十一話 『僕と、称号バトルをしろ』
「結構歩いたな……」
気づけばもう太陽は高く昇っていた。僕はというと、朝からずっと歩き続けていた。
「……っ」
ぐぅ、と腹が鳴った。思わず足を止める。
そういえば、エドと別れてから何も食べていない。昨日はエドとずっと一緒だったから、食べ物もあった。
でも今は違う。お金がない。称号もない。仕事も。当然、食べ物も。
「ん、いい匂い……」
通りの向こうから香ばしい匂いが流れてくる。屋台だ。肉を焼く音。大きな荷物を背負った旅人みたいな格好の客が、笑いながら食べ物を受け取っていた。
僕は少しだけ足を向ける。でも、すぐに止まった。買えない。見ていても意味がない。
「……はは」
昨日までどっかで普通に生きていたはずなのに。気づけば、何も持っていなくて。知り合いもいなくて。本当に一人だった。
ふと、エドの言葉が頭をよぎる。
『その顔なら大丈夫だな』
「……全然、大丈夫じゃないよ」
もう隣にエドはいない。頼れる相手はもういない。これから先も、自分で何とかしなければならない。
だけど、その方法が分からない。どうすれば称号を取れるのか。どうすれば生きていけるのか。考えるのも疲れた。もう、これ以上無理だ。
「どうすればいいんだよ……」
答えてくれる人はいない。立ち止まっていても何も変わらない。分かってる。それでも相変わらず足は重い。当てもなく歩く。
賑やかな大通りを離れる。一本横道へ入る。また別の道へ曲がる。
気づけば、人通りはずいぶん少なくなっていた。目の前には細い路地。建物と建物の隙間に線が入ったみたいな道だ。まだ昼間なのに薄暗い。湿った空気。嫌な匂い。
「あれ。どっから来たんだっけ……」
どこへ向かっているのか、自分でも分からない。ただ、自分の情けなさと、称号持ちたちの冷たい視線から逃げるように路地の中へと入った。
その時だった。路地の向こう、大通りへ抜ける角のあたりに人影が見えた。
「――あ」
息が止まる。男。黒い髪。不気味なくらい澄んだ外套。間違いない。昨日、門のところで見たあの男だ。
なんでここに――。そんなことはわからない。だけど。本能が、僕の魂のすべてが、叫んでいた。あの男を追わなきゃダメだと。そうすれば、もしかしたら僕が何者なのか分かるかもしれない。
「待って――」
重かった足のことなんか忘れ、勢いよく足を踏み出した、その瞬間。
「だから逃げんなって言ってんだろ」
別の男の声。一つ隣の通りの路地裏の方から。建物の隙間から見えた。数人の男たちと、その中心にいる一人の少女。
少女は俯いていた。黒いフード付きの外套を深く被っている。細い体に、袖の長い黒い服。顔は影に隠れてよく見えない。ただ――。フードの隙間から、白い髪だけが少し覗いている。
「おい、聞いてんのか」
男の一人が少女の肩を乱暴に押す。少女は小さくよろめいた。それでも何も言わない。ただ、ずっと俯いたまま。
「……っ」
胸がざわつく。関わるな。頭の中から声が聞こえた。今の自分には人助けをする余裕なんてない。自分のことで精一杯だ。……なのに。男たちに囲まれた小さな背中から目が離せない。
放っておけばいい。そう思う。その時、ふと少女と目が合った。
「――っ!」
深淵のような、真紅の瞳。血とか炎みたいな濃い色。心臓が跳ねる。……怖い。思わず一歩後ずさる。だけど。
一瞬、彼女の瞳が水面みたいに揺らいで見えた。勘違いかもしれない。でも、その瞳に悪意とかそういうのは、全く感じなかった。今にも泣き出しそうな、子供みたいな目。
「……っ」
僕はあの男がいた通りの方を見た。もう後ろ姿すらほとんど見えない。今追いかけないと、二度と会えないかもしれない。自分の過去を知るチャンスを逃してしまう。だけど……。
柄の悪い男たちに絡まれて、今にも泣き出しそうな少女が、すぐ目の前にいる。
「……っ!」
僕は、歯が折れそうなくらい強く噛み締めた。そして――黒髪の男の方へ、完全に背を向けた。
今目の前で困っている人を放っておいてまで、自分の都合を優先するなんて僕にはできなかった。
「やめろ!」
気づいた時には叫んでいた。男たちが一斉に振り向く。
「……あぁ?」
低い声。鋭い視線が突き刺さる。思わず足がすくむ。
「なんだお前」
「そ、その子を離せ」
言った瞬間、少し後悔した。男たちの顔が険しくなる。
「なんだと?」
「はっ。てめぇ、誰に向かって言ってんだ?」
逃げろ。頭の中で警鐘が鳴る。今ならまだ間に合う。でも、足が動かない。男の一人が前へ出る。
「お前、称号は?」
「……」
僕が黙っていると、男たちは顔を見合わせた。
「まさか」
嫌な予感。
「お前、虚人か?」
「……」
沈黙が答えになった。次の瞬間。男たちが吹き出した。
「ははっ!」
「まじかよ!」
「虚人が出てきたぞ!」
笑い声が路地裏に響く。顔が熱い。悔しい。でも何も言い返せない。
「雑魚じゃねぇか」
「そんな奴が俺たちに楯突くのか?」
男の一人が肩を鳴らした。
「いい度胸してんな」
僕を見て笑う。
「まずは、お前から片付けるか」
「――っ」
心臓が跳ねる。頭の声が何度も逃げろと叫んでいた。勝てるわけがない。そんなことは分かってる。でも――。
視界の端に映った、黒いフード。俯いたままの小さな背中。
「……」
逃げたら。あの子はどうなる。気づけば口が動いていた。
「だ、だったら――」
声が震える。男たちが眉をひそめる。怖い。足も震えている。ほんとは今すぐ逃げ出したい。それでも――。僕は拳を握った。
「僕と、称号バトルをしろ」




