16 竜好きの意気投合
応接室に、気まずい沈黙が落ちた。
父が何かを言い返すより先に、弟のエリアスが身を乗り出し、レオノーラの肩へ視線を向けた。
そこではティアが翼を畳み、赤い尾をゆらゆらと揺らしている。
「姉上、その竜……本物だよね? 触ってもいい?」
家族とともに姉を迎えに来たはずなのに、フィオナを助けるという話も、姉を連れ戻すという話も、すでに頭から抜け落ちているらしい。
ティアは弟を見つめ、小さく首を傾げた。
「ええ。ティアが嫌がらなければ」
エリアスが恐る恐る手を差し出す。
ティアはその指先を嗅ぐと、ひょいと腕へ飛び移った。
「うわ……!」
エリアスは声を上げたものの、逃げなかった。
むしろ腕へ爪を立てて留まるティアを、息を止めるように見つめている。
「すごい。鱗、硬い。翼もある。火も吐けるの? どのくらい? 暖炉くらい? 家を焼ける?」
「試させるな」
横からシグヴェルトが口を挟んだ。
エリアスは初めて彼の存在を思い出したように顔を上げる。
王国最強の魔術師。黒杖卿。子どもでも、黒杖卿の恐ろしい噂くらいは耳にしているのだろう。
だが、エリアスが怯えたのは一瞬だった。
「この竜、公爵閣下が捕まえたのですか?」
「違う。レオノーラが作った」
「姉上が?」
「ああ。火山の力へ形を与えた。私が制御を補助し、レオノーラが竜として完成させた」
シグヴェルトの声には、隠しきれない誇らしさがあった。
弟は姉とティアを交互に見て、さらに目を輝かせる。
「姉上、そんなことができるの?」
「わたくしも、できるとは思っていませんでした」
「すごい! 格好いい!」
室内の空気が凍った。
父が咳払いをし、フィオナが傷ついた顔をする。
けれど、シグヴェルトだけは満足そうに頷いた。
「見る目があるな。火山から竜を作った女は、レオノーラだけだ」
「ですよね!」
二人はしっかりと目を合わせた。すっかり意気投合したのが、レオノーラにもわかった。
――二十六歳の公爵閣下であり魔術総監と、十歳の弟が。
「ティアは大きくなるのですか?」
「おそらくは。現状は余剰魔力が少ないため、この大きさを保っている」
「魔力をたくさん食べたら、大きくなる?」
「可能性はある」
――ある、のだろうか。
ティアは火山の魔力から生まれた竜だ。一般的な生物とは違う。
だが、可能性がないわけではない。純粋な弟の好奇心を、頭から否定するべきではない。
それにしても、どこからが研究者としての推測で、どこからが竜好きの願望なのだろう。
「背中に乗れますか? 空を飛べますか?」
「当然だ。竜だからな。成長すればいずれ乗れるだろう。だが、一番に乗るのは私だ」
堂々と予約している。
「角も大きくなりますか? 炎は何色ですか?」
「大きくなるだろうな。赤を基調としているが、出力を高めれば白に近づく」
「強い?」
「私とレオノーラの竜だ。弱いはずがない」
レオノーラは眉を寄せた。
「――シグヴェルト様。いつからティアが、あなたの竜にもなったのですか」
シグヴェルトは当然のように答えた。
「私が制御しなければ生まれていない。すなわち、私の竜でもある」
「でも、ティアはわたくしの竜です」
レオノーラが念を押すと、エリアスの腕に乗ったティアが「きゅう」と鳴いた。
弟は二人を見比べる。
「じゃあ、姉上と閣下が一緒に作った竜なんですか? 二人の子どもみたいなもの?」
「そうだ」
「違います!」
涼しい顔で何を言っているのか、この男は。
「いいなあ。僕もいつか、竜を作ってみたい」
「まずは魔術式の基礎からだ。素質があるなら教えてやろう」
「勉強します!」
シグヴェルトは満足そうに頷いた。
いつの間にか、弟子入りの話にまで進んでいる。
「……シグヴェルト様。弟を勝手に勧誘しないでください」
「見る目があり、向上心もある。素質があれば鍛えてやるべきだろう」
「あなたの教育方針は、スパルタすぎるのです」
エリアスの腕から飛び立ったティアが、今度はシグヴェルトの肩へ着地する。
魔術師と、その肩に乗る小さな竜。その姿はやけに様になっていて、弟も感嘆の声を漏らした。
「格好いい……!」
シグヴェルトもまんざらではないらしく、姿勢をわずかに正している。
レオノーラは、今後この二人を近づけすぎてはいけないかもしれない、と初めて思った。
「――今日のところは、帰らせていただく」
父は静かに立ち上がり、母とフィオナも戸惑いながらそれに従った。
「行くぞ、エリアス」
エリアスも、残念そうな顔をしながらもティアをレオノーラに返した。
そうして、一家が応接室を後にする。
父は最後まで不機嫌そうな顔を崩さず、母は何度も振り返りながらフィオナの肩を抱いていた。
フィオナは俯いたまま、レオノーラを見ようとはしなかった。
エリアスだけは、扉の向こうへ連れていかれながらも、何度もこちらを振り返り、レオノーラの肩に乗るティアへ熱心に手を振っていた。
「またね!」
「きゅう!」
ティアも応えるように、翼を小さく広げた。
扉が閉まり、エリアスの姿が完全に見えなくなってからも、ティアはしばらく扉のほうを見つめていた。
応接室に静けさが戻る。
先ほどまでの張りつめた空気が嘘のようだった。
「将来有望なことだ」
シグヴェルトが、満足そうに頷く。
「いずれは優秀な魔術師か、研究員となるだろう」
「弟の進路を勝手に決めないでください。エリアスは、伯爵家の跡取りなのですよ」
「私も公爵で、魔術総監だ。貴族と魔術は両立できる」
あまりにも当然のように返され、レオノーラは言葉を失った。
――確かに、そのとおりだ。
貴族だから、家を継ぐから、と言って、好きなものを諦める必要などない。
「……そうですね」
レオノーラは、家族が出ていった扉を見つめた。
「……本人の好きなことを、立場で押さえつける必要はないのですね」
それは、エリアスについて口にした言葉だったけれども、自分自身への言葉としても胸に響いた。
「ようやく気づいたか」
シグヴェルトが言う。からかうでもなく、褒めるでもない。ただ、当然のことを確認するように。
レオノーラはティアの背を指先で撫でた。
小さな竜は喉を鳴らし、気持ちよさそうに目を細める。
自分が何を好きなのか。
これから何をしたいのか。
それを考えることさえ、誰かの許可を得る必要はないのだ。
「はい」
レオノーラは、今度こそ素直に頷いた。




