2話 『世界から拒絶された日』
足が痛い。もうどれくらい歩いたかわからない。
気がつくと、もう朝だ。ずっと休まず歩き続けて、そろそろ体力も限界だ。
「……ん?」
遠くに何かが見える。遠すぎてなんなのかはよくわからない。
歪な岩みたいに見えるけど、それにしては大きすぎる。不思議とそこから目が離せない。一歩近づくごとに、だんだんと形がはっきりしてくる。
「こ、これって」
天を突くほどに巨大な、灰色の石門。荒野の果てに突如として現れたゲート。まるで世界を隔てる壁みたいだ。
「っていうか、人やば……」
思わず呟く。
門の前には、長蛇の列ができていた。長い杖を持った女。鎧を着た男。大きな剣を背負っている人もいる。馬に乗ったまま列に並んでいる人まで。
武器が触れ合う金属音。馬の鼻息。誰かの笑い声。聞いてるだけで頭がおかしくなりそうだ。
「昨日の討伐隊、戻ってきたらしいぞ」
「北壁の外でまた魔物が出たとか……」
「第三騎士団が動くらしい」
知らない言葉ばかりだ。どれも自分には関係ない話なのに、妙に聞き入ってしまう。
「……なんか、みんなすごいな」
浮いてる。僕だけが、この場所から、確実に。
「――称号を提示しろ」
門の前から聞こえてくる門番らしき人の声。一人の男が前に出る。剣を腰に下げている。
「俺は、『剣士』だ」
男が口にした瞬間、門の一部が光った。
それから、男の足元にも緑に光る輪が浮かび上がった。淡く脈打つその光は、まるで男の言葉に嘘がないかを確かめているみたいだ。
「確認した、入れ」
今の、なんだ……?
理解できないうちに、次の男が前へ出る。
「我、『王国騎士団・第三階位騎士』なり」
まただ。また緑に光った。門が開く。列が、ゆっくり進んでいく。意味は分からない。でも、一つだけ理解できた。あそこを通れば、中に入れる。
じっと列を眺めていた、その時だった。
「――っ」
視界の端を横切る影。漆黒の外套。揺れる黒髪が、一瞬光って見えた。顔は見えない。ただ、その大きな背中は、妙な威圧感があった。
「あれ?」
おかしい。音が聞こえない。馬の鼻息も、金属の擦れる音も、風の音すらも。
焦って周りを見る。隣で大声を上げていた男も、飛び立った鳥も、みんなピタッと止まっている。あの男が横切った瞬間、世界の時間が止まった。
「そんなこと、あるわけ……」
――そうか。止まったんじゃない。きっと、この世界が男の存在に怯えてるんだ。
動いてるのは、僕の激しく脈打つ鼓動と、男の伸びた黒髪だけだ。目の前をスローモーションみたいに流れていく。圧倒的な異質感に、思わず呼吸すら忘れていた。
「っは!」
息を吸った瞬間、パチンと破裂音のような音がした。さっきまで止まっていた音が一気に戻ってくる。
男が門をくぐる。……胸がざわつく。――あの人、知ってる。そう思った時には、もう体が動いていた。
「ま、待って――!」
列の横を抜けようとする。だけどその直後、横から伸びてきた大きな腕が目の前を塞いだ。
「おい」
「……っ!」
振り向くと、そこにいたのは岩みたいに大きな男だった。大きい。肩幅も腕も、異様に。見上げないと顔が見えない。
「お前」
低い声。
「そのみてくれだと、どうせ貧乏庶民だろ」
「え……いや、その――」
「列に並べ」
遮られた。なんなんだよ。こんなところで立ち止まってる場合じゃないのに。
門の方を見ると、さっきの背中はもうどこか遠くへ消えていた。
「……っ」
息を吐いて、仕方なく列の最後尾へ向かう。列はなかなか進まない。もう完全に手遅れだ。先頭の人が称号を告げるたび、門が淡く光る。
『魔導師』
『第五階位槍士』
『治癒師』
出てくるのは聞いたこともない言葉ばかり。――称号。みんな、当たり前のようにそれを持っているらしい。
「……」
列が進む。気づけば、もう目の前だった。胸
がざわつく。嫌な予感がする。
門番らしき男が二人。そのうちの一人が、こっちを見る。
「次」
「……っ」
まずい、僕を見てる。門番の目が細くなる。
「どうした? 称号を提示しろ」
周囲の視線が痛い。何か、言わなきゃいけない。でも、僕は何も覚えてない。
「……」
「おい、聞いてるのか。早く称号を――」
門番の声が低い。さっきよりも確実に。
「わかりません」
なんとか答えた。その瞬間、周囲がざわつき始める。
「あいつ、まさか……」
「称号なし?」
「ありえねぇだろ……」
ひそひそ話す声。門番の顔つきが変わった。鋭い目つき。さっきまでの事務的な態度じゃない。まるで、僕を警戒してるみたいだ。
「……貴様」
尖った声。
「虚人か」
その瞬間、空気が凍りついた。
近くにいた騎士たちがみんな一歩引いて武器を構えている。たくさんの人が冷ややかな眼差しを向けてくる。
……やめてよ。そんな目で見ないでよ。僕は、ただの人間なのに。
その時の僕は、まだ知らなかった。虚人――という言葉が、この世界で何を意味するのかを。




