十八話 『空白地帯の小さな寝床』
やがて、王都の賑わいは完全に遠ざかっていた。
崩れた壁。古びた建物。そして道端に座り込む人々。昼にも見た光景だった。初めて見た時ほどの衝撃はない。けれど、慣れたわけでもなかった。相変わらず胸が少し重くなる。
「……」
アルフィーは迷いなく進んでいく。昼に来た時はここで食べ物を配っていた。でも、今回は違うみたいだ。アルフィーはさらに奥へ進む。
人通りが消える。建物の数も減る。代わりに廃材や古い布を組み合わせて作った小屋が増えていた。
ただのガラクタ。最初はそう見えた。でも近くで見ると意外としっかりしている。木材が組まれ、隙間には布が張られている。少なくとも雨風は防げそうだ。
「ここって……」
僕が言うと、アルフィーは顎で前を示した。
「寝床だ」
「寝床?」
さらに奥へ進む。いろんな形の小屋が並んでいる。その中の一つの前でアルフィーが足を止めた。
「ここだ」
僕は目を瞬いた。
「もしかして……アルフィー、ここに住んでるの?」
「まぁな」
あまりにもあっさりした返事だった。僕は思わず小屋を見上げる。アルフィーは傭兵だ。国王から直接呼び出されるくらいの。もっと立派な家に住んでいるんだと思っていた。
「お金持ってるのに、家建てないの?」
「金の無駄だ」
即答だった。
「無駄って……」
「寝れりゃどこでも同じだろ。……それに、俺はここでいい」
そう言ったアルフィーの視線が、一瞬だけ、小屋の隙間から見える集落の明かりに向けられたような気がした。だけどそれも一瞬で、慣れた様子で入り口の布をめくる。
「入れ」
僕も後に続いた。中へ足を踏み入れる。すると――。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。もっと酷い場所を想像していた。だけど、中は意外だった。
狭い。けれど整理されている。毛布。木箱。手入れされた武器。最低限の生活用品。質素ではある。それでも、ちゃんと人が暮らしている場所だった。
アルフィーは荷物を適当に置く。そして壁にもたれかかった。
「今日から好きに使え」
「え?」
僕は顔を上げる。アルフィーはあくびをした。
「死に顔の虚人を街に転がしとく方が、寝覚めが悪い」
ぶっきらぼうな声。でも――。この世界に来てから初めてだった。今夜、どこで寝ればいいのか考えなくて済むのは。
僕は小さく息を吐いた。少しだけ肩の力が抜ける。王城から遠く離れた虚人の集落、空白地帯ブランク・エリアの片隅。それでも、今の僕にはそこが初めての居場所のように思えた。
僕は小屋の中を見回した。狭いけど、不思議と落ち着く。外から吹く風が布を揺らす。夕日が隙間から差し込み、床を赤く染めていた。
しばらくすると、外から声が聞こえた。
「おーい、アルフィー!」
アルフィーが面倒そうに顔を上げる。
「……なんだ」
小屋の外からもう一度声が飛んできた。
「ちょっと来い!」
知り合いらしい。アルフィーは小さく舌打ちした。
「すぐ戻る」
「あ、うん」
入り口の布をめくり、そのまま外へ出ていった。僕だけが残される。
「……」
静かだ。いや、完全に静かなわけじゃない。
外からは人の話し声が聞こえる。笑い声もある。どこかで子供が騒いでいる声も聞こえた。空白地帯なのに。こんな時間もあるんだ。もっと暗くて重たい場所だと思っていた。
少し気になって外へ出る。
夕日が傾いていた。空は赤い。小屋の間を歩いてみる。すると。
「ん?」
近くに座っていた老人が僕を見た。白い髭を生やした痩せた老人。
「お前さん、昼間も来てただろ」
「えっと……はい。アルフィーと……」
なんて言えばいいか、少し迷う。
「ああ」
老人は納得したように頷いた。
「そうかそうか」
そして少し笑う。
「お前さんも、世話になってるんだな」
「まあ……たぶん」
寝る場所を借りている。食べ物も貰った。世話になっていると言われれば、その通りだ。
「アルフィーは昔から変わらん」
老人は懐かしそうに言う。
「変わらない?」
「ああ」
少し遠くを見る。
「面倒そうな顔して、人を放っとけん」
なんだか少しだけ分かる気がした。僕は苦笑する。
「確かに」
老人も笑った。そのまま別れる。少し歩いていると。
「お兄ちゃん!」
突然声が飛んできた。
「えっ」
小さな子供が走ってくる。五、六歳くらいだろうか。勢いよく僕の前で止まった。
「お兄ちゃん、アルフィーの友達?」
真っ直ぐな質問だった。
「友達……かな?」
少し考える。どうなんだろう。
「名前、なに?」
「えっと……ゼロ」
「ゼロ!」
なぜか気に入られたらしい。子供は楽しそうに僕の名前を繰り返す。
「ゼロ! ゼロ!」
「そ、そんな連呼しなくても……」
思わず笑う。子供は僕の周りをぐるぐる走り回る。その時。
「こら! 迷惑かけるなって」
近くから女性の声がした。子供の母親らしい。
「わかってるよー」
返事だけは元気だった。子供は走り去っていく。僕はその背中を見送った。
「……」
不思議だった。昼間の王都とは全然違う。立派な服もない。豪華な建物もない。昼間の王都とはまるで違う。それでも――。
笑っている人がいる。冗談を言う人がいる。子供は元気に走り回っている。
――この世界は、他人から称号や命を奪い合わなければ生き残れない理不尽な場所のはずなのに。
ここにいる人たちは、誰も他人のものを奪おうとはしない。弱いんじゃない。きっと、誰かを傷つけることができないくらい、心が優しすぎるんだ。
ただ生きているだけの人たちじゃない。当たり前のことなのに。なぜか今さら気づいた気がした。
僕は夕焼けに染まる集落を見回した。少しだけ。本当に少しだけ。ここが怖くない場所に思えた。




