【第四章 悪魔の少女】 二十一話 『虚人の朝、悪魔の足跡』
音がする。……歩く音。外からだ。薄く目を開ける。小屋の隙間から光が差し込んでいる。もう朝か。でも、まだ空は少し暗い。
「……ん」
体を起こす。毛布がずり落ちた。少し肌寒い。小屋の中を見回す。すると――。
「起きたか」
声がした。アルフィーだ。壁に立て掛けていた銃を手に取り、金属部分を布で拭いている。その動きは慣れている。毎日同じことを繰り返しているみたいに。
「……アルフィー、起きるの早いね」
僕が寝ぼけ眼をこすりながら返事をすると、アルフィーは手を止めずに答えた。
「今日は仕事だからな」
短い返事だった。銃を磨き終えると、次は机代わりの木箱を開いた。中から小さな袋を取り出す。包帯。水筒。火打石。必要な物を確認するように袋へ詰めていく。
僕はぼんやりその様子を眺めていた。そういえば今さらだけど、アルフィーはどんな仕事をしているんだろう。傭兵、とは聞いているけど、それがどんな職業なのかはよくわからない。
「何をするの?」
何となく聞いてみる。アルフィーは入り口の布へ手を掛けた。
「魔物退治だ」
「え……」
魔物――そういえば、この世界へ来たときに、門のところで誰かが言っていた。魔物が出たとか、騎士団がどうとか。たしかそんな感じのことを。まさか本当に魔物がいるなんて思ってもなかった。
「一人で行くの?」
「ああ」
「……危なくないの?」
「危ないから金になる。――それに、上がよこす任務にしちゃあ、今回は少しばかり裏がありそうだしな」
そう言ってアルフィーはニヤリと笑ったが、その目は笑っていなかった。僕が返事に困っていると、アルフィーが入り口の布をめくる。朝の光が小屋の中へ流れ込んでくる。
「じゃあ行ってくる」
胸の弾帯を掛け直し、腰の予備弾倉を確かめる。黒い銃を手に取ると、アルフィーは外套を羽織った。
「……うん。気をつけて」
「あぁ」
アルフィーはそのまま外へ出ていく。僕も何となくついて出てみた。
外はまだ静かだ。空白地帯の人たちもほとんど起きていない。
朝靄の中をアルフィーが歩いていく。迷いのない足取り。しばらくすると後ろ姿が小さくなり、やがて見えなくなった。
「……」
一人になった。風が頬をかすめる。朝の空気は少し冷たかった。僕はぼんやり空を見上げる。雲は少ない。今日も良い天気になりそうだ。
「……ていうか」
思わず呟く。アルフィーは仕事。空白地帯の人たちもそのうち動き始めるだろう。でも。
「今日、何しよう」
本気でやることがなかった。――いや。やるべきことならある。
称号。この世界で生きていくなら、いつまでも虚人のままじゃいられない。称号を手に入れなきゃいけない。それは分かっている。でも。
「……」
前に挑戦しようとして、何もできなかった時のことを思い出す。今の僕には、まだ見ず知らずの誰かに声を掛ける勇気はなかった。
とはいえ、小屋の中でじっとしていても仕方がない。軽く伸びをし、空白地帯の中を歩く。
井戸では女性たちが水を汲み、荷車を引く男たちが行き交っている。まだ朝早いのに、みんな頑張ってるな。
「……僕はいつになったら、称号持てるんだろ」
考えないようにしていても、ふと頭に浮かんでしまう。確かエドは、腹が減って三日で称号を手に入れたって言ってた。この世界で生きていくなら、いつかは向き合わなきゃならない。でも今は――。
「……だめだ。考えすぎて、頭が……」
考えても答えは出なかった。ため息をつきながら顔を上げる。その時だった。
「あ」
人混みの向こうに、見覚えのある影が見えた。黒いフード。陽の光を受けて輝くような、あの白い髪。間違いない。門の前で見た少女だ。悪魔と呼ばれていた少女。
集落を歩くその姿は、どこか浮いて見えた。周囲の人たちも彼女に気付いている。だけど、誰も近付かない。わざわざ避ける人もいた。それでも少女は気にする様子もなく歩いている。
僕は一歩踏み出した。
「あのさ――」
声を掛けた瞬間、少女がこっちを向いた。赤い瞳と目が合う。一瞬だった。本当に一瞬。だけど、少女は僕の顔を見た途端、ぴたりと足を止めた。
――その赤い瞳が、一瞬だけ、激しく動揺したように大きく揺れた気がした。
「え?」
次の瞬間。くるっと方向を変える。そしてそのまま歩き出した。いや、歩きにしては妙に速い。
「ちょ、ちょっと!」
僕は慌てて後を追った。少女は振り返らない。人混みを縫うように進み、角を曲がる。僕も急いで追いかける。だけど。
「あれ?」
角を曲がった先には誰もいなかった。左右を見回す。路地の奥を見る。どこにもいない。まるで最初からいなかったみたいに。
「……逃げられた、よな」
思わず呟く。完全に避けられている。理由は分からない。僕はただ、話しかけようとしただけなのに。路地の前に立ち尽くしたまま、小さく首を傾げた。
「何なんだ、あの子……」
しばらく少女を探したけれど、結局見つからなかった。




