二十四話 『白と赤の瑞々しきカブ』
それからの日々、僕の日課は少しずつ変わっていった。
アルフィーは相変わらず朝早くから仕事へ出ていき、僕はといえば、相変わらず暇だった。けれど、ただ小屋でじっとしているのはやめて、集落の手伝いをすることにした。
「おう、ゼロ。悪いがこれ運んでくれんか」
「あ、はい」
頼まれた木箱を抱える。最初は気まずかったけれど、何度か手伝ううちに顔を覚えられたらしい。
「助かるな」
荷物を受け取った老人が笑った。少し照れくさい。別の場所では井戸から水を運ぶ。また別の場所では子供たちの相手をさせられる。
「ゼロー!」
「……?」
「鬼ごっこだー!」
「え、ちょっ――」
逃げる間もなく捕まった。結局しばらく走り回ることになる。……疲れた。本当に疲れた。
でも悪い気分じゃなかった。少しずつだけど、この空白地帯に居場所ができてきた気がする。
そんな時だった。ふと、人だかりの向こうに白い髪が見えた。
「あ……」
思わず声が漏れる。あの少女。白い髪。赤い瞳。相変わらず一人で歩いている。周囲には人がいるのに、一人だけ別の場所を歩いているように見えた。
その時。前を歩いていた老人の腰袋が地面に落ちた。老人は気付いていない。少女は足を止め、袋を拾うと老人を追い掛けた。老人が振り返る。
「ん? ああ、すまんな」
礼を言いながら手を伸ばしかけて――動きが止まった。老人の顔がみるみる青ざめる。
「お、お前……」
少女は何も言わない。ただ袋を差し出したまま。
「悪魔……!」
老人は慌てて後ずさった。差し出された袋を、杖で乱暴に払いのける。袋が地面へ転がる。
「いらん!」
震えた声。そこら中に響く。
「近寄るな! この悪魔が!」
周囲の人たちも足を止めていた。だけど、誰も老人を止めようとはしなかった。
「わしの寿命を奪う気か!」
少女は何も言わなかった。ただ、一瞬だけ赤い瞳が揺れたような気がした。少女はそのまま人混みの向こうへ消えていく。
「……」
僕はしばらく動けなかった。ただ落ちた袋だけが、地面の上に取り残されていた。
「……」
白い髪が消えた方向を見つめる。――普通のガキ。アルフィーはそう言っていた。なのに、なんでみんな彼女のことを悪魔呼ばわりするんだろう。
しばらくして、荷物運びを手伝い終えた僕は、大きく息を吐いた。
「ふぅ……終わった」
木箱を受け取った年配の女が、汗を拭いながら笑う。
「今日はほんと助かったよ。これ、少ないけど手伝ってもらった礼さ」
差し出された布袋の中を覗く。立派な白いカブと、鮮やかな赤いカブが入っている。
「え? いいんですか、こんな立派なもの……」
「いいのいいの。遠慮しないで持っていきな」
遠慮がちに袋を受け取る。
「あれ。でも、この集落に畑なんて……」
僕が言うと、女は声を潜め、集落の隅のほうへ視線を向けた。
「ああ、これね。実は、どこかの『名もなき心優しい人』が、いつも夜中に集落の広場へ置いていってくれるんだよ」
「えっ……」
「みんな最初は不審がってたんだけどね。でも、ちゃんと食べられる瑞々しいカブさ。誰が置いていくのかは誰も知らないんだけど……きっと、神様か誰かが私らを見捨ててないってことなんだろうねぇ」
女は優しい顔でそう言った。
「神様……」
「だから、あんたも遠慮なく食べな。手伝ってくれたお礼だよ」
僕は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます」
袋の中の、白いカブと赤いカブ。夕暮れの光に照らされたその色を見た瞬間、僕の脳裏に、あの少女の姿がくっきりと浮かび上がった。
陽の光に透けるような、白い髪。そして、すべてを拒絶するような、深い赤の瞳。
「……な、なんで、あの子のこと……関係ないのに……」
頭を振って否定する。だけど、どうしても胸のざわつきが収まらなかった。転んだ子供に果物を差し出した時の、あの優しい手。アルフィーの『普通のガキだ』という言葉。
気づけば僕は、小屋とは反対の方向――少女が消えていった集落の最果てへと、向かっていた。
「……あ」
少し先に、白い髪。夕陽を受けて淡く輝いている。あの少女だった。一人で歩いている。昨日の出来事が頭をよぎる。落ちた袋。怒鳴る老人。俯いた少女。
「……」
少し迷った。また逃げられるかもしれない。でも。今度は足が止まらなかった。僕はゆっくり少女へ近付く。
「また会ったね」
声をかける。少女が振り返る。赤い瞳がこっちを見た。でも何も言わない。そのまま立ち去ろうとする。
「あ、待って」
思わず呼び止める。少女は足を止めた。
「名前、なんていうの?」
沈黙。しばらくして、少女は小さく口を開いた。
「……やめて」
「え?」
感情のない声。いや、無理やり感情を押し殺しているような声。
「なんで?」
少女は少しだけ目を伏せた。
「……迷惑、だから」
風が吹く。白い髪が揺れる。僕は返事ができなかった。少女は、それ以上は話す気がないらしかった。くるりと背を向ける。
「あ――」
呼び止めようとした。でも言葉が出てこない。少女はそのまま夕暮れの中へ歩いていく。やがて白い髪も見えなくなった。
「……」
僕はその場に立ち尽くした。結局。名前すら聞けなかった。やがて日が沈み始め、諦めて小屋へ戻ることにした。
入り口の布をめくる。
「ただいま」
返事はない。まだアルフィーは帰ってきていないらしい。僕は荷物を隅に放り投げ、そのまま床へ座り込んだ。
「……迷惑、か」
小さく呟く。少女の声が頭に残っていた。あの言い方は、まるで。何度も言われてきた言葉を、そのまま自分で繰り返しているかのようだった。
「……」
考えても分からない。そもそも僕は、あの子のこと何も知らないんだから。
――だけど、あの白と赤のカブをぎゅっと握りしめた僕の手は、不思議なくらい、温かかった。




