一緒だね」


 少女は何も答えなかった。それでも、僕たちは並んで歩き続けた。初めて、こんなにちゃんと話せた。


「――それじゃ」


「うん、また」


 空白地帯の入り口で、僕たちは手を振って別れた。少女の小さな背中が見えなくなるまで、僕はその場に立ち尽くしていた。


 彼女が初めて口にした「また」という響きが、静まり返った僕の胸の奥で、心地よく残り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。