二十五話 『シチューの湯気と、消えないモヤモヤ』
しばらくして、外から足音が聞こえてきた。入り口の布が開く。
「今帰った」
アルフィーだ。
「あ、おかえり」
アルフィーが小屋の中へ入ってくる。外套を脱ぎ、荷物を隅へ置いた。――その手が、ぴたりと止まる。
「それ、何だ」
アルフィーの視線が僕の足元へ向く。
「あ、これ?」
昼間にもらった布袋を持ち上げる。
「手伝いのお礼だって」
中から白いカブと赤いカブを取り出す。アルフィーは少しだけ目を細めた。
「ほう」
「立派だよね」
「そうだな」
短く答えると、アルフィーはカブを受け取った。
「飯にする」
「えっ……」
「ちょうどいい」
そう言って手際よく準備を始める。僕はその様子を眺めていた。
アルフィーは料理が上手い。いや、正確には味だけだ。見た目はひどい。初めて見た時は何かの罰ゲームかと思ったくらいだ。
でも口に入れると異常なレベルで美味い。それが未だに納得いかない。
しばらくすると、小屋の中に優しい匂いが広がり始めた。
「できたぞ」
テーブルに木の皿が置かれる。白い湯気。とろりとしたシチュー。その上には、大きく切られた白いカブと赤いカブが二つ並んでいる。
「おお……」
思わず声が出た。普通に美味しそうだ。
「なんだその顔は」
「いや」
僕は皿を見つめる。
「見た目もちゃんとしてるなって」
つい本音が漏れてしまう。アルフィーが無言でこっちを見る。僕は慌てて視線を逸らした。
「いただきます」
一口食べる。やっぱり、美味しい。カブは柔らかく煮込まれている。優しい甘みが口の中いっぱいに広がる。
白いカブ。赤いカブ。皿の上に並ぶその色を見ていると、不意に昼間のことを思い出した。白い髪。赤い瞳。
「……」
気付けば、またあの子のことを考えていた。
「ねぇ」
僕はカブを見つめたまま口を開く。
「悪魔って何?」
アルフィーの手が止まった。
「急だな」
「ちょっと気になって」
アルフィーは一口食べて、それから答えた。
「特異称号だ」
「とくい……?」
「ああ」
聞いたことのない言葉だった。僕が首を傾げると、アルフィーは続ける。
「普通の称号じゃない」
「どう違うの?」
「知らん」
「え?」
「意味も分からん」
僕は思わず瞬きする。
「分からないの?」
「ああ」
「でも悪魔なんでしょ?」
「そう呼ばれてるだけだ」
アルフィーは淡々と言う。
「強いのかも分からん」
「えっ」
「危険なのかも分からん」
「悪魔なのに?」
「本当に悪魔なのかも分からん」
「……」
僕は言葉を失った。分からない。何も分からない。なのに。
「じゃあ、なんでみんな怖がるの?」
アルフィーは器を置いた。
「みんなが怖がるからだ」
「え?」
「怖いって言う奴がいる」
アルフィーは指を一本立てる。
「それを聞いた奴も怖がる」
二本になる。
「そいつを見た奴も怖がる」
三本。
「そうやって増える」
「そんなので?」
「ああ」
アルフィーは頷く。
「噂で意味が作られる称号もある」
「意味?」
「悪魔って聞けば怖そうだろ」
「まあ……」
「だから怖がる」
それだけだ、と言うような口調だった。
僕は器の中を見つめる。シチューに浮かぶ白いカブ。ふと。白い髪が頭に浮かぶ。落とし物を拾っていた姿。子供を助けていた姿。
あの子自身を見ている人なんて、本当にいるんだろうか。みんな、悪魔という称号だけを見ている気がした。
「でもさ。あの子、みんなからあんなに酷いこと言われたり避けられたりしてるのに、表情ひとつ変えないんだ」
気がつくと、僕は彼女の話をしていた。アルフィーは黙って聞いている。
「怒りもしないし、泣きもしなくてさ。悪魔には、感情とかないのかな?」
僕が言うと、アルフィーは鍋をかき混ぜる手を一瞬だけ止めた。それから、いつになく真剣な、どこか遠くを見るような目でぽつりと言った。
「……そう見えるだけかもしれないぞ」
「え?」
「誰かに化け物扱いされて平気な奴がいるか?」
「――っ」
「いたらそいつは人間じゃねぇよ」
アルフィーは冗談のようにそう言うと、少しだけ真面目な顔になる。
「どれだけ平気な面してようが、中身は普通のガキだ。……本当は誰よりも傷ついて、一人で泣いてるかもしれねぇだろ」
そう言われてはっとする。そんなこと、考えたこともなかった。泣くことなんてない強い子なんだと思ってた。
「まあ」
アルフィーが立ち上がる。
「俺は興味ないけどな」
「え、そうなの?」
「ああ」
鍋を片付けながら続ける。
「飯食って寝てるなら、それで十分だろ」
僕は思わず苦笑した。なんだかアルフィーらしい。
「ところでさ」
僕はふと話題を変える。
「アルフィーって、何歳なの?」
アルフィーは鍋を片付けながら、眉をひそめてこっちを見た。
「あぁ? なんだよ急に」
呆れたように言う。
「いや、いつも悪魔の女の子のことガキって呼ぶから、僕たちよりもっと大人なのかと思ってさ」
アルフィーは何も言わない。
「でも、僕とそんなに変わらないようにも見えるし……」
僕がそう言うと、アルフィーの顔が一瞬曇る。
「あ? 一緒にするな。俺は十八だ。お前らみたいなガキとは違うんだよ」
「十八……」
僕はアルフィーの顔を見た。
「一、二歳しか変わらないのに、ガキって言ってたの?」
「一歳の差はデカいんだよ!」
アルフィーが突然声を上げた。
「大体なぁ、この世界でその一、二年を生き延びるのがどんだけ大変か分かってねぇだろ。精神年齢で言ったら俺はお前より百歳上だ」
「……」
言い返そうとしても言葉が出ない。たしかに、アルフィーは僕なんかよりずっと大人だ。僕が何も言わないのを見て、アルフィーはやっと落ち着いたようだった。
夜は静かだ。毛布にくるまる。だけど、なかなか眠れない。目を閉じると、白い髪が浮かぶ。赤い瞳が浮かぶ。そして。
『……迷惑、だから』
またその声が聞こえた気がした。僕はかき消すように小さく寝返りを打つ。
でも、胸の奥に残ったモヤモヤは、静まり返った夜の闇に溶けてはくれず、いつまでも冷たく残り続けていた。




