24 祝賀会の始まり
王宮の大広間には、すでに多くの招待客が集まっていた。
高い天井から吊るされた魔導灯――レオノーラが燃やしたため、シャンデリアではなくなっていた――が、昼間のような明るさで広間を照らしている。
磨き上げられた床には、その光と着飾った人々の姿が映り込み、楽団の奏でる穏やかな音楽が、絶え間ない話し声の間を流れていた。
広間へ続く扉の前で、レオノーラは小さく息を吸った。
「緊張しているのか」
隣から聞こえた声に、レオノーラは姿勢を正す。
「いいえ」
「そうか」
シグヴェルトはそれ以上追及しなかった。
今夜の彼は、いつもの黒い外套ではなく、王族としての正装を身につけていた。
黒を基調とした衣装には銀糸の刺繍が施され、胸元には王国魔術総監を示す勲章が並んでいる。装飾は決して派手ではないが、長身の彼が身につけると、それだけで近づきがたい威厳があった。
その腕へ、レオノーラはそっと手を添えている。
ドレスは、黒から深紅へと色が移るものだ。
裾へ向かうほど鮮やかになる赤は、炎にも翼にも見える。首元と肩は品よく覆われているが、細かな刺繍が光を受けるたび、燃え上がる火の粉のように輝いた。
緊張していないと言ったが、これほど多くの人間の前へ出るとなると落ち着かない。
レオノーラはこの大広間を焼いた、王太子に捨てられた元婚約者だ。
どのような目で見られるだろう。恐れか、嫌悪か。
「きゅう」
肩に乗っていたティアが、レオノーラの頬へ鼻先を寄せた。まるで励ますように。
ティアの首には、今夜のために用意された赤い飾り紐が巻かれている。中央には小さな金色の石がつけられており、本人も気に入っているようだった。
もっとも、先ほどから何度か食べられるか試している。
「ティア、それは噛んではいけません」
「きゅ……」
「あとで果物をいただきましょう」
「きゅう!」
元気な返事に、レオノーラの肩から少しだけ力が抜けた。
扉の前に立っていた侍従が、二人の到着を確認して大きく息を吸う。
「王国魔術総監、シグヴェルト・エルダーシュタイン公爵閣下。王国魔術院、レオノーラ・クラウゼン様。ならびに竜のティア様、ご入場です」
扉が開かれた。
楽団の演奏は続いていたが、広間の話し声がわずかに小さくなる。
レオノーラはシグヴェルトに手を預けたまま、広間へ足を踏み入れた。
一歩進むごとに、視線が集まってくる。その意味を考え始めれば、足が止まりそうだった。
だから、レオノーラは前だけを見た。
背筋を伸ばし、歩幅を揃えて。
シグヴェルトは急かすことなく、レオノーラの歩みに合わせていた。
やがて、最初の挨拶を終えるより早く、人々が集まり始めた。
「公爵閣下、このたびのご功績、心よりお祝い申し上げます」
「レオノーラ嬢が、実際に火山を鎮められたのですか?」
「そちらが例の竜でございますか?」
「なんと愛らしい……」
ティアは、自分へ向けられる視線に気づくと、得意そうに胸を張った。
「きゅう!」
近くにいた令嬢たちから、小さな歓声が上がる。
集まった者たちの表情は明るい。噂だけが先行していた竜が、肩に乗るほど小さい姿を見せたことで、会場の緊張も少し和らいでいるようだった。
「ずいぶん人気だな」
シグヴェルトが言った。
「お前より愛想もいい」
「否定はいたしませんが、少し失礼ではございませんか?」
レオノーラが小声で返すと、シグヴェルトの口元がわずかに緩んだ。
そのとき、入口を告げる侍従の声が響いた。
「クラウゼン伯爵ご一家、ご入場です」
レオノーラの身体がわずかに強張る。
父と母が広間へ入ってきた。
その後ろにはフィオナとエリアスが続いている。
