23 【Sideルシアン】焦り
王国魔術院から王宮に戻ったルシアンは、自室へ入るなり、後ろ手に扉を閉めた。
腹立たしさに任せて外套を脱ぎ、長椅子へ投げる。
シグヴェルトが現れなければ、レオノーラを王宮へ連れ帰ることができたはずだ。
少なくとも、落ち着いて話し合える場所へ移すことはできた。
あの場では、黒杖の魔力に満ちた魔術院にいたうえ、竜までそばにいた。レオノーラが正常な判断をできなかったとしても、不思議ではない。
――レオノーラは、戻らないと言った。
家にも、自分のもとにも、二度と戻るつもりはないと。
あんなことを言う女ではなかった。
いつだってルシアンの考えを理解し、求められるより先に必要なものを用意し、どれほど忙しくても不満を言わなかったのに――
そのレオノーラが、自分を拒絶するなんてありえない。
やはりシグヴェルトに何かされているのだ。
眷属契約によって意思を歪められたのかもしれない。あるいは、王国最強の魔術師に逆らえば何をされるかわからないと怯えているのだろう。
ならば、自分が助け出さなくてはならない。
ルシアンは机へ向かい、椅子へ腰を下ろした。
焦ってはいけない。いま必要なのは、レオノーラを取り戻すための方法を考えることだ。
彼女が戻らないままでは、自分は王太子の地位を失う。
母は本気だった。
レオノーラを王家へ戻せなければ、王太子に相応しくないと判断する。そうはっきり告げられている。
王太子の地位を取り消されれば、自分はどうなるのか。
王都から離れた領地へ送られ、フィオナとともに暮らすことになる。
豪奢な王宮も、従者たちも、いずれ手に入るはずだった王冠も失う。
そんなものは、人生とは呼べない。
「冗談ではない……」
ルシアンは王太子となるために育てられてきた。
幼い頃から、次代の王として振る舞うことを求められた。遊びたいときにも教師の講義を受け、好きでもない外国語や歴史を学び、大勢の前で失敗しないよう礼儀を叩き込まれてきた。
すべて、王になるためだった。
その地位を突然奪われ、辺境で名ばかりの貴族として生きろというのか。そんなことになれば、自分は死んでしまう。
それを防ぐためには、レオノーラが必要だった。
彼女をもう一度、自分のものにしなくてはならない。
ルシアンは指先で机を叩いた。
レオノーラは、シグヴェルトの言葉に惑わされている。
だが、一度でも以前の関係へ戻れば、きっと思い出す。自分が誰の婚約者だったのか。誰の隣へ立つために育てられてきたのか。
(――女など、一度抱いてしまえばこちらのものだ)
レオノーラは責任感が強い。自分と関係を持てば、それをなかったことにはできないだろう。
もしも子どもができれば、なおさらだ。
だが、それを実行するには、レオノーラをひとりにしなければならない。
現在のレオノーラの周囲には、常に誰かがいる。
魔術院では職員たちが目を光らせ、離宮へ戻ればシグヴェルトの使用人がいる。
何より、あの小さな竜が片時も離れない。
見た目こそ小さいが、竜である。無理に引き離そうとすれば、火を吐くかもしれない。
そして、レオノーラの住む離宮はシグヴェルトの領域だ。
警備も結界も、すべて黒杖の支配下にある。ならば、シグヴェルトとレオノーラをなんとかして引き離すしかない。
ルシアンは紙を取り出し、考えられる方法を書き始めた。
まずは、魔術総監の地位から解任する。
魔術院を追われれば、シグヴェルトの権限は大きく失われる。レオノーラを秘書として置く理由もなくなるはずだ。
しかし、人事権を持つのは女王である母だ。
いまの母が、シグヴェルトの解任を認めるとは思えない。
そもそも、シグヴェルトの代わりに魔術院を統率できる者がいない。黒杖が維持している結界や封印も多く、解任すれば王国そのものに損害が出る。
ルシアンは紙に引いた線を、乱暴に塗り潰した。
次に、地方へ派遣する。
遠方で大規模な魔術災害が起きれば、魔術総監であるシグヴェルトが向かわざるを得ない。
しかし、シグヴェルトは転移魔法を使える。どれほど遠くへ送っても、一瞬で王都へ帰ってくるだろう。
しかも、秘書であるレオノーラを同行させる可能性が高い。
これも駄目だ。
「ならば、結婚させれば……」
シグヴェルトに妻ができれば、未婚のレオノーラを離宮へ住まわせ続けることは難しくなる。
外国の王女か、有力貴族の令嬢をあてがえばいい。
王族である以上、婚姻は義務だ。
女王命令であれば、いかにシグヴェルトでも拒絶できない。
そう考えたところで、ルシアンは以前耳にした話を思い出した。
シグヴェルトは王位継承権を放棄する際、王家から婚姻を強制されないことを条件に加えている。
何度縁談を持ち込んでも、すべて断ってきた、と。
ルシアンは苛立ちに任せ、ペン先を紙へ突き立てた。
「叔父上は、どこまでも邪魔をする……」
地位から引きずり下ろすこともできない。
遠くへ追いやることも、婚姻によって縛ることもできない。
シグヴェルトがいる限り、レオノーラへ近づけない。
ならば、シグヴェルトそのものを王国から排除するしかない。
ルシアンの手が止まった。
――そうだ。魔術総監であろうと、公爵であろうと、王家に背けば罪人になる。
王国最強の魔術師が、女王の命令を聞かず、独自に軍事力を蓄えている。その姿は、反逆の準備をしているとも取れるのではないか。
シグヴェルトが反逆者だと認められれば、レオノーラはその支配下から保護される。
――だが、証拠がない。
それどころか、シグヴェルトは先日の火山鎮静によって、さらに名声を高めている。
いま告発したところで、甥が叔父を陥れようとしていると受け取られるだけになるかもしれない。
「証拠がないなら……」
ルシアンは、途中まで口にした言葉を飲み込んだ。
本物の証拠が必要だとは限らない。
シグヴェルトが反逆を考えている。そう貴族たちが信じれば、母も無視できなくなるだろう。
けれど、それには時間がかかる。
母が自分を王太子の座から下ろすのが先になるかもしれない。
もっと早く、確実にレオノーラを取り戻す方法が必要だった。
――そのとき、机の端に置かれていた書状が目に入った。
間もなく開かれる、火山鎮静を祝う祝賀会だ。
女王と主要な貴族たちが集まり、レオノーラも功績者として出席する。
「これだ……!」
公の場であれば、シグヴェルトも勝手な真似はできない。
大勢の前で、レオノーラを正妃へ戻すと宣言する。
王太子が正式に婚姻の意思を示せば、レオノーラもその場で拒絶することはできないだろう。
たとえ迷っていても、王家と貴族たちの視線を前にすれば、正しい選択をするはずだ。
二人きりになる機会など、そのあとでいくらでも作れる。
ルシアンはようやくペンを置いた。
「待っていろ、レオノーラ」
自分が必ず、シグヴェルトの支配から救い出す。
そうすれば彼女も、いつか今日の拒絶を恥じて、自分へ感謝するだろう。




