15 迎えに来た『家族』
クラウゼン伯爵一家は、王国魔術院の応接室へ通されていた。
レオノーラがシグヴェルトとともに入室すると、父と母、フィオナが一斉にこちらを見る。
十歳の弟エリアスだけは、レオノーラの肩に乗っているティアへ目を奪われていた。
ティアは見知らぬ人間たちを警戒しているのか、レオノーラの髪へ半分ほど身体を隠している。
「お待たせいたしました」
レオノーラが一礼すると、父は挨拶を返すこともなく、険しい顔をした。
「まずは座りなさい。話がある」
――命令口調。
まるでここが伯爵家の屋敷であり、レオノーラが父に呼び出された子どもであるかのように。
「公爵閣下には、わざわざご同席いただかずとも結構です。これは我が家の問題です。家族だけで話したい」
父はシグヴェルトへ向き直り、表面上だけは礼儀正しく告げた。
「レオノーラは私の眷属だ。管理責任者である私が同席する」
シグヴェルトは当然のように、レオノーラの隣の椅子へ腰を下ろした。
「しかし、公爵閣下には関係のない話もございます」
「それを決めるのはお前ではない」
淡々と返され、父の眉間に皺が寄る。けれど、それ以上は言い返さなかった。
レオノーラも腰を下ろす。
家族と向かい合っているのに、不思議と以前ほどの息苦しさは感じなかった。
父は両膝に手を置き、重々しく口を開いた。
「レオノーラ。王太子殿下への返書について聞いた」
「…………」
やはり、その話かと思う。
けれど、どうして父が手紙の内容を知っているのだろう。
レオノーラが返書を送った相手は、王太子ルシアン本人だ。王宮の使者を通して届けたのだから、伯爵家に知られるはずはない。
おそらく、ルシアンが父へ見せて相談したのだろう。
そう考えれば、家族が揃ってここへ来た理由にも納得がいく。
「殿下があれほど歩み寄ってくださったのだぞ。それに対して、あのような礼を欠いた返事を送るとは何事だ。お前は自分が何を断ったのか、理解しているのか」
「理解しております」
「ならば、何故」
「わたくしがそう決めたからです。王宮にも、元の場所にも戻るつもりはありません」
父の顔が強張った。
「いまは感情的になっているだけだ。少し冷静になれば、自分がどれほど恵まれた提案を受けたのかわかる」
「十分に考えたうえで、お断りしました」
きっぱりと言い切る。
父に対してこれほど強く言い切ったことはないかもしれない。
「レオノーラ」
母が、幼い子どもを諭すような声で名前を呼ぶ。
「もう意地を張るのはやめなさい。フィオナも、ずっと心を痛めているのよ」
隣に座っていたフィオナが俯いた。
淡い金色の髪が頬へ落ち、その奥で青い目が潤んでいる。
「わたし、お姉さまを傷つけるつもりなんてなかったの。ルシアン様を好きになったことも、お姉さまから何かを奪おうと思ったわけではなくて……ただ、わたしたちは、お互いを好きになってしまっただけなの」
フィオナは震える声で言いながら、胸元で両手を握り、レオノーラを見つめた。
母が優しく微笑む。
「家族なのだから、いつまでも怒っていてはいけないわ。あなたは昔から、この子のことを可愛がっていたでしょう?」
「……はい」
確かに、可愛がっていた。
泣けば慰め、失敗すれば庇い、欲しがるものがあれば譲ってきた。これまで、ずっと。
「なら、もう許してあげなさい」
――家族にとっては、レオノーラが初めて意地を張ってわがままを言っているだけに映っているのかもしれない。
違う。
「お母様。わたくしは、フィオナに怒っているから戻らないのではありません」
「では、何が不満なの?」
母の問いに、レオノーラは一瞬言葉を失った。
――不満。
家族にとって、これは条件交渉なのだ。
どこを直せばレオノーラが戻るのか。どの地位を与えれば納得するのか。何を約束すれば、再び以前と同じ働きをするのか。
違う。
レオノーラは変わった。昔欲しがっていたものには、もう魅力を感じなくなってしまった。
敬愛される王妃になることも、ルシアンから信頼されることも、家族に褒めてもらうことも。
もう必要ない。
「わたくしは、王宮へ戻りません。フィオナの教育を引き受けるつもりもありません」
