18 祝賀会への招待
ティレアン火山から王都へ戻って、数日が過ぎた。
レオノーラは今日も王国魔術院で、報告書をめくりながら、ペンで修正すべき箇所へ印をつけていった。
机の端では、ティアが身体を丸めて眠っている。
小さな翼が規則正しく上下し、その周囲には、いつの間にか果物や菓子が積み上げられていた。
切り分けられた林檎。干した杏。蜂蜜を絡めた木の実。小さな焼き菓子まである。
それらはすべて、魔術院の人々が置いていったものだ。初めこそ本物の竜であるティアを遠巻きに眺めていたが、いまではすっかり慣れていて、こうして食べ物を置いていく。
このままでは、あっという間に太ってしまうかもしれない。
そう思いながらレオノーラが干し杏を一つ取り上げると、眠っていたはずのティアの尻尾が、机を軽く叩いた。
「起きているのですか?」
返事はない。
ティアは目を閉じたまま、前脚だけを干し杏へ伸ばしてくる。
「眠っているなら必要ありませんね」
「きゅう」
薄く開いた金色の目が、恨めしそうにレオノーラを見上げた。
そのとき、執務室の扉が開いた。
ノックもせずに扉を開くのは、この部屋の主だけだ。
シグヴェルトはティアの周囲に積まれた食べ物へ目を向けたが、何も言わなかった。
そのままレオノーラの机まで来ると、一通の封書を置く。
「お前宛てだ」
厚い白紙の封筒には、赤い封蝋が施されていた。
刻まれているのは、翼を広げた鷲と王冠――王家の紋章である。
やや緊張しながら封を切って中身を取り出す。
最初に目へ入ったのは、女王の名だった。
そこには、一か月後に王宮の大広間で催される祝賀会について記されていた。
ティレアン火山の鎮静と、周辺地域を救った王国魔術院の功績を称えるためのものらしい。
招待される功績者として、三つの名前が並んでいる。
王国魔術総監シグヴェルト・エルダーシュタイン。
ティレアン火山調査責任者レオノーラ・クラウゼン。
そして、火山鎮静協力者小竜ティア。
「…………」
レオノーラは、自分の名前が書かれた箇所をもう一度読み返した。
何度見ても、間違いではない。
しかもティアの名前まである。
「一か月後、女王陛下の主催で祝賀会が開かれる」
シグヴェルトが言った。
「火山災害を防いだ魔術院への労いが名目だ。お前とティアも功績者として紹介される」
レオノーラの指が、紙の上で止まる。
――これまでにも、父の代わりに報告書をまとめたことはあった。ルシアンの政策案を整え、会議で使う資料を作ったこともある。
けれど、完成した書類の先頭へ記されるのは、いつも父やルシアンの名前だった。
自分の名前が載るとしても、補佐をした者の一覧、その末尾に小さく記されるだけだ。
だから、王家から届いた正式な招待状に、功績者として自分の名前が書かれているのは、どう受け止めればよいのかわからない。
「シグヴェルト様が出席なさるのですね」
「そうだ」
「でしたら、わたくしは控室で待機しております」
祝賀会へ出席するシグヴェルトを、補佐として支える必要はあるだろう。
事前に資料を揃え、女王や貴族から質問された場合に備えて、回答をまとめておけばいい。
そして、答えにくい質問があったとき、控室で回答を作成すればいい。
「何を言っている。お前も出席するんだ。お前が火山を鎮めたのに、なぜ私だけが出る」
「わたくしは補助をしただけです」
「逆だ。補助をしたのは私だ」
あまりにも迷いなく言い切られ、レオノーラは言葉に詰まった。
「火山の魔力を鎮めたのはお前だ。私は、お前が作業を終えるまで周囲を押さえていたにすぎない」
シグヴェルトは机の上に積まれていた書類から、一冊の報告書を抜き取った。
王家に提出された、ティレアン火山調査及び鎮静に関する報告書の控えである。
「調査責任者も、主要功績者も、お前の名前になっている」
「お待ちください。わたくしは、そのようなところに自分の名前を書いた覚えはありません」
「事実を記載しただけだ」
シグヴェルトは報告書を机へ戻した。
「祝賀会では、女王陛下から直接功績を称えられることになる。欠席は認めない」
