19 夜会用ドレス
翌日、レオノーラが案内された離宮の一室は、普段とはまるで違っていた。
壁際から窓辺まで、七体のトルソーが等間隔に並べられ、それぞれに夜会用のドレスが着せられている。仕立て屋と数人の針子、離宮の侍女たちまで控えている。
ドレスは深紅。濃紺。銀白色。深い青。金糸を使った象牙色。
さらに部屋の奥には、夜空を閉じ込めたような黒に近い紺色と、裾へ向かうにつれて黒から深紅へ色が移り変わるドレスが並んでいる。
どれも一目で最高級品とわかった。
布地は光を受けるたび、波打つ水面のように艶を変える。刺繍には金糸や銀糸が惜しげもなく使われ、襟元や胸元へ小さな宝石を縫い込んだものまであった。
レオノーラは部屋の中央で立ち止まり、並んだドレスを警戒するように見回した。
「……公爵閣下」
窓辺で仕立て屋と話していたシグヴェルトが、こちらを振り返る。
「これは、いったいどういうことでしょうか」
「夜会用のドレスだが」
「それは見ればわかります。どうして、これほどの数があるのかとお聞きしているのです」
レオノーラが七着のドレスを示すと、シグヴェルトは不思議そうにそれらを眺めた。
「選ぶには、比較が必要だろう」
さも当然のことであるかのように答えられ、レオノーラはしばらく言葉を失った。
いま必要なドレスは一着だけだ。祝賀会は一晩で終わり、その後に夜会へ出席する予定もない。
それなのに、どうして七着もあるのだろう。
これが王弟の金銭感覚なのかもしれない。
――あるいは、以前他の女性のために用意されたものではないだろうか。
事情が変わって着る者がいなくなり、処分する理由もなく衣装庫に眠っていた。それを今回、寸法だけ調整して持ってきたのかもしれない。
そう考えれば、数の多さにも説明がつく。
レオノーラは改めてドレスを見回した。
どれも自分の体格に近いトルソーへ着せられているが、布地を詰めたり広げたりする前なのだろう。
「お前の好みで選んでいい」
シグヴェルトは七着へ視線を向けたまま、続けた。
「どれも似合うと思うが」
胸の奥を、不意に掴まれたような気がした。
レオノーラはどうにか表情を保つ。
「……わたくしが選ぶのですか?」
「ああ。着るのはお前だろう」
あまりにも当然のように言われた。
けれどレオノーラにとって、夜会用のドレスとは、自分が着たいものを選ぶためのものではなかった。
王太子の正装に合う色。王家の品位を損なわない形。隣に立つルシアンを引き立てながら、婚約者として見劣りもしないもの。
フィオナが同席する催しなら、華やかな妹より目立たないよう配慮する必要もあった。
だから、自分で選ぶのはどうにも慣れない。
レオノーラは並んだドレスを眺めた。
どれも美しい。そして、王宮の祝賀会に相応しいデザインたちだ。
「では、公爵閣下の正装と釣り合うものにします」
「合わせる必要はない」
シグヴェルトは淡々と言い切った。
「お前は私の付属品ではないのだから、自分が着たいものを選べばいい」
レオノーラは息を止めた。
隣に立つ人物を引き立てることが、装いの役目だったのに、シグヴェルトは、自分に合わせる必要はないと言う。
レオノーラはもう一度、ドレスたちへ目を向けた。
深紅は華やかで、金糸の象牙色は王宮の灯りによく映えるだろう。銀白色は気品があり、深い青は自分の瞳を明るく見せるかもしれない。
どれも美しい。その中でも、黒から深紅へ色が移り変わるドレスに視線が向く。
腰より上は夜のような黒で、裾へ向かうほど鮮やかな赤へ変わっている。銀糸で描かれた刺繍は、炎にも、大きく広げられた竜の翼にも見えた。
「私は、あれが最もよいと思う」
シグヴェルトが同じドレスを指した。
深紅のドレスの上を飛び回っていたティアも、彼の肩へ移ると、黒と赤の一着へ顔を向けた。
「きゅう!」
「ティアも同意見らしい」
シグヴェルトは満足そうに言い、ティアまで嬉しそうに尻尾を振っている。
レオノーラは、黒と深紅のドレスに近づいた。
間近で見ると、銀糸の刺繍はさらに細かい。胸元から腰へ流れる線は揺らめく炎を表している。
他のドレスよりも大胆で、以前の自分なら真っ先に候補から外していただろう。
レオノーラは、そっと手で触れた。
滑らかな布地の上で、銀色の炎が光を弾く。
美しいと思った。
このドレスなら、レオノーラの髪と瞳の色とも調和し、黒を基調としたシグヴェルトの正装と並んでもよく映えるだろう。
「気に入ったか?」
背後から尋ねられ、レオノーラは布地から手を離した。
「……そうですね」
「では、試着を」
待ち構えていた仕立て屋と、針子たちが動き出した。
レオノーラは衝立の向こうへ案内され、侍女の手を借りてドレスへ袖を通した。
重厚に見えた布地は、驚くほど軽かった。胴まわりは苦しくない程度に身体へ沿い、胸元も腰の位置も、直すべき箇所が見当たらないほどぴたりと合っている。
裾の長さまで、靴を履けばちょうどよく床を滑る。
仕立て屋が背後から確認し、満足そうに頷いた。
「わずかな調整だけで済みそうでございます」
レオノーラは鏡の中の自分を見つめた。
――自分がこのような色を着る日が来るとは、考えたこともなかった。
そして、偶然にしては、あまりにも寸法が合いすぎている。袖の長さも、腰の位置も。
衝立の向こうへ戻ると、シグヴェルトの肩にいたティアが勢いよく翼を広げた。
「きゅう!」
シグヴェルトは何も言わず、しばらくレオノーラを見つめていた。
その視線に落ち着かなくなり、レオノーラはスカートのあたりを確かめる。
「どこかおかしいでしょうか」
「いや」
シグヴェルトはゆっくり首を横へ振った。
「やはり、よく似合う」
首筋が熱くなるのを感じた。
――もしかして。
もしかすると。
このドレスたちは、他の誰かのためにではなく、レオノーラのために前々から準備されていたものではないのか。
だがその疑問を直接聞く勇気はなかった。




