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都合のいい長女は今日でおしまい  作者: 朝月アサ


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05 【side女王】失敗した王太子




 ――舞踏会から二日が過ぎても、女王アガーテの机から報告書が消えることはなかった。


 焼け焦げた壁や床の修復費用。逃げる途中での負傷者の名簿。避難時に起きた混乱。出席していた諸侯から寄せられた抗議。


 幸いにも、人的被害は出ていない。やけどを負ったものはおらず、避難中に転んで軽い怪我をしたぐらいだ。それだけが救いだった。


 王宮の大広間であれほどの炎が燃え上がり、死者が一人も出なかったのは、異母弟であるシグヴェルトがその場にいたからにほかならない。


 だが、女王が頭を悩ませているのは、舞踏会の被害ではなかった。


 クラウゼン伯爵家の長女、レオノーラ――火竜の力を目覚めさせた娘が、いまシグヴェルトのもとにいる。


「…………」


 その事実に比べれば、焼けた大広間のことなど、取るに足らない問題だ。

 女王は報告書を閉じ、扉の前に立つ侍従へ目を向けた。


「ルシアンを通しなさい」


 ほどなくして、ルシアンが私室へ入ってきた。


 息子は女王の前まで進み出ると、形式どおりに礼をした。その顔には緊張が浮かんでいるものの、事態の深刻さは理解していそうにない。


 いささか浅慮なところには目をつぶり、長男であること、そしてレオノーラを婚約者に据えていることを理由に王太子へ選んだ結果が、これだ。


 女王は息子へ椅子を勧めなかった。


「あなたの口から説明しなさい」


 低く告げると、ルシアンはわずかに眉を動かした。


「何についてでしょうか」


 問い返された瞬間、女王はこめかみの奥が痛むのを感じた。


「クラウゼン伯爵家の長女が、我が弟シグヴェルトのもとにいることについてです」

「ああ、そのことですか」


 ルシアンの表情が安堵に緩む。


「事の起こりは、レオノーラが突然、魔力を暴走させたことです。大広間へ火を放ち、僕やフィオナを害そうとしました。幸い、その場におられた叔父上がすぐに取り押さえてくれました。レオノーラは地下牢へ収監し、危険がないよう叔父上に処置を任せています」


 淀みのない説明だった。自分は暴走した魔術師に適切に対処したのだと、心から信じているらしい。むしろどこか褒めてほしそうな雰囲気さえあった。


 女王は片手で額を押さえた。


 王太子として必要な教育は、惜しまず与えてきたつもりだった。教師も、書物も、実地経験も用意して、将来国を背負う者として育ててきた。

 婚約者にしたクラウゼン伯爵家の長女にも同等――いや、それ以上の教育を与えてきたが……


 すべて無駄だったらしい。

 ルシアンには政務能力どころか、為政者として肝心なものが何一つ身についていない。


「……私の言ったことを覚えていますか? 婚約者を妹へ挿げ替えることは認める。ただし、姉は王家の手元へ留め置くこと。それが条件、と――」

「ええ、もちろん覚えています。クラウゼン伯爵も心から賛同してくれました。レオノーラは今後、フィオナの補佐をする予定でした」


 まるで何も問題はないという顔だった。


「ですが、実際はどうですか。いまレオノーラは、シグヴェルトの庇護下にいる」


 ルシアンは不満そうに小さく口をとがらせる。


「庇護というより、監視下ではありませんか。彼女は王宮へ火を放った罪人です。これ以上庇い立てする必要はないでしょう」


 まったく悪びれない様子で言う。

 その表情はむしろ晴れやかだった。


「政務はレオノーラがいなくても問題ありません。僕の妃にはフィオナがいます」

「愚か者!」


 叱責に、ルシアンの肩が跳ねる。


「あなたは、あれほどの炎を見てなお、何も理解していないのですか。あれは凡庸な魔術師の暴走などではない!」

「ですが、レオノーラはこれまで魔術を使ったことなど――」

「だからこそです。自覚も訓練もない娘が、王宮の大広間を一瞬で炎に包んだのです」


 ルシアンは口を閉ざした。

 その意味をまったく理解していないのは、顔を見ればわかる。


 レオノーラがどれだけの才能を持つ魔術師なのか、そしてそれがシグヴェルトの元にいることの深刻さを、一切理解していない。


(――火竜の存在を伝えておかなかったのは、私の判断ミスか……いやしかし、この馬鹿息子が知っていれば、それこそ何をしでかしたかわからない……)


