22 叔父と甥
シグヴェルトは黒い外套の裾を揺らしながら、応接室へ入ってきた。
ルシアン、レオノーラ、ティアに順番に視線を向け、最後に、レオノーラへ伸ばされていたルシアンの手を見た。
「――ふむ」
「叔父上、出ていってください。これは、僕とレオノーラの問題です。叔父上には関係ありません」
シグヴェルトはすぐには答えなかった。
ただ、目を細めた。
「彼女は嫌がっているように見えるが」
「照れているだけです」
あまりにも迷いなく返され、レオノーラは一瞬、自分の耳を疑った。
何度も拒絶したはずなのに、ルシアンの中では、すべて照れや混乱に置き換えられている。
「――レオノーラは僕と一緒に王宮へ戻ります」
シグヴェルトはわずかに眉を上げる。
「彼女のことは私に任せると言っていたはずだが」
「それは、あの時だけの話です。一時的に叔父上のもとへ預けただけですから」
「そうだったか」
シグヴェルトの声は淡々としていた。
怒っているようにも、呆れているようにも聞こえない。
けれど、応接室の空気は先ほどより冷たくなっていた。
「では、本人に聞こう」
シグヴェルトはレオノーラへ視線を向けた。
「レオノーラ。お前はどうしたい。我が甥とともに、ここを出るか」
レオノーラは迷わず首を横へ振った。
「いいえ。家にも、王太子殿下のもとにも、二度と戻るつもりはありません」
自分でも驚くほど、震えも焦りもなく静かに言えた。
シグヴェルトはそこで初めて、ルシアンへ向き直った。
「そういうことだ」
「叔父上が命じたのでしょう」
「命じていない」
「何か魔術を使って、レオノーラ自身が気づいていないうちに、叔父上の意思に逆らえなくなっているんだ」
シグヴェルトは怒りもせずに答える。
「本人の意思であり、本人の言葉だ。それをどうして受け入れられない」
「レオノーラが、僕から離れることなどありえないからです!」
ルシアンの声が応接室へ響いた。
「…………」
レオノーラは、目の前にいる青年を見つめた。
――やはり、自分たちは近くにいすぎた。それが当たり前になりすぎていた。
ルシアンは、その年月を、レオノーラが今後も自分へ従い続ける証拠だと考えている。
そのとき、シグヴェルトが低く笑った。
あまりにも理解しがたいものを前にし、呆れが声になって漏れたような笑いだった。
「随分と甘やかされてきたようだ」
「何ですって?」
「本人が嫌だと言っている。それでも、自分が拒絶された可能性は考えない。相手が操られているか、照れているだけだと思う」
シグヴェルトは、静かにルシアンを見据えた。
「周囲に甘やかされ、それに気づかず甘えてきたのだろう。いままではそれでよかったのだろうが、もうそれだけでは通じない。随分と遅くなったが、いま知れてよかったな」
ルシアンの顔が赤くなる。
「叔父上と言えど、僕を侮辱するな! 僕は、王太子なんだぞ!」
シグヴェルトは、もう一度小さく息を漏らした。
「今日は戻れ」
「まだ話は終わっていません」
シグヴェルトが扉へ視線を向ける。
「これ以上ここで騒ぐなら、王太子ではなく、正式な手続きを踏まずに魔術院へ入り込み、所属する者を連れ去ろうとした侵入者として扱う」
王国魔術院は、王宮の下部組織ではない。
その長であるシグヴェルトが侵入者と判断すれば、王太子であっても無事では済まない。
ルシアンは唇を引き結んだ。
レオノーラを見たあと、シグヴェルトへ鋭い視線を向ける。
何か言い返そうとしたようだったが、結局、言葉にはしなかった。
強く握った拳を震わせたまま踵を返し、近衛騎士たちを連れて応接室を出ていく。
乱暴に閉められた扉の音が、室内に響いた。
しばらくして、レオノーラは深く息を吐いた。
「……どうして王太子殿下は、わたくしにそこまでこだわるのでしょう」
愛するフィオナと婚約したはずなのに。
フィオナの教育係など、レオノーラでなくとも事足りる。使い勝手がよいという理由だけにしては、あまりにもしつこい。
シグヴェルトは、ルシアンの消えた扉から視線を戻した。
「女王陛下に怒られたのだろう」
「陛下に?」
「火山をも御せる、お前の力が必要なのだ」
レオノーラの胸の奥へ、冷たいものが落ちた。
「……なるほど。なんとなくわかりました」
ルシアンが求めているのは、レオノーラ自身ではない。
一度は王宮を焼きかけたとはいえ、その後には火山を鎮め、竜を生み出した。その力を、王家の手元へ置いておきたいのだ。
そう考えれば、ルシアンの執着にも納得がいく。
――だが、ひとつだけ腑に落ちない。
「わたくし程度の魔術師なら、他にもいくらでもいるのではありませんか?」
王家がわざわざレオノーラに執着する必要性がわからない。
シグヴェルトが目を瞬いた。
次の瞬間、声を上げて笑い出す。
「な、何がおかしいのですか」
「お前のようなものが何人もいたら、とっくに世界が滅びている」
「シグヴェルト様のほうがよほど危険でしょう!」
「もちろんそうだ」
あまりにも堂々と認められ、レオノーラは言葉に詰まった。
否定する気はないらしい。
シグヴェルトは笑いを収めると、レオノーラの肩でまだ扉を睨んでいるティアへ目を向けた。
「祝賀会でも油断するなよ、火竜」
「承知しております」
「勢い余って甥を焼くなと言っている」
レオノーラは眉を寄せた。
「それは、もうしません!」
「どうだかな」
「しません!」
「きゅう!」
ティアまでレオノーラへ同意するように鳴いた。
その姿に、シグヴェルトは再び小さく笑っていた。