フィオナは淡い桃色のドレスを身につけていた。繊細な花の刺繍が施され、愛らしい彼女によく似合っている。
けれど、広間へ入った直後、その足が止まった。
視線の先には、シグヴェルトの隣に立つレオノーラがいる。
フィオナの目が、黒と深紅のドレスを上から下まで追った。
やがて、シグヴェルトへ添えられたレオノーラの手に止まる。
「お姉さま……」
声は、周囲のざわめきに紛れて届かなかった。
父もレオノーラを見ていた。
その表情は硬く、隣に立つシグヴェルトへ向ける視線には、警戒が滲んでいる。
一方のエリアスは、家族の空気など気にしていないらしい。
ティアを見つけるなり目を輝かせた。
「ティアだ!」
「エリアス」
父が低い声で制したが、エリアスの視線はティアへ釘づけになっていた。
ティアも覚えているのか、遠くから小さく翼を動かした。
レオノーラは、クラウゼン家へ近づかなかった。
今夜は、家族として出席しているわけではない。彼らもまた、王家から招かれた客でしかなかった。
ほどなくして、再び入口が騒がしくなる。
「王太子ルシアン殿下、ご入場です」
ルシアンが近衛騎士を伴って姿を現した。
青と金の正装を身につけた彼は、広間へ入ると、挨拶を受けながら周囲を見渡した。
やがて、その視線がレオノーラを捉える。
レオノーラは、彼と目が合ったことに気づき、礼儀としての一礼だけした。
「どうした」
無意識にシグヴェルトの腕へ添えた指へ力を込めていたことに気づき、はっとする。
「いいえ、何でもございません」
――言えない。
ルシアンの目を怖く感じただなんて。
シグヴェルトは一度ルシアンへ視線を向けたが、それ以上は何も言わなかった。
やがて、広間の奥で杖が床を打つ音が響き、楽団の演奏が止まる。
歓談していた人々も口を閉ざし、全員が広間の正面へ向き直った。
大扉がゆっくりと開かれる。
「女王陛下、ご入場です」
側近と近衛騎士を従え、女王が姿を現した。
深い青のドレスには金糸で王国の紋章が縫い取られ、頭上には小ぶりながら荘厳な王冠が輝いている。
女王が進むのに合わせて、招待客たちは一斉に頭を垂れた。
レオノーラもシグヴェルトの隣で礼を取る。
女王は広間の正面まで進み、ゆっくりと振り返った。
「皆、顔を上げなさい」
許しを得て、招待客たちが姿勢を戻す。
女王の視線が会場を巡った。
シグヴェルトで止まり、次にレオノーラ、その肩にいるティアへ移る。
「今宵は、ティレアン火山の災害を防ぎ、多くの領民の命と暮らしを救った者たちの功績を称えるため、集まってもらいました」
広間へ、女王のよく通る声が響く。
「火山調査を指揮した、王国魔術総監シグヴェルト・エルダーシュタイン」
シグヴェルトが静かに頭を下げた。
「調査責任者として火山へ赴き、その力をもって噴火を鎮めた、王国魔術院所属レオノーラ・クラウゼン」
自分の名が呼ばれ、レオノーラは一瞬息を止めた。
これほど多くの人々の前で、功績とともに名を呼ばれたことはない。
レオノーラは、教えられたとおりに一礼した。
「そして、火山鎮静に力を尽くした竜ティア」
「きゅう!」
ティアが大きな声で返事をした。
厳粛だった広間に、微かな笑いが広がる。
女王もほんのわずかに口元を和らげた。
「三者の働きがなければ、ティレアン火山の周辺は甚大な被害を受けていたでしょう。その功績を王国の名において称え、今宵、正式に顕彰します」
招待客たちの視線が、改めてレオノーラへ集まった。王国を救った功績者を見る目で。
――そして、ルシアンは、少し離れた場所に立っていた。
その口元に笑みを浮かべて。