「……承知いたしました」
レオノーラは招待状へ視線を落とした。
一か月後にまた、王宮へ行かなければならない。
脳裏に浮かんだのは、眩いほどの灯りに照らされた大広間。
抑え込んでいた炎が噴き出した場所。
あの夜のことを知る貴族も、大勢出席するはずだ。
「…………」
招待状を持つ指へ、知らず力が入る。
「行きたくないか」
シグヴェルトに問われ、レオノーラは顔を上げた。そして、すぐに伏せる。
「……はい。わたくしが出席すれば、余計な混乱を招く可能性がございます。王太子殿下の元婚約者が、公爵閣下の眷属として現れることになりますので」
「王太子の元婚約者として出席するのではない」
シグヴェルトは淡々と告げた。
「ティレアン火山を鎮めた、王国魔術院の人間として出席するんだ」
恐ろしく身も蓋もない。
レオノーラが出席することで誰かが不快になろうと、祝賀会の空気が乱れようと、彼には関係がない。
功績を上げたものが、功績を称えられる。
シグヴェルトにとっては、ただそれだけの話なのだ。
「きゅ?」
いつの間にか起き上がっていたティアが、招待状へ顔を近づけた。
赤い封蝋を珍しそうに嗅いだあと、紙の端へ小さな口を開く。
「食べてはいけません」
レオノーラは慌てて招待状を持ち上げ、ティアの口が空を噛む。
「もちろんティアも出席する。王宮で正式に紹介される予定だ」
「ティアを大広間へ連れていくのですか?……問題を起こさないでしょうか」
ティアは机の上で翼を広げ、招待状を追って跳び上がろうとしている。
王宮の大広間には、大勢の貴族が集まる。
燭台も、花も、料理もある。ティアの興味を引きそうなものばかりだ。
シグヴェルトは、そんなティアを一瞥した。
「お前よりは問題を起こさないだろう」
「…………」
本当に、身も蓋もない。
「出席するなら、夜会用のドレスが必要だな」
シグヴェルトの言葉に、レオノーラは気を取り直した。
「舞踏会用のドレスなら、実家にございます」
クラウゼン伯爵家には、王太子の婚約者として用意されたドレスが何着も残っている。
王太子の隣で目立ちすぎないよう仕立てられたものだ。
「使者を出して、取りに行ってもらえば……」
「必要ない」
「ですが、新しく用意するには一か月しかありません」
「すでに用意してある」
レオノーラは瞬いた。
以前、離宮へ連れてこられたときも、普段着や室内着はすでに揃えられていた。
今回も、離宮の衣装庫にあるドレスを仕立て直す手配が済んでいるのかもしれない。
公爵家ならば、急な女性客へ貸し出すための衣装が用意されていても不思議ではない。
シグヴェルトはレオノーラを見た。頭の先から、爪先まで。
「サイズを確認する必要があるな。明日、仕立て屋を呼ぶ」
「……承知いたしました。明日の予定を調整しておきます」
レオノーラは招待状を封筒へ戻すと、机の上の書類を抱えて立ち上がった。別の部署へ届けるものがある。
「ああ。時間を長めに取っておけ」
「は、はい……」
微調整のための試着だけでそんなに時間がかかるだろうか。
少々疑問に思ったが、言われた通りにすることにした。
「……それにしても、どうしてティアが火山鎮静の協力者ということになっているのでしょう」
「お前が火山に蓄積した魔力へ形を与え、生命を創造したなど、表沙汰にできるわけがないだろう。それは魔術の範囲を軽く超えている」
「そうなのですか」
レオノーラが生み出した竜ではなく、もともと火山に住んでいた竜ということになっているようだ。
ティアは火山の魔力を変化させた存在なので、そう言えなくもない。
「……驚いていないな」
シグヴェルトがどこか不満そうに呟いた。
「わたくし自身の力だけで成し遂げたことではございません。シグヴェルト様のご助力があってのことですので」
「私が手を貸したところで、普通は竜など生まれんがな」
「では――わたくしたちの相性が良かったということでしょう」
レオノーラが微笑むと、シグヴェルトは何故か黙った。
何か変なことを言っただろうかと思いながらも、レオノーラは別部署に書類を届けるため部屋を出た。




