十四話 『剥ぎ取られた空白地帯』
それからは、しばらく無言で歩いていた。
王都の中心から離れるにつれて、人通りは少しずつ減っていった。石造りの建物は少なくなり、代わりに古びた建物が目立つようになっていた。賑やかな声も遠くなっていく。
アルフィーは特に何も話さない。僕も何を話せばいいのか分からなかった。ただ、黙って後ろをついていく。しばらくして、アルフィーが足を止めた。
「着いた」
木造の簡素な建物。そこは、通りの端にある小さな食料店だった。店先には肉や果物などが並べられている。その横には木札が掛けられていた。
【中級称号以上のみ販売】
そんな文字が見える。
「ここにも、等級章……」
思わず呟く。アルフィーは気にした様子もなく店へ入っていく。
「いらっしゃい」
店の奥から、中年の店主らしき男が顔を出す。
「また、あんたか。一応、確認いいか?」
慣れた様子で店主が聞く。
「傭兵だ」
アルフィーが答えると、足元に緑に光る輪が浮かんだ。
「あぁ、確かに。で、今日は?」
「串肉を二十本」
店主が目を丸くする。
「またか?」
「ああ。あとパンも全部」
僕は思わずアルフィーを見る。さらにアルフィーはチーズや果物まで次々と買っていく。気づけば袋は食料でいっぱいになっていた。
「そんなに買うの?」
思わず聞く。
「別にいいだろ」
アルフィーはお金を払いながら答えた。
「そんなことより――」
「……?」
「ほら、これ食え。腹減ってんだろ」
それだけ言って串とパンを僕に渡す。僕は串肉にかぶりつく。
「……っ」
……おいしい。肉汁が口の中に広がる。空っぽだった腹に染み渡る。
「そんな勢いで食うな」
アルフィーが呆れたように言う。僕は慌てて口の中の肉を飲み込んだ。
「だって……」
気づけば一本食べ終わっていた。アルフィーは小さく鼻を鳴らす。
「行くぞ」
そう言って歩き出す。僕は残りのパンを口に詰めて後を追った。
しばらく歩く。少しずつ景色が変わっていく。通りを歩く人が減る。建物も古いものばかりになっていく。石壁にはひび。窓の割れたまま。そんな家も目立った。
「……」
何となく違和感があった。王都の中のはずなのに。さっきまでいた場所とは空気が違う。建物の影に座り込んでいる男の人。ぼんやりと地面を見ている。
少し先には壁にもたれた女がいた。ただ空を眺めている。誰も喋らない。誰も動かない。ただそこにいる。
なんとなく足取りが重くなる。アルフィーだけが何事もない顔で進んでいく。
通りの奥へ進むほど、そんな光景は当たり前のように増えていった。崩れた建物。薄汚れた路地。そして、何も言わない人たち。
「……同じ世界なのに」
気づけば呟いていた。少し前までいた場所では、みんな笑っていた。店が並んでいた。人が行き交っていた。なのに。ここだけ、まるで切り離されたかのようだった。
「空白地帯」
そう言ってアルフィーが足を止める。
「え?」
「この場所の名前だ」
肩に掛けていた袋を下ろした。そして何も言わずに袋からパンを取り出すと、近くにいた男の前へ置いた。
「……あ」
男は一瞬だけ目を見開いたあと、ゆっくりとそれを受け取る。
「いいのか……?」
かすれた声。アルフィーは何も答えない。
「……すまねぇな。いつも、こんなにいいもんもらっちまってよ……」
男はパンを胸に抱え、小さく笑った。
「今日も仕事探したんだけどな。『称号がない奴は雇えねぇ』ってさ。……荷物運びくらいできるって言ったんだけどよ」
男は肩を落とした。その奥で、壁にもたれていた女がチーズを受け取る。
「助かるよ。……ほんとこれ以上、迷惑かけたくないんだけどね」
少しだけ笑った。でも、その笑顔はすぐ消えた。
「洗濯でも掃除でも何でもするって言ったんだけどね。……でも称号がない人間は雇えない決まりだからって。店の人も困った顔してたよ」
アルフィーは何も言わない。そして次へ向かう。小さな女の子に果物を渡す。
「……もらっていいの?」
「あぁ、たくさん食べろ」
珍しく、アルフィーの声が優しい。少女は恐る恐る両手で包むように受け取る。
「ありがとう」
でも、すぐには食べなかった。半分だけ口に入れて、残りを大事そうに布へ包む。
「食べないの?」
思わず聞くと、少女は小さく笑った。
「お母さんの分。今日もお仕事探しに行ってるから」
その笑顔が、なぜか痛々しく見えた。返す言葉が見つからない。
アルフィーは次へ向かう。食べ物を渡す。誰かが受け取る。食べる。また次へ向かう。まるでいつものルーティンみたいだった。
「……」
僕は静かにその様子を見ていた。誰も群がらないし、誰も奪わない。ただ差し出された食べ物を受け取る。それだけだった。僕は思わずアルフィーを見る。
「どうしてこんな……」
ようやく出た言葉だった。アルフィーは最後のパンを渡しながら答える。
「さあな」
それだけだった。理由も説明もしない。空になった袋を肩に担ぐ。
「さあなって……」
「俺に聞くな」
あっさり突き放される。アルフィーは空になった袋を肩へ担ぐ。
「俺に分かるのは一つだけだ。ここにいる連中は、怠けてここにいるわけじゃない」
「……」
「称号を失えば、明日には誰も雇っちゃくれねぇ」
虚人になると働く資格すら奪われる。稼ぐことができなくなる。虚人は、誰かの力なしでは生きていけないんだ。だから、アルフィーはこうやって……。
「ていうか」
アルフィーが、呆れた顔で僕を見る。
「お前はまず、他人の心配する前に、自分の心配しろ」
「……」
言われてハッとした。あの時、もしエドと出会っていなかったら。あるいは、アルフィーが助けてくれなかったら。
もしどこかで一歩でも間違えていたら。僕もここに座っていたのかもしれない。僕は、たまたま運がよかっただけだ。
そう考えた瞬間、背中に薄い寒気が走った。さっきまで外側にいるつもりだった自分が、実はすぐ隣に立っていることに気づいてしまった。
僕は視線を逸らした。見ていられなかった。同じ人間なのに、同じ世界なのに、ここだけがあまりにも静かで、あまりにも取り残されている。
アルフィーが踵を返す。
「行くぞ」
僕はもう一度だけ振り返った。崩れた建物。静かな通り。食べ物を口に運ぶ人たち。
僕は胸に残った重さを抱えたまま、アルフィーの後を追った。




