《◆第一巻 虚人編》【プロローグ 称号なき者】 一話 『ゼロという名前』
暗闇。何も見えない。音もない。
ここには僕しかいないみたいだ。そのはずなのに――闇の奥に何かの気配を感じる。でもそれもはっきりしない。
「ここ、どこ――」
喋ってみても音がどこにも落ちない。まるで、世界の闇が僕の声までも飲み込もうとしているみたいだ。
「くそっ」
一歩踏み出す。地面を踏んでいるのに、足裏の感覚がない。不気味だ。でも、それでも進むしかない。ここにいたら闇に飲まれて消えてしまいそうだ。
「……はぁ……はぁっ……」
いくら歩いても、本当に進んでいるのかわからない。何度も足が止まりかける。そのたびに、無理やり前を見る。
「……なんだ、あれ?」
しばらく歩いていると、暗闇の中に一箇所だけ白く見える場所があった。まぶしい。でもなぜか目を離せない。
『ゼロ――』
「……っ!?」
女の声。振り向く。でも、誰もいない。確かに聞こえたはずなのに。
「誰か、いるの?」
聞いてみる。返事はない。
『そんなんじゃ、いつか死ぬぞ』
「っ!?」
まただ。今度は男の声。知っているはずなのに、誰の声か思い出せない。
『きっと、ゼロは――』
女の声がまた聞こえて、そのまま言葉が途切れた。
意味はわからない。なのに、なぜか引っかかる。うまく言えない。でも、その言葉だけ妙に頭に残った。
手を伸ばした、その瞬間だった。光の中で、何かが揺れた気がした。
「うっ」
光が強くなって、思わず目を瞑った。何が起きたのかはわからない。ただ、世界ごと切り裂かれるような気がして、僕はぐっと足裏に力を込めた。
「ん……」
感覚が戻ってきた頃には、さっきまでの暗闇はもうなかった。冷たい風が頬をかすめていく。
「っ、なんで――」
荒野。薄霧でよく見えないけど、枯れ果てた木々がそこらじゅうに生い茂っている。
こんな場所に来た覚えはない。さっきまで暗闇にいたはずだ。いや、というかそもそもなんで暗闇なんかに?
おかしい。記憶がない。暗闇にいた時よりも前の記憶が、何一つ。住んでいる場所とか、家族のこととか。自分が何者なのかさえわからない。
「……っ」
でも、さっきの『ゼロ』。あれは、僕の名前だった気がする。
「うぅっ」
寒い。手足に力が入らない。しんどい。もう……ずっとここにいてもいいかもしれない。でも――。
『いつか死ぬぞ』
さっきの言葉。意味はわからない。だけど、早く行かないと何かが間に合わなくなる気がした。
「って言っても、どこに行けば」
見渡しても、荒野しかない。空。地面。空気。枯れ草まで――全部、霧がかかったみたいに曖昧だ。まだ薄暗い。きっと完全に夜が明けていない。遠くの方はよく見えない。
けど、このまま立ち尽くしているわけにもいかない。
「とりあえず、行くしかない……か」
歩く。一歩ずつ。小さくても、確実に。
このまま行った先に、もし何もなかったら。また、あの暗闇だったら。不安で押しつぶされそうで、息が苦しくなってくる。
でも、それでも止まれなかった。