 クラウゼンの血に眠る力について知る者は極わずかであり、王家に残された記録も厳重に管理されている。


 ――火竜。人の身に、竜種にも等しい炎を宿す者。


 クラウゼンの血を引く女には、代々その素質が受け継がれる。その証は暗い赤の瞳。魔力が活性化したとき、その瞳は燃え盛る黄金色となる。


 その力が覚醒することは稀であり、半ばおとぎ話のようなものだ。


「――あの娘の力は、王都一つを焼き払える可能性を持つ。有事には国の行く末を左右しかねぬほどのものです」

「そんな……まさか、レオノーラが……」


 ルシアンは信じられないという顔をした。

 冷遇していた婚約者が、一国の戦況すら覆しかねない力を持っていたことに驚いている。


 王家に残る記録によれば、過去に火竜が現れた時代、王国は壊滅的な魔獣災害を生き延びた。


 一人で戦況を覆す力。

 平時には危険であり、有事には何物にも代えがたい力。


 だからこそ王家は、クラウゼン家の娘を代々注意深く見守ってきたのだ。

 レオノーラをルシアンの婚約者に選んだ理由も、能力や家柄だけではない。もし火竜が目覚めたなら、王家が管理するためだ。


 先王時代に生まれたレオノーラは、幼い頃から王家による監視がついていて、報告書が定期的に王の元に送られていた。十八年間、ずっと。


「……それならば、なおさら叔父上に任せるのが最善ではありませんか。叔父上も王族ですし、魔術総監です。黒杖卿なら危険な魔力を封じられましょう」


 女王は息子を見つめた。

 やはり、わかっていない。


「その力を、あの男が手に入れたらどうなるか、想像ぐらいできませんか? シグヴェルトは王位継承権を放棄したとはいえ、もっとも玉座に近い男です」

「……考えすぎではありませんか。叔父上に王位への野心があるとは思えません」


 シグヴェルトに王位を望む様子はない。女王とて、それは知っている。

 政治にも社交にも関心を示さず、自ら権力を欲したことは一度もない。


 だからといって、安心してよい理由にはならなかった。


 王位への野心がなくとも、王となる力を持つ者はいる。

 シグヴェルトは先王の末子であり、公爵位を持ち、王国魔術院を統べる黒杖だ。個人としての武力だけでなく、財力も組織も備えている。


 本人が望まなくとも、彼を玉座へ担ぎ上げたい者は存在する。

 そこへ火竜が加われば、もはや一つの勢力として無視できない。


「野心の有無など問題ではない。見るべきは頭の内ではなく、陣容です。あやつを支持する貴族はいまだに残っています」


 女王は椅子の背へ身体を預けた。


 身体が重い。二日間、ほとんど眠れていなかった。

 舞踏会の事後処理だけではない。シグヴェルトがレオノーラをどう扱うつもりなのか、各所から情報を集めさせていた。


 地下牢から連れ出し、離宮へ住まわせた。王国魔術院へ伴い、側で様子を見ていると。


「――取り戻しなさい。あやつにだけは、あの娘を渡してはなりません」


 ルシアンは困惑したように眉を寄せた。


「ですが、母上。僕とフィオナは愛し合っているのです。いまさらレオノーラを婚約者へ戻せと言われても」

「陛下と呼びなさい」


 いま、母親として息子へ意見しているのではない。

 王太子の失態を裁く、王として話している。


「あなたが誰を愛そうと、私の知ったことではない」


 ルシアンが目を瞬いた。


 女王はフィオナとの婚約そのものを問題にしているのではない。

 妹の方は王太子妃としての資質には疑問があった。だが、ルシアンが愛する娘を妻に望むのなら、それも一つの選択だと認めた。


 ただし、レオノーラを王家から離さないこと。

 それだけは何度も念を押した。


 レオノーラの方も、ルシアンを愛している様子はなかった。だから、誠意をもって何度も説明し、しかるべき待遇を与えれば、補佐として立派に勤めるだろうと思っていた。


「愛する娘と結婚したければ、好きにしなさい。その代わり、姉を王家から失うなと命じました。あなたはできると断言した。必ずレオノーラを説得してみせると。なのにあなたは、レオノーラを激昂させ、あれほどの力を目覚めさせた!」

「……それは……レオノーラにあんな力があるとは思っていませんでしたし、あんなに聞き分けがないとも思っていなかったからです。あのような騒ぎを起こすなんて、夢にも思わなかったのです」


 言い訳の数々に、女王は目を細めた。


「お前は、愛などと口にしながら、長年そばにいた娘の心も見えなかったのですか。衆目の前で辱め、何も起きぬと思っていたのですか?」

「…………」

「何故、レオノーラを納得させないうちに、婚約者の変更を公表したのです」

「……それは、その……僕もいろいろと考えた上で……」


 歯切れの悪い返答だった。


 おそらく、フィオナとの関係を早く公のものにしたかったのだろう。あるいは、先に公表してしまえばレオノーラも逆らえないと考えたか。


 どちらにせよ、ルシアンは失敗した。


「取り戻しなさい」


 女王は命じた。


「謝罪でも懐柔でも、どのような条件を提示しても構いません。レオノーラ自身に、王家へ戻ると選ばせなさい。できないなら、あなたの王位継承権を取り消します。愛する娘とともに、辺境ででも穏やかに暮らしなさい」

「母上!」

「陛下と呼べと言ったはずだ」


 ルシアンの顔に、ようやく恐怖が浮かんだ。王太子の地位を失う可能性に、初めて怯えたのだ。


 アガーテには他にも子がいる。王子でも、王女でも、誰かがレオノーラの信頼を得られれば、その者を後継者に据える。

 火竜をシグヴェルトの側へ置いたままにするよりは、王太子を替えるほうがはるかにましだった。


「陛下、お待ちください――」

「話は終わりです。退室しなさい」


 報告書に視線を戻す。これ以上話しても、同じ言葉を繰り返すだけだ。

 しばらくして、ルシアンが拳を握る気配がした。


「僕が、必ずレオノーラを取り戻します」


 女王は答えなかった。


 息子の声には決意があったが、それは自分本位のものだ。自分のことしか考えられないものが、他人の心を取り戻せることはない。


 どうせ、フィオナを手放さず、レオノーラの力も取り戻すなどという、都合のいい方法を算段しているのだろう。


 それができるなら大したものだが、ルシアンにはその器も手腕もない。


 女王は報告書の文字を追いながら、胸の内で静かに息を吐いた。


 ルシアンが失ったものは、火竜だけではない。長年、自分を支えてきた娘が、かろうじて残していた最後の信頼だった。


 一度決定的に離れた心を取り戻すことの困難さを、息子はまだ知らない。




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