「お姉さま……」
フィオナが傷ついたように息を呑む。その大きな瞳から涙が零れた。
「わたしのことが、そんなに嫌いになったの?」
「そういう話ではありません」
「では、どうして助けてくださらないの? わたしは王太子妃になるための教育を、お姉さまほど受けていないのよ。何もわからないままでは、きっと皆に迷惑をかけてしまうわ」
「…………」
――なるほど。
ルシアンは、家族にレオノーラ宛てに送った手紙の内容を伝えていないのだろう。レオノーラを正妃にするという提案も、フィオナたちは知らない。
しかし、わざわざ言ってフィオナを傷つける必要もない。
その時、ティアがレオノーラの肩の上で身じろぎする。
「きゅ……」
先ほどまでの愛らしい鳴き声とは違う。低く唸るような声とともに、小さな口元から赤い火の粉がこぼれた。
翼を広げ、レオノーラを庇うように家族を睨みつけている。
「ティア。落ち着いて。わたくしは大丈夫」
レオノーラが名を呼ぶと、ティアは火を吐くのを堪えたものの、警戒を解こうとはしなかった。
父が険しい顔で小竜を見る。
「先ほどから気になっていたが、それは何だ」
「ティアです。ティレアン火山の魔力から生まれた竜です」
「火山から……?」
父だけでなく、母とフィオナも目を見開いた。
エリアスだけが、ぱっと顔を輝かせる。
「姉上が作ったの?」
「エリアス、黙っていなさい」
父に遮られ、エリアスは不満そうに口を閉じた。それでもティアを見つめる目から、好奇心は消えていない。
「そのような得体の知れないものを、個人が勝手に所有してよいはずがない。王家へ報告し、引き渡すべきではないのか」
ティアが再び喉を鳴らし、レオノーラの首元へ身を寄せる。
レオノーラは、その小さな身体を片手で包んだ。
「この子は、わたくしの竜です。王家へ引き渡すつもりはありません」
自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。
「お前の判断で決めることではない」
「ティアを生み出したのは、わたくしです」
「――レオノーラ。お前はいつからそんなわがままになったのだ。あんなに聞きわけがよかったのに」
父の声に苛立ちが混じる。
以前なら、その声を聞いただけで謝っていた。父を怒らせないように。家族の空気を悪くしないように。自分が譲ればすべて丸く収まるのだからと、言葉を飲み込んでいた。
けれど、いまは目を逸らさなかった。
「これ以上、王太子殿下や家族へ迷惑をかけるな。私たちと屋敷へ戻り、今後について改めて話し合う」
「帰りません」
「そんな勝手が許されると思っているのか」
父が立ち上がりかけた瞬間。
シグヴェルトが握る黒杖の先が、わずかに床から浮いた。
ただそれだけで、父の動きが止まる。
シグヴェルトは椅子へ座ったまま、淡々と告げた。
「レオノーラは私の眷属だ。引き渡すことはない」
「公爵閣下は、家族の問題へ口を出さないでいただきたい。それに、眷属などと……本人の意志を無視したことを」
「ほう……」
シグヴェルトは興味深そうな顔をしながらも、それ以上何も言わなかった。
レオノーラは膝の上で握っていた手を、ゆっくりと開いた。
「いまのわたくしは、エルダーシュタイン公爵閣下の管轄下にあります。あなた方の命令を受ける立場ではありません」
「命令だなんて……」
母が傷ついたように眉を下げた。
「わたくしたちは、ただあなたを心配しているだけよ。家族なのに、そんな他人のような言い方をしなくてもいいでしょう?」
レオノーラは母を見つめた。
――ああ。その自覚もなかったのか。
自分たちの要求を口にしながら、レオノーラ自身の声を封じながら、自分たちは何一つ命じていないと思っている。
レオノーラは黙って言うことを聞くものだと思っている。
求められるより先に必要なものを用意し、自分の時間を差し出し、家族の望みを自分の望みより優先すると思っている。
――都合のいい長女。
それが、家族の中のレオノーラだった。
確かに、いままではそう見えるようなことをしてきた。
だが、いまは違う。
「わたくしは戻りません。皆様、どうぞお帰りください」




