20 隣に立つ練習
祝賀会で演奏される曲を一通り確認したあと、レオノーラは広間の中央へ移動した。
離宮の小広間は、ダンスの練習ができるよう家具を壁際へ寄せてある。窓辺には楽師が二人控え、レオノーラたちの準備が整うのを待っていた。
向かいに立つシグヴェルトは、いつもの黒い外套ではなく、動きやすいシャツと細身の上着を身につけている。
「では、一度合わせてみましょう」
「ああ」
祝賀会にはダンスの時間もある。
主賓の二人がダンスで大失敗をすると大恥をかくので、軽くでも合わせておく時間が必要となる。
シグヴェルトが右手を差し出した。
レオノーラはその手を取り、左手を彼の肩へ添える。腰へ回された腕は、決められた位置から少しもずれていなかった。
姿勢も、立つ距離も完璧だった。
王族として、必要な作法はすべて身につけているのだろう。
それなのに、どこか妙に硬い。
楽師が弓を動かし、ゆったりとした曲が流れ始める。
最初の一歩を踏み出し、二歩、三歩と進んだところで、二人の足取りがほんのわずかにずれた。
レオノーラはすぐに体勢を立て直したものの、違和感は消えなかった。
「……公爵閣下」
「何だ」
「もしかして、ダンスにはあまり慣れていらっしゃらないのですか?」
問いかけると、一拍の沈黙が落ちた。
「習ったことはある。王族として必要な舞踏は、すべて修得している」
シグヴェルトは胸を張るでもなく、事実を述べるように答えた。
レオノーラが尋ねているのは、覚えている型の数ではない。
「実際に女性と踊られた回数をお尋ねしています」
シグヴェルトは答えなかった。
腰へ添えられた手が動くこともなく、視線だけがわずかにレオノーラから外れる。
答えないということは、そういうことなのだろう。
――いままでの記憶をたどってみると、確かにシグヴェルト様は、正式な舞踏会にはほとんど出席していない。出席した場合も、女性と踊っていた姿は見ていない。
――そして、彼に関する噂。女性嫌いと噂されるほど、近づいてくる令嬢を避けてきた王弟だ。実践経験が乏しいのも当然だった。
その時、胸の奥に小さな感情が生まれる。
――かわいい、と。
レオノーラは即座に聞かなかったことにした。
ともかく、このまま祝賀会へ出れば、シグヴェルトが恥をかく可能性がある。
(わたくしがしっかりと補助し、不慣れだと悟られないよう導かなくては)
責任感が燃え上がる。
レオノーラは、シグヴェルトを安心させるように微笑んだ。
「大丈夫です。わたくしが合わせますので。次の動きもわかりやすいよう、手や身体の向きで合図いたしますので、どうぞご心配なく」
シグヴェルトの眉が、わずかに動いた。
「お前が私をリードするつもりか?」
「はい。わたくしは、あらゆる舞踏を何度も練習しております。相手が不慣れな場合の合わせ方も学びましたので、どうぞお任せください」
王太子妃となれば、社交のためダンスに慣れていない相手とも踊る機会が出てくる。特に外国からの要人など。
レオノーラはそんな相手とも踊れるように練習していた。
「必要ない」
きっぱりと拒まれ、レオノーラは目を瞬いた。
だが、失敗してからでは遅いのだ。シグヴェルトは女王の弟で、王国魔術総監でもある。衆目の前で足を止めるわけにはいかない。
「私は失敗しない」
「先ほど、足が遅れていました」
「お前が先回りして動いたからだ」
思いがけない指摘に、レオノーラは言葉を止めた。
「わたくしが、ですか?」
「私が導くより先に身体を動かしている。私が足を出す前に、お前が合わせようとするから、ずれる」
「…………」
「力を抜け」
腰へ添えられていたシグヴェルトの手に、少しだけ力が加わった。
「で、ですが、次の動きを把握していなければ――」
「考える必要はない。私に任せろ」
「もし失敗したら、公爵閣下が恥をかくことになります」
「そのときは、私の責任だ」
迷いのない声だった。
絶対に失敗しないと主張しているのではない。
自分が導いて失敗したのなら、その責任は自分が負うと言っている。
レオノーラに、相手の分まで先回りして背負えとは言わない。
「……わかりました」
完全に納得したわけではなかった。
それでもレオノーラは、意識して肩から力を抜いた。
シグヴェルトの手を握る指も緩め、次にどちらへ進むのかを考えるのをやめる。
楽師が合図を察し、曲を最初から奏で始めた。
今度は先回りせず、腰へ添えられた手の動きに身を任せる。
最初の一歩。
続く二歩目は、シグヴェルトが示した方向へ足を運ぶ。
普段なら、次の三歩、四歩まで考えているところだった。けれど今は、手のひらから伝わる動きだけを追う。
シグヴェルトの足取りは、最初の数歩こそ慎重だったが、一度レオノーラとの歩幅を掴むと、動きは見る間に滑らかになっていった。
広い歩幅に合わせて引かれ、身体の向きが変わる。
シグヴェルトの腕が支えているため、重心を移しても不安定にはならない。むしろ、自分で先を読んでいたときよりも、足取りが軽い。
曲に合わせて一度回転し、再び正面へ戻ったところで、レオノーラは思わずシグヴェルトを見上げた。
「……お上手ですね」
「当然だ」
「先ほどまでは、あれほど動きが硬かったのに」
「実戦経験が少ないだけで、できないとは言っていない」
返ってきた声は、わずかに不機嫌そうだった。
不慣れだと見抜かれたことが、よほど気に入らなかったらしい。
その表情を見て、先ほど無視したはずの声が、頭の片隅でもう一度囁いた。
――かわいい。
今度は、完全には聞かなかったことにできなかった。




